カリスマ主婦の夫 サイド鏑木裕介
老年期に差し掛かって、離婚されそうな、妻も子供もいなくなってしまった男、鏑木裕介。
何がおかしいのか分からないし、しゃべってくれないので三人称です
鏑木裕介は見ていた雑誌をテーブルに放り投げ、悪態をついていた。
「全く、こんな雑誌に載ったりして、自惚れやがって、主婦がチヤホヤされて騙されてるんだ」
その雑誌は、名の知れたビジネス誌だ。先日、妻の宛に郵送されて来た。丁寧なお礼状と共に。
新進気鋭のベンチャーの紹介記事。そこに彼の妻が紹介されてる。夫からすれば喜ばしいはずなのに、彼は不機嫌を隠さず、悪態を吐きながら、女の手が入ってない、散らかった部屋を眺める。
こんな雑誌に載ってチヤホヤされる時間があるなら、部屋を掃除したり家族の食事を作ったりするのが女の幸せだろう。
そんな事を呟いているが、その彼女はもうこのウチには居ない。
そうそれは数ヶ月前のこと、仕事だと言い、ひと月ふた月、殆ど家にいなかった。
そして、戻ってきたと思えば、今度は毎週末出かけていたのだ。主婦がこれ程、家を空けるなんてと問い詰めると、
「お仕事だから、私が行かないと始まらないの、ちゃんと給料も貰ってるし」
と、反論してきた。
彼は妻が、夫である自分の言う事を聞かないのが腹に立ち、
「そんな仕事辞めちまえ、主婦は主婦らしく家のことやっていればいいんだ」
と怒鳴った。
そう、今まではそれで、彼女は彼の夫の言う事を聞いて、家の事やっていたのに、その時妻は、
「そんな無責任な事できない、私が社長だから。もう沢山の人が動いてるの、今日は出かけます。主夫になると会社辞めたんでしょ? 私が仕事しないと生活できないんじゃない?」
ぱっしっん!
正論をいう妻の顔を裕介は思わず叩いてしまった。
妻の恭子は、頬を押さえ、こちらを睨みつけ、そのまま出かけて行った。
夫の言う事を聞かなかったのだから叩かれても仕方ない。そう思うが、裕介は正論を、会社を家の事をする為に早期退職したのは自分と、妻に言われ裕介は腹を立てていた。
それは、妻に対してか?自分に対してか?
そして、それを期に妻の恭子はウチに帰ってこなくなった。
妻が変わったと思ったのはいつの頃だったか。あー、あの大喧嘩した後か。裕介は、その頃の事を思い出した。
前は、大人しく、家庭が一番の妻だった。甲斐甲斐しく、子供の夫の世話を焼く母で妻だった。
それは、ちょっとした言い違いから、夫婦喧嘩になり、3ヶ月くらい口も聞いてこなかった。そして、突然、香港へ行ってしまった。
まあその前も、お稽古事でとか、レッスンでとか出かける事はあったが、今回はひとりで海外である。そんな行動ができる事に驚いた裕介は、留まるように
「オレのメシどうするんだ」
と聞いたら、
「あら家事なんて簡単なでしょ、それに主婦業は暇でいいとか言っていたじゃない。丁度、夏季休暇の時期だし、夏休み取ったら」
と
以前裕介が言った事をそのまま返してきた。裕介はそんな事言った記憶がなかったが、普段から家事が大変という妻に弛んでるとか言っていたので、反論されると何も言えなかった。なので沈黙した。
沈黙は了承と、恭子は支度を始めた。
その様子から、裕介はもう恭子が旅行を止めるつもりのない事を知り、
「どのくらい行くんだ?」
と聞いた、
「一週間位、昔、家族皆で行った時、行けなかった所とか、できなかった事をやりたいのよ、後悔はしたくないから。
なので、新界にも行ってみたい」
そう言って、恭子は出かけて言った。
恭子は元から香港が大好きで、そう、家族旅行でもよく行っていたが、子供を優先していた為か、行けなかったところがあるということか。裕介は、なら、なぜ、皆で行った時に、あそこ行きたいとか言わなかったのか? そんな疑問もそれを訊ねる前に、恭子は出掛けてしまった。
翌朝、何でこうなるんだという感じで、アレは何処?
