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だから違うんです……!

 アーネスト様のご自宅にお邪魔すると決まってから私は着ていく服を早々に選んだ。

 そして残りの日数は謝罪文を考えることに専念していた。

 紙の無駄遣いはできないので全部頭で思い浮かべて庭の地面に小枝で書いては消し、書いては消しの繰り返し。

 あらかた固まったところで暗記するという、ピンチのはずなのにケチ臭い手法。

 そんな私を見て、お父様は「今日も精が出るな」と声をかけてくることがあった。

 ……冤罪とはいえ娘に不倫疑惑が出ているのになぜ他人事なのか。

 率先してアーネスト様のお宅に謝罪文を出すべきなのでは? という私の問いにお父様はこう答えた。


「私が出れば嘘が真実になるぞ」


 なるほど。言われてみれば相手は密かに個人面談で終わらせようとしているのに、クレマン伯爵家が表だって出てしまえば、誤解でも真実だと公表してしまう恐れがある。

 だから自分でなんとかしろと言いたいのだろうが、さすがに仕事のミスで謝罪をするときとはわけが違う。

 悪魔の証明は難しいのですよ! と半ばやけになるものの時間は止まってくれず、ついに当日を迎えてしまった。




「胃が痛い」


 お腹を押さえながら呟くと、眉をピクリと動かしたお父様が折りたたまれた小さな紙を差し出してきた。


「私の使っている胃薬だ」

「それ絶対効き目があり過ぎるやつではありませんか。……でも一応ありがたく頂戴します。使うことがないように祈っていてくださいませ」

「うむ。頑張ってこい」


 目から心配の色が読み取れるお父様から励ましの言葉をもらった私は力なく頷いた。

 本当に胃が痛い。暗記した文章が右から左に流れていきそうなくらいに緊張している。

 けれど、いつまでも留まっていることはできないので、私は胃痛と闘いながら外装だけは立派な旧型の馬車に乗り込むのだった。

 乗り心地が最悪で慣れていないと余裕で酔ってしまいそうな揺れの中、私は眉間にしわを寄せて前屈みになる。


「色味が落ち着いていて控えめで上品に見えるものにしてみたけれど、本当にこのお洋服で大丈夫なのか今更ながら不安になってくるわ……」

「お嬢様の年代のご令嬢がお召しになるものよりは少々大人っぽいですが、濃い紫ならともかく薄い紫色ですし、大丈夫ではないでしょうか?」

「だと良いのだけれどね」


 付いてきてくれた侍女に答えてみるものの心から安心はできない。

 第一印象が全てなのだ。対面した瞬間に勝負が決まると言っても過言ではない。

 勘違いとはいえ、向こうは私に良い感情を抱いているわけがないので尚更だ。


(ああ、また胃が痛くなってきたわ。緊張ですっぽり頭から抜け落ちるかもしれないし、謝罪の言葉を練習しておかないと)