今日は集金だとか、子供達がバタバタしていた。
「ちゃんと用意しておかないからだ」
そんな事を言う裕介も、靴下が見つからない。まあ、恭子はきちんと家の事はしていたので、靴下の引き出しを開けれはそこにある。それを裕介は知らなかった。
家族のグルチャに子供達は、次々とメッセージを入れている。
恭子からは頑張ってねとスタンプがくる。
金、カネと騒いだ息子は、自分の口座に金が振り込まれほっとしている。
裕介は、海外からどうやってカネを振り込んだのか、不思議だった。そう妻がネットバンキングを使ってることさえ知らなかった。
母親の妻の不在に慣れた頃、恭子が帰ってきた。
子供達がリクエストしておいた、大きいポッキーとか出前一丁とかを出してる恭子の側で騒いでる。そのお土産は、見た感じこっちにもあるモノだった。
裕介が
「こんなくだらない物こんなに沢山買ってカネの無駄遣いだ、日本にあるだろう」
と呟いたら、
「オヤジは、知らないんだ、コレ日本じゃ売ってないバージョンなんだよ」
と子供が切り返してきた。
失敗したなと思い、裕介は恭子を見たが、恭子は、機嫌も顔色も変わらず、子供達とあーだこーだ言っているだけだった。
裕介はほっとした。
裕介としては、妻の長期不在は出産の時くらいだったので、寝室でのひとりが少し淋しかった。
妻が無事帰ってきたことに、少し安堵感が出て、その反動か、また照れ隠しなのか、言葉が悪くなる。それを恭子がどう感じているのか、裕介はその時想像できなかった。まあ妻の恭子の態度が変わらなかったのだから、大丈夫と、そんな認識だった。
そして日常に戻り、普段の生活が再び始まると、裕介はまたいつも通りに妻にあれこれダメだしをいう生活に戻った。
恭子は、ひとり旅が楽しかったのか、それからも良く香港へ出かけるようになった。それを面白くない裕介は、
「主婦がひとりで旅行なんていいご身分だな」
「ならワインのイベントが香港であるんですって、一緒に行きます?」
と恭子が聞いてきた。
見せられたサイトは面白そうなイベントみたいなので、
「まあお前がそんなに言うなら付いて行ってやるよ」
裕介は照れ隠しにぶっきらぼうに答えたら、
「オヤジ、そんなつまんなそうに、答えたりしないで、ちゃんといいね!くらい言った方がいいよ」
と、この間、恭子に香港のイベントへ連れて行ってもらった娘が言ってきた。
「私が、この間、行きたいって言ったけど、ちゃんと自分で調べないと、連れて行かないからって言われて調べたの。調べで行くと全然違うから、オヤジも行きたいってちゃんと言わないと、オカン、ひとりで行っちゃうよ」
裕司は、恭子が家族から頼りにされてる事を言葉で言って欲しいのだと、娘の言葉から勘違いした。
そうか、そうならと、「行きたいと」言ったら、妻もわかったわと言った。そう勘違いしたままになった。
そうこの頃から恭子は家族より自分を優先し始めてたんだ。
そんな妻の変化を、敏感に感じるタイプでなかった裕介には、分かるはずはもなかった。妻はなんだかんだ言って、ひとりではつまらないから夫を誘ったと、裕介は思っていた。それは裕介が、一人でなにかするのが好きでないというのもあった。また、過去に恭子は自分より家族、夫を優先していたので、家族、夫にとっては当たり前の事だったというのもある。
そんな二人の認識の違いを全然感じないほど、ワインのイベントは、久しぶりの夫婦二人きりの旅だったのもあり、裕介は満足だった。
なので、二人は毎年行こうと決めた。
その事も裕介にとって夫婦は同じ考えなんだなと、再認識してしまったシチュエーションでもあった。
その上、やっぱり、オレが付いていかないとダメなんだと、裕介は思う反面、いろんな場所を情報を持っている恭子が、
「ここの料理おいしいって」
「やっぱり、中華って人数で食べないと美味しくないね」
「ここは、あの映画の撮影に使われたの」
と、あっちこっち連れて行ってくれるのもラクだったし、楽しかった。
なので、ひとりで出かけるのを咎める事をやめた。
それは恭子の情報収集の為だからと。
それよりも旅行から帰ってきた妻がイキイキしているのを見て、それを許している寛大な夫というのが心地よかったのだ。
そこで大きくすれ違い始めたんだ。
そう、恭子はそれを見て、ああ、夫も一人で、私がいなくても大丈夫なんだ。家事も覚えるようになったしと。
恭子はもう家庭を見てない、必要なら言ってくれという感じだったから。
裕介は、恭子は家族から感謝されたいと思ってると。
二人の認識の考え、思惑が離れてくるのは、この後に分かるのだが、裕介は主婦がそんな大それた事をするとは想像もしていなかった。
そして、その旅行資金を稼ぐために恭子は、趣味のハンドメイドのイベントに参加するようになった。
いや初めは恭子がパートに出るとか言っていたが、裕介が強硬に反対したのだ。それは裕介からすれば、恭子は、専業主婦だったのだから、働いて家事と両立させるのは大変だろうという優しさからなのだが、恭子からしたら、家から出さない、女がカネを稼ぐというなら、家事を完璧にしろ。家庭を蔑ろにするなという、男のエゴと取った。
この辺も夫婦の歯車が噛み合ってなかったと今になって裕介は思う。
その時に、恭子がそう思っていた事を知れば、オレだってちゃんと考えを変えたんだ。そんなに仕事したかったんだと、思うだろう。なんで言ってくれなかったんだろう。
そんな事を、裕介は思っているが、それは今だから言える事なんだと、その時は妻から、恭子から言われても、夫の言うことを聞くのが妻の務めだと思い、裕介は考えてを変えなかっただろう。それに、パートでも仕事をすれば、色んなこと飲み込んで、しなくてはいけないし、それなら、家で好きな事していた方がいいはずだ。そう裕介は思っていた。もちろん恭子も同じなんだと。