 目を瞑りながら私は頭の中で何度も何度も暗記した文章を繰り返していた。

 そうこうしている内に、馬車はアーネスト様のお屋敷に到着したようで不快な揺れがゆっくりとしたものになっていく。

 完全に馬車が止まったところで窓から恐る恐る外を見てみる。

 目に飛び込んできたのは淡いレモン色の外壁が特徴的な立派なお屋敷と緑豊かな庭。

 細かいところまで綺麗に手入れされた庭に家の意気込みを感じる。

 予想を遥かに超える外観に私は完璧に尻込みしていた。

 外に出る勇気が持てず固まっていると、覚悟を決める前に外から馬車の扉が開かれてしまう。

 完全に退路を断たれてしまった。もう前に進むしか道は残されていない。

 頬を軽く叩いて奮い立たせた後、私はせめて間抜けな姿は見せないようにとできるだけゆっくりと馬車から降りた。


「ステラ様でございますね。お待ちしておりました」


 待ち構えていたケイヒル伯爵家の使用人に私はぎこちない笑みを浮かべながら軽く礼をする。


「ご丁寧にありがとうございます。中で奥様がお待ちですので、どうぞ」

「も、もうですか?」

「そのように身構えずとも大丈夫でございますよ。奥様はステラ様とお会いになるのを楽しみにしていらしたのですから」


 直接対決を楽しみにするとは、奥様は中々に肝の据わった方なのかもしれない。

 今も胃が痛いけれど、ここまできたらもう四の五の言っている場合ではない。

 とにかく謝罪と説明をして誤解を解くことに専念しよう……。


「……分かりました。では、案内をお願いします」

「畏まりました。こちらです」


 柔やかな表情を浮かべる使用人に案内され、私は屋敷の中に足を踏み入れた。

 屋敷の中は外観から受け取ったイメージそのままの高級感漂う調度品の数々が置かれており、私はただただ圧倒されるばかり。

 物珍しそうに辺りを見ている私を気にする素振りもなく、使用人は玄関からほど近いドアの前で立ち止まると、中にいるだろう奥様に対して声をかけた。


「奥様、ステラ様をお連れ致しました」

『入ってもらってちょうだい』

「はい。失礼致します」


 ガチャリとドアが開かれ、使用人が私に中に入るように促してくる。

 ついにきた……! と動悸が激しくなるのを自覚しながら重い足を動かした私はゆっくりと部屋に入っていった。

 室内に入って最初に目に映ったのは、こちらに背を向ける形でソファーに座っている黒髪の女性。

 どうみても彼女がアーネスト様の奥様で間違いないだろう。

 後ろ姿だから表情が見えないし、私のことをどう思っているのかも分からない。

 しかし、とにかく声をかけなくてはと思い、胸の前でギュッと手を握って口を開いた。


「お初にお目にかかります。ステラと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」

「あら、ご丁寧にどうも」


 私の挨拶を受けてアーネスト様の奥様が立ち上がり、こちらを振り返った。

 彼女の顔を見た私は目を見開き息を呑む。

 妖艶、という言葉は彼女のためにあると言わんばかりの美貌。落ち着いた上品な所作。吸い込まれそうな琥珀色の瞳。

 全てが完璧な美女がそこにいたのである。

 まるでそこだけ時間が止まったかのように錯覚するほどだ。

 気付けば自然と彼女に向かって両手を合わせていた。


「アーネストの妻のレティシアと申しま……あの、何をしていらっしゃるのかしら?」

「あ、申し訳ありません。あまりの神々しさについ」

「まあ」


 私の言葉に目を細めて微笑まれるレティシア様の姿はまさに美の化身。

 アーネスト様が一目惚れした気持ちが物凄くよく分かる。

 それにしても、こんな美女を悲しませていたとは……。

 あ、私もその原因の一人だった。

 レティシア様の美しさに惚ける前に、まずは事情を説明して謝罪をしなければ。


「あの……! お手紙を読ませていただきまして、奥様に勘違いをさせてしまったことを謝罪しようと」

「勘違い? これまでずっと主人を支えて下さったのではありませんか。遠慮することなどありませんわ」

「遠慮などではありません……! アーネスト様にお会いしたのはつい数週間前のことですし、そもそも二ヶ月ほど前に初めて王都に来たのですから」

「そうなのですか? では、主人が遠征した際に出会ったということなのでしょうか」


 は、話がかみ合わない……!

 頭からアーネスト様の愛人だと思い込んでいるから、こちらの話を聞き入れてもらえないのかもしれない。

 これはちょっと困ったことになってしまった。


「……いえ、遠征した際ということもありません。これまでアーネスト様と二人きりでお会いしたこともないのです。あ、この間は道でバッタリお会いして話はしましたが、それも数分のこと、しかも二回目です。一回目はライ様と三人でお話ししまして、そこで悩みを伺ってアドバイスしただけの知人なのです」

「ライ様……? 耳にしたことのない名の方ですが、主人の交友関係にそのような方がいたとは驚きです」

「ちゃ、ちゃんと実在する方ですから」

「そのように必死にならなくても、わたくしは別に貴女に対して怒っているわけではありませんのよ。むしろ、わたくしの至らなかったところを補ってくださったことに感謝しているのですから。嘘を仰る必要はありませんわ」

「嘘ではなく事実なのです……!」


 本当のことを言っているだけなのに言い訳がましくなって逆に怪しくなっているような気がする。

 一体どう説明したらレティシア様の誤解を解くことが出来るというのか。

 ……そうだ! 未成年だと言えば愛人だという誤解は解けるのではないだろうか。


「あの、本当にレティシア様の勘違いなのです。アーネスト様とは年齢が離れておりますし、そもそも私はまだ未成年なのです。レティシア様が思われているような間柄では決してありません」

「そうなのですか? お若そうに見えますけれど、未成年の方がお召しになるには落ち着きすぎのような気も……」


 まさかの逆効果……!