それからも、恭子はひとりで、海外国内問わず旅行に行ったり、その関係でできた新しい友人関係から中国語を習ったり、ハンクライベントにでたりと、以前とは比べ物にならない様にアクティブに動き、家を空けるようになった。
それは、恭子の、私が生きたいように生きるということの表れだった。
裕介は年に一回の夫婦の旅行が、自分への恭子が自由にしてもらえてる感謝だと思っていた。
恭子にとってその旅行は、文句ばかり言う夫への忖度だった。
そんなすれ違いの中、一つの転機が訪れる。
それは有料ハンクライベントに恭子が娘と参加した時だった。恭子の作品を商品化したいと言う話が来たと、恭子が喜んでいた。
一緒に参加した娘は
「それ騙されてるじゃない?あんな若い男の人がハンクラ興味ないって」
「作品作るから金よこせとかね」
とその人を見た娘が言っていた。
その相手は恭子のネットワークでは有名な個人投資家として名が通っていたらしい。裕介はその名前を知らなかった。
その話は、恭子も様子見だったのか、商品化の話が立ち消えなのか、裕介には進展していない様にみえた。
恭子はずっと、その個人投資家を観察していて、信用に足りるかをチェックしていたのだ。
恭子がイベントと旅行用のへそくりの金を出資したという話を聞いた。
「とうとう、その日が来た」
と子供たちは茶化した。
「まあ、痛い目を見たと思って、しばらく自重して、お金はまた貯めればいいから」
と裕介は優しく言った。
恭子は、
「何故、騙されたりお金が返ってこない前提なの?」
と真剣に聞いてきたが、
「オカンの作品が商品として売れるわけないよ。それに在庫抱えて大変な思いすると思うよ」
子供達も言う。裕介も頷く。
「分かったわ。ウチの家族って、家族の成功を良かったね、商品化してと、褒めたりしてくれないんだ、その上、手伝ってもくれない。いつもいつも私の足を引っ張るだけで」
そう恭子が言う事を裕介は、
「何のぼせてるんだ、いつ、お前の足を引っ張った?家族だからきつい事言えるんだ」
と返した。
「パートに出るという時も、ダメと一言だった。あの話は、友人からECショップに興味があるなら早めに仕事としてやった方がいいともらってきた話だったのよ。その時、言った事、覚えてる? パートに出るなら家事を完璧にやれって、自分は仕事しかしないのに、妻には仕事も家事も完璧にしないといけないのかと思ったわ、頑張れ、家事なら手伝うとかなかった」
そのあとも2、3、何か言っていたが、裕介には全く覚えのない話だった。
裕介はその時の恭子の顔を今でも覚えている。そう心を決めた顔。その時、恭子は妻を捨て、新しくなったんだと、裕介は今ならそう思う。
あの時褒めてやれば、オレたちの関係も変わってきたのかも知れない。そんな事を思い浮かべても、詮無い事なのに。
商品化したといつても、恭子は、以前と同じようにイベントで売っていた。
そして、残りを手作りサイトで売ると、その配送とかするための部屋を借りたと、ウチを始終空けるようになった。
カネを出したという話を批判した為か、その後それ以上の事を裕介にも子供達にも恭子からの相談はなかった。
絶対にやましい事があるんだと裕介は踏んでる。そうでなければ、あの妻がおしゃべりな妻が黙っている訳ない。
だから、ことある事に、裕介は
「主婦を騙して金を巻き上げられるだけだ」
「責任を取らせて泣きを見るぞ」
と注意してみても、妻は毅然と
「自分の作品を世に出す最後のチャンス」
と、同じ事を繰り返して言うだけで、家族の手を借りず、その仕事に没頭していた。
子供達も、
「オカンの作品が世に出るなんて、それ騙されているよ。その後に凄い金請求されるから」
と、裕司の意見に賛同していた。
しかしだ。
作った大量の商品の在庫を抱えて泣き見るだろうと、裕介も子供達もそう思っていた。
半年もしないうちに売り切り、そして、社長になったと。
子供達も
「絶対にやばいから、話の規模が大き過ぎる。オヤジから注意した方がいいよ。下手すると、このウチなくなるよ」
と言い出す始末だった。
なので裕介も、妻の恭子に、
「そんな訳の分からないモノに首つ込んで、家族に迷惑かけるだけだ、自分の分を知れ」
と言った。
すると、妻が
「私が成功すると、貴方の立場が、妻を養ってる稼ぎのいい夫という立場が壊れるから嫌なのよね。心配するふりして、この家に私を縛りつけたいのよ」
と訳の分からない事を言い出した。
「あなたが言うように家事はちゃんとするし、出資したお金はイベントで儲けたお金だし、家のお金に手はつけてないわ」
恭子が反論してきた。また反論だ。
「私ずっと家にいて子供達の世話をする事が好きだと思い込まされていたのよ。やっと私、やりたい事、出来ること見つけたのに」
と涙声で訴えてきた。
裕介は、妻の涙に弱かった。自分が泣かしてるということで、良心の呵責にさいなまれる。なので、泣きながら訴える恭子を狡いと思う、反面、そこまで、思うことあったのかと、その時は裕介も納得し、引き下がった。
しかし、家族の思惑以上に、会社の規模が大きくなってきているみたいだったので、恭子の手に負えないだろうと裕介が、
「そんなに大きくなったら、お前の手に余るだろ。会社手伝ってやるよ、経理ならオレ少しは分かるから」
と恭子に言うが、恭子は、
「上手くいったのはオレのおかげとか言い出したいの。馬鹿みたい」
と今度は裕介を侮る態度を取ってきた。
なんだコイツ。
裕介はそう思いながら、妻が、恭子が、夫を夫として見ていない理由を裕介は、痛いほど理解していた。
そう、裕介は妻をここ数年、抱いてなかった。
裕介は二人きりで旅行に行けば、そんな気になるだろうと甘い考えてはあった。しかし、妻の恭子には全くなかった。それは部屋に入った時わかった。ベッドがツインだった。
恭子は、何もなくても一緒に寝る、温もりが大好きなので、以前の旅行の時はダブルベッドだったのに、今回はツイン。そして、ホテルに帰ってくるなり、シャワーを浴びて、さっさと寝てしまった。
イヤわかっていたけど、そこまでなのか? なので、裕介も酒を飲んで寝てしまった。
その態度に、恭子の不満がある事は分かっていた。それを言われた事が以前あった。そう、
「何故抱けないの?」
「もう、私を女とみないの?」
「そんな事ない」
そう言われれて反論しても、どうすれば、どう次に言えば、どう返せばいいのかわからなかった。
なので、
「そんな身体抱ける気がしない」
「いい歳してみっともない」
など言っていた。その仕返しか?これは。
抱ければ抱いたよ。抱けなかったんだ、どうすれば良かったんだ。
裕介はそっちの方はタンパクで、そんなに性欲が強くない。方や恭子は毎晩でも一日中でもというタイプ。見かけは可憐な奥様が、その反面、淫婦。
そんな事も魅力のひとつだった。裕介は自分で乱れる妻を快楽に溺れる妻を見ることが、男としての自信でもあった。
しかし、裕介にはここ数年、男性の機能が不全という重荷が乗っかり、何もできないまま。かれこれ10年近くレスのまま経ってしまった。
裕介がそうなる前からも恭子から求められれば応じるという感じで、段々、恭子も求めてこなくなったので「あー妻も落ち着いてきたんだ」と思っていた。
いや、男として不安はある。妻を満足させてなかったのだから。
裕介はそんな事思いながら、散らかったリビングを片付け始めた。
その時、ふと
「まさか、浮気しているとか?」
独言て、慌てる。
「妻が、あの歳の女が浮気? 誰と? ある訳ないだろ。まさかなあ」
そんな事ぶつぶつ言いながら、掃除機をかける。
そして、先ほどの雑誌に目が行く。
綺麗にメイクして、別人の様だ。こんなに綺麗で、垢抜けていたのか?
オレの妻は?
好きな事をするからって言っていたな。と裕介は考え始めていた。
「アイツの好きな事って、なんだった?
一緒に旅行して、美味しい料理とワイン飲んで、嬉しそうにしていたし、お菓子とか、ご飯作って、子供達とかの笑顔を見る事でなかったのか?」
と声を出して言ってみた。まるでそこに妻がいるみたいに。
そして確認するように、
「そうだよな。女は家に家庭にいればそれで幸せなんだ。男みたいにギスギスとしたビジネスに無縁でいいんだ、そう外に7人の敵が…、見たいな事は男に任せればいいんだ。それで家で笑っていればいいんだよ」
そう納得して、キッチンへ目をやるが、しかし、妻はそこには居なかった。
このウチを出て行った。
そうだ、恭子は何処にいるのか?オレはそれさえも知らないのか?
なんか哀しくなってくる。この歳で独りになってしまった。
そんな思いが胸に広がり、切なくなる。
そう子供達も裕介に同調して、アレほど母親に文句を言っていたのに、恭子が居なくなると、とっと家を出て行った。
「オカンがいないと全部自分でやらないとダメだから、自分の分だけやる方がいいからね」
ひとりぼっち。
そんな気持ちを打ち消すように、再び、掃除機を手にして掃除を始めるが、妻がいた当時みたいに小綺麗になる事はなかった。
もう何も考えたくないのか、冷蔵庫を開け、ビールを飲もうとしたら、ビールさえ冷蔵庫には入ってなかった。
「ビール位キチンと入れとけ!」
そう怒鳴った。しかし、そのウチにいるのは裕介ひとり。虚しくため息をつき、掃除機を仕舞うと、つっかけを履いて、近くのドラッグストアへ、つまみとビールを買いに向かった。
そんなある日、昔の同僚から裕介に電話が来る。
「久しぶりに飲みに出てこないか?退職したのだから暇だろ?」
と誘ってきたので、ひとりにうんざりしていたこともあり、翌週に会う約束をした。
久しぶりに都内に繁華街に出てきた裕介は、自分がすごく老けてきたと、大きなショーウィンドウのガラスに映る自分を見て愕然とした。
「なんか本当にジジイになったなあ」
そんな事を思いながら、待ち合わせ場所に向かう。
昔の同僚に会うと、先程までの考えは霧散した。相手を見てお互い様なのだと思えてきた。みんな年取るのだ、そうだ。
同僚と飲んで、近況を交換していると、
「お前の奥さん今、すごい人気だよなあ。この間、ちょっとTVで見たけど、綺麗になっだよあー。昔、お宅にお邪魔した時は、普通の主婦だったのに、うちババアまで『鏑木さんの奥さん、凄く若返ってない』とか言い出すんだよ」
そんな話を裕介は他人事の様に聞いていた。
すると
「そういえば、お前の奥さんこの間、変な場所で見かけたなあ」
と
「あの辺に会社でもあるのか?」
と訊ねられたが、
「知らん。そこ何処だ?」
と訊ねる事が精一杯だった。
同僚からは、一緒に有名な投資家といたとも話を聞いた。そして、酔ったせいもあり、妻がソイツに騙されてるんだという話をなんとなしに話してしまった。
同僚は、やっぱりなあ。
実は、こんな話があって、権利を保全した方がいいじゃいかと、今世話になってる会社の人から、友人の奥さんだと言ったら、アドバイスもらったんだ。早めに妻の名前を商標登録しておけば、いいとか、相手から慰謝料がわりに使用料が取れると。
その同僚の新しい会社の名刺を裕介は受け取った。
裕介は、もう随分と前から、誰もいないウチで、掃除も料理もする事が億劫になっていて、食事はスーパーの持ち帰りで済ましてる。