 なんということだ。威圧感を与える顔を和らげるための策が完全に裏目に出てしまった。

 でも、ここで黙ってしまったら不利な状況になってしまう。


「あ、あまり華美なものですと顔との相乗効果で派手過ぎになってしまうので、あえてこのような洋服を着ているだけなのです。年齢を誤魔化しているわけではありません。一応私は貴族の娘ではありますが、今まで社交界で私を見かけたことなどないはずかと」

「……髪も手もお綺麗ですしお召しになっているお洋服を見たら貴族だというのは事実なのでしょうね。それにステラ様の仰る通り、社交界でお見かけしたことはございませんし……。ということは本当に未成年なのですね。失礼ですが、おいくつでいらっしゃるのかしら?」

「十四になります」

「じ、十四……!? ということは、アーネスト様は十二歳の子供に……」

「どうしてそうなるのですか……!?」


 何も考えずにすかさず思いっきりツッコミをいれてしまった。切実に愛人という認識から離れていただきたい。

 けれど、私がツッコミをいれたことでレティシア様は自身の言葉の誤りに気付いた様子を見せている。

 少し冷静になってくれたようだ。よし。ここで畳みかけよう。


「もっとアーネスト様を信じてあげてくださいませ。私のような顔はタイプではないでしょうし、あの方はレティシア様一筋の真面目な方です。浮気をするような方ではありません。大事な情報を口にしない傾向があることはレティシア様がよく知っているはずです」

「……言われてみればアーネスト様は真面目過ぎるくらいでしたわね……。それに重要なことを省略してしまうところもお有りですし」

「ですよね。そもそもライ様から出された交換条件としてアーネスト様の悩みを解決するというということでお会いしたのです」

「交換条件、ですか?」

「はい。我が家の取引先を増やしたいことと上級貴族の利用する仕立屋を紹介して欲しいというお願いに対してのものでした」

「先ほどまでのわたくしであれば、即座に違うと口にしていたところですが、落ち着いた今、お話しする姿と貴女の目を見たら嘘を言っているようには思えませんわね。どうやら、わたくしは随分と混乱していたようです。あらぬ疑いをかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいですわ」


 レティシア様は頬に手を当てて伏し目がちになってしまった。

 これは誤解は解けたと見て良いだろう。

 嫌な緊張感から解き放たれた私はホッと胸をなで下ろす。


「いいえ。それだけレティシア様がアーネスト様を想っているということですもの。こちらも誤解されるようなことをしてしまったことを謝罪致します。申し訳ありませんでした」

「ステラ様が謝罪なさる必要はございませんわ。わたくしの早とちりが悪いのです。それと主人の悩みにアドバイスをしていただき、ありがとうございました」

「とんでもないです。端々からレティシア様への深い愛情を感じられたので、お二人の距離が縮まったことは私としても本当に嬉しいことでした」

「ま、まあ。アーネスト様が……」


 頬を染めて隠しきれない笑みを浮かべるレティシア様。

 可憐な少女のような表情がまた魅力的である。


「ちなみにアーネスト様はどのようなことを?」

「花を贈った際のレティシア様の喜ぶ顔がもう一度見たいとか一目惚れだったとか」

「本当ですの!? アーネスト様も一目惚れだったなんて……運命だとしか思えませんわ」

「ということは、レティシア様もですか?」

「ええ。両親から紹介されて初めてお会いしたときに一目惚れしましたの」


 なんと、アーネスト様と同じではないか。

 本当に運命ってあるんだ。

 物語のような出会いに私はワクワクしてしまう。

 が、その気持ちは続けて口にしたレティシア様の言葉によってひっくり返ることになる。


「アーネスト様の筋肉に」

「はい? 筋肉、ですか?」

「ええ。腕まくりしたときに見えた鍛え上げられた筋肉がわたくしの好みにピッタリだったのです。それに服の上からでも分かる逞しい胸板にときめいてしまって……。よくよく見てみればアーネスト様は、まさにわたくしの理想とする筋肉をお持ちでしたの」