本当は、馴染みの店に呑みに行きたいこともあるが、以前、退職したばかりの頃かその前位だった、夕食を飲み屋へ行った時。
何気にこちらのスマホを見ているお店の子がいた。
「鏑木さん、そのスマホケースどうしたんですか? 手に入れるの大変だったでしょ」
と徐に言ってきた。突然、話しかけてきた事に裕介は驚いたが、スマホケース見て、あー恭子のか、と思った。
「あー、家内が作ったんだ、くれたんだ」
「えっ! 鏑木さんの奥さんってキョウコさんなんですか? ホント?」
すげーとか言い出し、ママに叱られていた。
ママから詫びに、酒を一杯付けてくれたが、かえって悪いねと言うと、今度奥様の作品、手に入ったら私も欲しいとか言い出す。
あーどいつもコイツもキョウコ、キョウコとうるさいなあ。
それで、なんか外で飲んだりするのも面倒になってきた。
はあー
裕介はこの頃はため息ばかりついてる。
その頃だった、恭子の作品が彼方此方で見かけるようになったのは、カリスマ主婦の起業とかで有名になったのは。
そうだ、恭子は、おだてられ帰るに帰られないのだろうと、裕介は思いだした。
そういえば、あれから同僚も何も言ってこない。
裕介は恭子が騙されて、辛い目にあっていないか心配していた。
そう、本当に思っていたのだ。
「そうだ、話を良く聞いてみよう」
そう思った裕介は、同僚に連絡を入れる。
そして、妻が騙されている証拠に、自分の名前を商標登録してないと、その会社の人に告げられた。
普通は、これだけ有名になると、先に使われない様に、登録すると聞いて、やっぱり、と納得する。
じゃオレはどうやってその権利をというと、こちらはそれの専門なので、対応しておきます。と、とても親切な感じだった。
それから、数ヶ月後その会社は、無くなってしまった。
最初、裕介に内容証明が弁護士名で届いた。
驚いて、裕介が弁護士に連絡すると、裕介があの会社に騙され、夫の名で権利を、主張した事で、裕介自身も妻から訴えられる可能性がある。あと、言いにくいのですが、奥さんは今回の事で離婚をしたいと言っていると。
そんな話を聞いて、誰が誰に騙されているのか裕介は理解できなかった。
その上、恭子がオレと別れたい。そんなはずないだろう。そんな事できないだろう。と、裕介が言うと、弁護士さんは、まあ、奥さんが望めば可能ですと言う。
あと、別件ですが、奥さんの会社に入りたいとの事で、私の顧問先である社長がお話があると言うので、一度、こちらの事務所にご足労願いたいと。裕介は告げられた。
その弁護士事務所に行くと、そこには、ひょろっとした男性と、電話で話した弁護士がいた。
挨拶した途端に「小粒だな」とそのひょろっとした男がこぼした。
ムッとして顔を上げる裕介、
「おい、旬。オレに専門以外の仕事させるなら態度改めろ」
その弁護士がそのひょろっとした男に文句を言う。
「すいません先輩、今日はよろしくお願いします」
裕介は人を小馬鹿にしている態度にいぶしがりながら、
「鏑木恭子の夫の裕介と申します。今回の件では色々とご迷惑をおかけしています」
と謝罪をした。その時、妻がと言うのを留まったのは、そう迷惑かけてるのは妻の恭子でなく、オレ自身なんだと裕介はその時一瞬で理解した。多分ここで、妻がと言った瞬間に大変なことになると。
そんな事を考えている間に、自己紹介は終わり、弁護士から
「今回、ご足労頂いたのは、コイツが動くとちょっと事が大きくなるので、この事務所は、コイツの顧問なので、コイツが出入りしても怪しまれないと言うのもあります。
まず、最初に、鏑木恭子名義の商標登録の件については、無事、こちらにキョウコさんに登録権がきました。
後、そちらに今回の事で、登録した会社から、詐欺行為という事で、訴訟を起こされると思います」
裕介は、驚いた。何故オレが同僚の会社から訴えられるんだと。そんな考えが顔色から分かったのか、
「その訴訟は途中で多分、取り下げると思うんですが、こちらの段取りが悪く、取り下げなかった場合は、ご面倒でも、その会社を鏑木様から訴えてください」
うーんと、考える裕介。
「その費用はこちらで持ちますが、弁護士事務所は自分で探してください。こちらの関係のないところがいいと思います」
なんか軽くないかと裕介は思う。なので、
「なんでそんな事をしてくれるんですか」
すると、弁護士でなく、そのひょろっとした男が口を開いた、
「僕は、お前なんかどうなってもいいんだよ。ただキョウコさんが、お前のせいで、殆ど食事も取れないし、やつれてみていられないから、ただそれだけだ」
あーコイツが恭子浮気相手なんだと、その時はそう思った。それが顔に出ていたのか、
「言っとくけど、お前が思ってるような事はない。僕はキョウコさんの作品と才能に金を出してるだけだ。まあ、家族が彼女に一番酷い仕打ちをしてきたのは知ってるけど」
と言う。
オレたちが酷い仕打ちって、一瞬考えるが、何も浮かばない。
「浮かばないだろう。そうだよな、キョウコさんは、搾取している奴に優しいから、尽くしてしまうんだよな、相手は気がつかないんだよ尽くされてると思うからな」
と続けて言う。そして、
「あー、それとキョウコさんの会社、手伝うとか言ってるらしいが、それなら、僕の出した分だけは返して貰いたいと」
と提示された金額を見て、裕介は驚いた。
そう恭子は、へそくりとイベントで儲けた30万円出資したと言っていた。
しかし提示された金額は、その100倍以上。
「まあ、普通の主婦をカリスマとかにすればコレは安い方。キョウコさんが今まで培ってきたモノがあるからこのくらいで済んでるだよ。わかるか?」
何を言ってるか理解ができない。恭子が何をしてきた?何を培ってきた?
そんな疑問が裕介の頭で点滅している。
「キョウコさんは、お前から離れたいために、色んなことやってきたんだ、それを…」
「止めろ、旬!」
と弁護士が止めるが
ひょろっとした男は、なお裕介に向かってくる。
「キョウコさんが、どんな思いで、家事をしていたかわかるか、その上、何か始めたら、騙されてるんだ、責任取らせられるとか、後、おウチがなくなるものあったな。キョウコさんの『あのおウチ』がなくなるとかそんな事言うなんて」
そう、その男は、裕介に向かって激昂してくる。
「旬、もういい。邪魔だ、事務所に帰れ」
そう弁護士がその男に告げ、「うん、後よろしく」
と立ち上がって、そのひょろっとした男がその場を後にする。
「鏑木様、色々脱線して申し訳ありません。まず、名義の件の理解はよろしいですか?」
裕介は
「ハイ」
と答えた。
弁護士は次の質問をする。
「で鏑木様、次の案件ですが、キョウコさんとの離婚にはどうされますか?」
と聞いてきた。
何故、裕介が恭子から離婚を求められるのか?
恭子が家を出ているのだから、裕介から離婚となるんでは?とその疑問を弁護士に裕介は投げてみる。
「まあ、鏑木様からはそうですが、暴力があった事実、その証拠。また10年以上性交渉がなかった件を鑑みると、離婚が成立します。だってもう修復不可能ですよね」
何を言っているのかと、裕介は驚いた。
こんな若い弁護士に恭子は夫婦の事を話したのか。それほど離婚したかったのかと裕介は気がついた。
そして、弁護士から告げられた事実。離婚は成立すると、裕介は言葉も出なく固まった。
「この件は、旬は、須藤はしりません。知ったらあれでは終わらなかったでしょう。キョウコさんとの打ち合わせで私だけ知りました。弁護士なので守秘義務もあります」
裕介は、
「じゃあ、不倫相手は来て、何故ここに恭子が来ないんだ」
と言う。しかし弁護士は、
「須藤とキョウコさんにはそういう事実は、今のところありません。これからはわかりませんが。キョウコさんがここにいない理由としては、DVをする相手と当事者を会わせる弁護士はいません。もし、鏑木様が不安なら自分の弁護士とキョウコさんなり、私なりとその弁護士で話します」
と、妻との直接の話し合いを却下され裕介は項垂れる。
裕介は、オレがいつDVをしたんだよ。そう思っていると、弁護士が
「殴ったり蹴ったりするだけがDVではありませんから。ただ、直近になりますが、仕事に行くキョウコさんを止める際に、殴りましたよね。覚えていますか?」
そう聞かれ、裕介は、自分の記憶を探る。そんな記憶が出てこない。
「やはりですね。キョウコさんは、覚えていないはずと言ってましたから。過去に何回か殴られた事があると、殴られなくても、身の危険を感じたと言ってますが、そこ辺は?」
そんな事ないと裕介は言う。まあそうだ、恭子の記憶違いだ、オレが殴るなんて、と裕介は、そう言う。
「激昂した時に、子供や妻を殴った記憶がないのですか?」
そう弁護士に言われた。
裕介は、思い当たる節がなかった、本当に。しかし、弁護士は続けた、
「申し訳ないのですが、家庭内で暴力を振るったと言う話の裏は取れてますし、手を上げなくても、物を投げつけたり、怒鳴りつけることは多々あったと、お子さん達から聞いてます。ひとりのお子さんは殴られたと証言すると言ってます」
「オレがそんな事をしているのか?本当に」
裕介は確認する様に弁護士を見た。すると弁護士は一枚の紙を出し、
「そうですね。お子さんの件は状況報告なので弱いですが、先程のキョウコさんの件は、こちらはキョウコさんが、病院へ罹りその時の診断書もあります。そして、こちらは過去の診断所見ですが、アフターピルの数回の処方から、医師からピルを進められ、そして、その後、数回性感染症に罹っているとあります。この辺もDVと判断される材料になります」
裕介は弁護士が何を言ってるのか、わからなかった。
「で妻は別れたいと言ってるですよね」
裕介は声を絞り上げるように訊ねた。
「いいえ」
裕司は顔上げた。
「それだけの証拠があるのに何で離婚しないんだ」
「キョウコさんからの話だと、離婚してあのウチから追い出すと、今度はもっと面倒なことが起きると言われました」
淡々と弁護士が喋る。
裕介は何でオレがあのウチを追い出されるのか?疑問が頭を過ぎる。
「そう不動産の件は、あの土地はキョウコさんがご両親の遺産として手に入れた物ですよね」
裕介は頷く
「なので、キョウコさんに権利がありますし、離婚の時にも保全されますが、建物は旦那さん、貴方の裕介様名義なんですが、夫婦になってから作った物なので夫婦の物となり、離婚時に共有財産として処分の対象になります。ここまで分かりますか?」
「あの家は、オレが建てたんだ、オレ名義だ。なのに何故夫婦の共有財産になるだ」
裕介は、低い声でうめくように訊ねた。
「あー、あの家をおひとりの時に建てればそうなんですが、それにローン組んで建てているし、その主張は通りません。共同で生活しているので」