「なるほどー」


 イイハナシニナリソウダッタノニナー。


「ですので、勝手に運命の相手だと思って舞い上がっておりましたの。なのにアーネスト様はあまり声をかけてくださらないし、話しかけてもつれない態度で寂しい思いをしておりました。それがこの間、ようやく想いが通じ合って本当に天にも昇る心地で……。今は周囲に触れ回りたい気持ちでいっぱいですのよ」

「お気持ちは分かります。アーネスト様の喜びもかなりのものでしたから。お二人の仲が上手くいったようで何よりです。」

「そうでしたのね。それなのにわたくしったらとんでもない勘違いをして……お恥ずかしいかぎりですわ」


 最初は妖艶な美女だと思ったけれど、恥ずかしがる様子とかを見ると内面はとても可愛らしい方なのだと分かる。

 愛人だと疑われたときはどうなることかと思ったものの、誤解が解けて良かった。


 そうしてレティシア様と和やかに会話をしていると、玄関の方から騒がしい声が聞こえてきたのである。

 走っているような足音がしたと思ったら、急に部屋の扉が勢いよく開かれて息を切らせたアーネスト様が飛び込んできたのが見えた。


「レティシア……!」

「あら、アーネスト様。慌てているようですけれど、一体どうしたというのです」

「君がステラ様を家に招いたと聞いて慌てて帰宅したんです」

「貴方がそこまで慌てるなど珍しいですわね。ステラ様をお呼びしてはいけませんでしたか?」

「あ、いや……そうではありませんが……その……。恩人とはいえ身元がハッキリしない者を招くのはどうかと思いまして」

「大丈夫ですわ。お話しして、ステラ様はとても良い方だと分かりましたもの。アーネスト様のご心配には及びません」


 確信しているかのようなレティシア様の言葉にアーネスト様は「いや、ですが」と半信半疑だ。

 いくらアドバイスして上手くいったからといって出会ったばかりで信頼関係はないに等しいのだから、彼の態度は当然のものだと思う。


「アーネスト様の仰ることは間違っておりません。事情があったからとはいえ、屋敷の主であるアーネスト様の許可を得ずに来訪するのは少々軽率でした」

「わたくしが内密にお呼びしたのですから、ステラ様が申し訳なく思うことはございませんわ。罰はわたくしが受けます」

「ちょ、ちょっと待って下さい。私は心配して帰宅したのであって、咎めようとしたわけではないのです」


 その言葉に私はレティシア様と顔を見合わせて首を傾げた。

 一体アーネスト様は何を心配して帰宅したというのか。


「相変わらずアーネストは言葉が足らないな」


 不意に聞こえた第三者の声に私が振り返ると、いつから居たのかライ様が腕を組んで呆れ顔で扉付近に立っていたのである。


「ライ様」

「まあ、ライナス殿下ではありませんか」


 ん? ライナス“殿下”?

 今、レティシア様はライ様のことをそう言ったわよね。

 殿下って王族に対する敬称だと思うのだけれど、それを口にしたということは……。


「……もしかしてライ様って王族だったり、します?」


 恐る恐る口にした私の問いに、その場にいた面々が驚愕の表情を浮かべた。

 お前は何を言っているんだと言わんばかりの顔である。

 もしかして誰もが知っていることだったのだろうか。

 未だに疑問に思っている私を見かねたのかレティシア様が信じられないような表情を浮かべながら口を開いた。


「本当に知らないのですか? ライナス殿下は我が国の第一王子ですのに……」

「え、第一王子!?」


 分家とかでなく直系の王子様だったことに私は腰を抜かしそうになる。

 そんな人に今まで気安く話しかけていたとは……。

 これまでのライ様との会話を思い返して、何か不敬を働いていないか不安になってしまう。

 そんな私を見て他の方は更に呆れ顔になっていた。

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