「じゃ何で土地は分けないんだ」
「そうですね。土地の方は、独身時代に貯めた貯金と同じです。結婚後、本人のお金から買った物でないので、共同資産にはなりません」
裕介は、良く回らない頭で考えながら聞いていた。
「以上の事から離婚に対して不動産の処分が、キョウコさんにとって負担になるという事、今回の件がこの後多々起きることの懸念から、離婚の申し立てはしませんが、こちらに記入をお願いしたいと言われました」
と緑の紙が出される。
裕介は何故これに記入をしないといけないのか、理解が及ばない。
「キョウコさんからは、まず、離婚すれば、今の家には住んで居られないことの理解。そして、今回の件の弁護士費用のこちら側での負担から念書を取るより、次に同じ事するなら、この手続きをするとお話がありました」
裕介は、もう何も考えられなくなり、その紙に署名をした。
「まあ、優しさって時にはエゴになりますからね。キョウコさんと話し合っていた時、あのおウチでの生活って、真綿で首を絞められていたような感じがするとかおっしゃってましたね。では、次の話をしましょう」
まだ、話があるのか、何の?
「ご友人の会社ですが、須藤が激昂したため、多分、跡形もなく消えると思います。良かったですね、鏑木様は人間で。その事に関しては、何かありますか?」
裕介は今言われた事が理解出来ないまま、顔を上げた。
「ご友人から何か言われると思いますが、大丈夫でしょうか?」
「いや彼は元同僚なので、大丈夫だと思います」
「その程度の関係で今回の事を何故したのですか? お互いにあまりメリットがないと思われますが」
「妻が、騙されていると言われたんで、やっぱりと。騙されている証拠があれば、妻もウチに帰ってき易いと思ったんです」
「騙されている? どなたにですか?」
「あの、妻を社長にした人、名前が…」
「須藤ですか?」
「はい、多分」
弁護士が突然ゲラゲラ笑い出した。そして、申し訳なさそうに、2、3回咳をして、
「大変失礼しました。須藤旬の名前、ご存知なかったんですね。わかりました。そうなんですね。話を戻します」
まだ苦しそうな弁護士は冷静に戻ろうとするが、戻れてないまま、
「まずご友人の会社から何を言われても、対応されない事をお願いします。言質を取られる事もありますので、結構ですとか了承するという返事をせず、弁護士に相談しますとか、その件に関しては即答できませんと、お断りしてください。できますか」
裕介は頷く。
「後、今回の事で、キョウコさん周りも少しきな臭くなってますので、行動に気をつけてください。ないとは思いますが、今回のご友人以外の方ともお会いになる事も控えた方が宜しいかと」
「あの会社を跡形もなくと言うと、どうするんですか?」
「聞きたいですか?聞かない方が宜しいかと思いますけど」
黒い微笑みを見せた弁護士が
「そうですね、里依さん、あ、須藤個人秘書です、からの調査では取るものも得る物もない会社という事なので、まず仕事のできる社員をその会社から引き離しますね。会社がガタガタになった時にまあたまに個人情報を売る社員が出てきますので、それを相手取り訴訟を起こしたり、そんな事がなければ、役員に揺さぶりをかけ売却を示唆させます。今回はコレといった資産もないようなので、売却時に叩いて、目星い物が出てくるか見ますが、まあないのは分かってますので、社長の個人財産の差押をしたり役員のもですかね。後は、株式を買い集め高くなった時に売る。まあそんな感じです」
裕介は、言ってる意味が理解できない。
それに気がついたのか弁護士は
「私達は、会社をバラバラにしたりくっつけたりと、そんな事をするのが仕事なんです。新しく会社を起こす事もありますけどね」
「社員とかはどうなるんですか」
裕司は同僚の顔を思い出しながら、訊ねた。
「それはそれ程度の会社にいたのが悪かったとしか言えません、運が悪かったんです。でも今回のこの件は、運ではなく、頭ですけどね。あの須藤に喧嘩売ったんですから」
「あーですから、先程も言いましたが、不用意に人と会うのはコレ以降はご控えください。もう貴方も一般人ではないのですから」
と言われ、裕介はの頭に再び、疑問が出てきた。弁護士は薄ら笑いを浮かべ
「カリスマ主婦、キョウコの夫という位置にいるんですよ。世間からは成功した主婦の夫なんです。今回みたいに、昔の同僚やちょっと飲んだ関係、同級生とか沢山のお友達が貴方をチヤホヤしてきます。なので、あのウチから追い出されるような行為をしないで欲しいと、須藤の弁護士として切に願います。こんなつまんない案件、私の仕事ではありませんから、もう二度とごめんです」
そう弁護士はそう言い、残ってる全ての書類にサインを求めた。
裕介は求められる場所に機械的にサインをした。
最後にと弁護士が、
「おウチの方に、週に3回程度、ハウスクリーニングが行きますので、対応してください。費用の方はキョウコさんが持ちます。最初は大掃除として、1日、ふつか、専門業者が入りますので、それもお願いします。そして、今の別居状態は、仕事の忙しくなったキョウコさんが都内に住んでるという事にしてください。何かありましたらこちらに連絡いただけると助かります。何もなくても、月一くらいに報告して欲しいと思いますが」
と言う。裕介はなんでそんな事をしてくれるのか疑問だったので、確認してみると
「キョウコさんに頼まれたのもありますが、カリスマ主婦の夫が孤独死していたらその後の対応も大変なので、私もつまらない仕事を増やす気はありませんから」
「みんな恭子、恭子なんだ」
薄ら笑いを浮かべた弁護士に
「須藤を止めましたが、私は今回、キョウコさんと離婚についての打ち合せで、色んな証拠を積み上げていくうち、こんなひどい事をする人間がいるのかと、私も思っております」
裕介は、弁護士の言ってるひどい事に思いが浮かばなかった。
「私は民事でも企業買収とか法人案件が専門ですが、司法研修時代に、離婚調停も経験しておりますし、須藤の個人弁護士でもあるので、一応はその辺も勉強はしおります。その中でも鏑木様の奥様に対する態度に私は怒りを覚えます」
そんな事を言われて裕介は
「あれはオレの妻なんだから、オレがちゃんと養っていた」
と言う。
「妻として母親として、家庭に繋ぎ止めていて、なに言っているのですか。給料を渡したとか言っても毎月毎月、大変だったとキョウコさんが言って、家計簿見せてもらいました。あの金額で養っていたと言うのですか? その上、好きなことさせず、自由を奪ったんですか?」
「アイツは好きな事やってたはずだ、現に旅行とかひとりで行ってたし」
「自分のわかる範囲で納得のいく行為は認めるが、自分の元を離れる行為には力で従わせることが自由ではないと思います。もし、相手を尊重していたら、こんなに離婚調停の証拠がありません」
「それは恭子が、離婚したいと思って揃えていたから出てくるじゃないか」
「では鏑木様、キョウコさんはいつから離婚を望んでいたと思いですか?」
「いつから? それは」
裕介は気がついた、もしかしたら、最後に子供ができた時か。
「鏑木様、最後にひとつ、もうキョウコさんに固執しないで欲しいと、今回の件で本来は離婚されても仕方ないと自棄にならず、女性が成長するという事を見て欲しいです。家に家庭に縛り付けられた、女性が、ひとつ一つ成長していく事を。それだけの女性を家庭に縛り付けいた自分の罪を考えて欲しいと思います」
ではと、弁護士は立ち上がり、退出を催促した。
同僚からは、連絡もないまま、気がついたられたあの会社は本当になくなってしまった。
そして、弁護士に言われたように週3回ハウスクリーニングが来て、部屋をきれいにしてくれる。
あれほど大変だった掃除がなくなり、自分の食事と服の洗濯だけの家事になり、裕介は暇になった分、恭子の残した庭の薔薇の世話を始めた。きれいになった庭を見て、裕介は
「こんなことしても、恭子が戻って来るわけないのになぁ」
と独り言を溢す。
たまに、近所の人が奥さん見かけないけど、どうしたとか聞いてくるが、仕事始めたので忙しいからと、言葉を濁す。
裕介の中には、恭子がオレにDVを受けたという事実があるのだろう。しかし、裕介にも、女が家庭の事やるのは当たり前だと思うし、それが女の幸せなんだろう? 間違った事をすれば叱るのは夫であるオレしかいない。それをDV と言われたらたまったもんでない。そんな思いもある。
それにそんなに嫌なら一言言ってくれてもとの思いがある。
「結婚ってなんなんだろ」
そんな事を呟いて思うことは、オレ間違っていたのか?
裕介は、がむしゃらに働いていたんだ、会社の編成が変わり部署も変わった。パソコンに不慣れな上、歳もあり若い子達なみたいに器用でなかった。それでも一所懸命頑張って仕事して、家族を幸せにしようと思っていたんだ。それに間違いはなかったはずだ。
しかし、こんな大きい家を建てても誰も残っていない。その事実が重い。
植木の世話を終え、シャワーを浴びて、リビングで寛いでいても、お茶が出てくるわけでなく、ペットボトルからお茶を入れ、喉の渇きを潤している。裕介は、ペットボトルを眺め、
「はあ、こんな物、飲める訳ないだろ。茶を入れるの面倒だと、本当に鈍ってる」
と妻を罵倒した事を思い出した。
「そうだよな、なんであんな事言ったんだろ。お茶くらい手間じゃないだろうと、あの時はそう思ったんだ。ただそれだけだった。自分で入れるとか、全く思わなかった、それがか」
いや、恭子だって、嬉しかったはずだ。ニコニコして入れてくれたんだ。そう思おうとしたら、具合の悪そうな恭子が、お茶をいれてるシーンが、甦ってきた。
裕介はこの頃、あの弁護士が言った、オレが妻にひどい事をしていたというのは、こういうことの積み重ねかと、そんな事ツラツラ思う裕介は、取り返されない月日を思い暮らしている。
あと、キョウコさんと須藤クンの初めての二人旅を書いて、このストーリーはおしまいです。
もしかしたら、喋りたい人が出てきそうなんですが、