覚悟を決めてくださいませ
ライ様とアーネスト様と別れて帰宅した私を待ち構えていたのは、見慣れた仏頂面を浮かべたお父様だった。
「こちらに来なさい」
私の反応を見ることなく、お父様は書斎の方にさっさと行ってしまう。
雰囲気的に怒っているというわけではなさそうだが、急いで行く辺り何か込み入った話があるのかもしれない。
(お父様はいつも言葉が足らないのよねぇ)
きちんと理由なり何なり話して欲しいところである。とはいえ、このままジッとしていても埒が明かない。
私はわけも分からぬまま、呼ばれた理由を聞こうとお父様の後を追いかけた。
書斎に入ると、仁王立ちしているお父様といつの間に来ていたのかソファーに座って満面の笑みを浮かべる叔父様がいたのである。
前回から短期間で来訪した叔父様に会釈をした私は、取りあえず呼んだ理由を聞こうと口を開いた
「何かお話ししたいことがあるのですか?」
「……会ってきたのだろう。どうだった?」
お父様の言葉に一瞬だけ首を傾げたが、帰宅直後だったこともあってすぐにライ様達のことだと察しがついた。
「良い答えを出せたと思っております。尤も、今後はお相手の方次第にはなりますが」
「そうか。人の色恋沙汰の相談など、経験のないお前では大変であっただろうによく頑張ったものだ」
「いえいえ。叔父様のお蔭ですよ」
あと前世の記憶があったからね。
恋愛のことだったらそれなりに知識もあるし、叔父様の言葉もあったからなんとかなったようなものだもの。
無事に終わってホッとしましたよ。ええ。
ああ、そうだ。咄嗟に叔父様の名前を出してしまっていたわね。本当に助かりました。ありがとうございます!
感謝の意味も込めて叔父様に向かって深々と頭を下げると、彼はこれでもかというくらいに目尻を下げて笑ってくれたの。
「金糸雀ちゃんの役に立てたのなら、これ以上の喜びはないよ。できることなら抱きついて欲しいところだけれど」
「ご所望でしたらやりますよ」
「あ、本当に? じゃあ、お願いしようかな」
手を広げて受け入れる態度を取った叔父様だったけれど、すぐにお父様からストップがかかった。
「エステルの年齢を考えろ、ベネディクト」
「はいはい。相変わらず兄さんは石頭だよねぇ。ああ……石頭といえば、あのアーネスト卿も相当だったね。女性の扱いに不慣れだからって奥様との会話を疎かにするなんてあってはならないことだよ」
「政略結婚であればこそ相手の気持ちを汲み取り、考える必要があるというのにな」
「それだよね。その点においては、義姉さんをよく見て本当に欲しいものを贈っていたんだから、兄さんはさすがだと思うよ。当初は拒否されまくってたけどね」
当時を思い出した様子の叔父様が大きな笑い声を上げる。
彼を見てお父様はムスッとした表情を浮かべるけれど、事実だったのか文句を言おうとはしなかった。
私が生まれる前の話だから現場を見たわけではないけれど、お母様の日記でそのときの記述があったのを覚えている。
お父様もお母様相手にとっても頑張って夫婦仲を築いたのだから、アーネスト様にもぜひそうなってもらいたい。
腕を組んでウンウンと頷いた私だったが、次第にあれ? という疑問が浮かんできた。
普通に会話が始まったから流していたけれど、お父様と叔父様がアーネスト様の話を知っているのはおかしくないだろうか?
帰宅直後に声をかけられているのだから、護衛から話を聞くのはまず無理である。
そもそも彼は聞こえない位置にいたのだから、内容をしることは不可能だ。
どういうことなのか分からず、私は二人の顔をマジマジと見つめていた。
「あの……普通にお話しになっておりますが、なぜお父様も叔父様もアーネスト様とそのお悩みについて知っているのでしょうか?」
「お前達が会話している様子を離れた場所で我が家の忠実な犬が見ていたからだ」
「いえ、それでも声は聞こえませんでしょう?」
「あれは読唇術に長けているのでな。誰か一人の唇の動きさえ分かれば、自ずと会話の内容も察することもできよう」
「能力高すぎませんか!?」
あと娘に知らせずに勝手に跡を付けさすのいい加減、止めて下さいよ!
アーネスト様から他言無用だって言われているのに違反しているじゃないですか。
バレたら全てが台無しになってしまうでしょ。
「誰にも言うなというお約束なのですから、お父様も叔父様も絶対に人に言っちゃダメですからね!」
「そもそも言う相手がおらんわ」
「他の男の話題を出すなんて無粋なことはしない主義だからね」
「何かしら、この謎の安心感は」
深く考えたら心に傷を負いそうだから止めておくとして、ひとまず話が広がるのは食い止められそうである。
「お父様はともかくとして、叔父様がそのような主義で良かったですよ」
「口の軽い男は信用されないからね」
「女性限定なのはどうかと思うがな」
「男と会話しても面白くないんだよ。つまらないだけで無駄に時間が過ぎるだけだし。それなら華やかな女性達と過ごした方が人生は楽しくなるでしょう?」
叔父様の女性第一主義な発言にお父様は呆れ顔のままため息をついた。
「まったく、お前という奴は……。だが、今回はそれによってエステルが助けられたのだから分からないものだな。昔から娘の教育に悪いのではないかと思っていたが、意外なところで役に立つものだ」
「何事も経験ということが身に染みましたね。知識を授けてくださってありがとうございます」
「いいのいいの。それにしても、いつも塩対応の姪っ子がデレてくれるのはとっても嬉しいものだねぇ。できれば毎回そうならより嬉しいんだけれど」
「善処します」
「塩対応に戻っちゃった……」
顔を手で覆ってわざとらしく鳴き真似をし出してしまった。
こういうところが女性の母性本能をくすぐるのかもしれない。
それでいてたまにキリッとした表情も見せるのだから、色男とは恐ろしいものである。
ある意味、味方にしたら心強いけれど敵には回したくない相手だ。
「いい年なのだから情けない姿を晒すな。今日はお前の話をしに呼んだのではないのだぞ」
「はいはい。兄さんは昔っから石頭というかクソ真面目というか。面倒な性格をしてるよね」
「お前がそのように年相応の振る舞いをしないからエステルがやけにしっかりとした娘に育ってしまったのではいか」
「いえ、大部分はお父様が要因ですよ」
一瞬にして室内がシーンと静まりかえった。
前世の記憶があることを差し引いて考えても、お父様の対人面やら商売下手やらを目の当たりにして奮い立ったところはある。
だというのに、お父様はなぜか固まってしまっているし叔父様は焦った表情を浮かべていた。
「あれだけ私から小言を言われていたのに自覚がなかったことにこちらが驚きますよ。大体、お父様のお金の使い方がとんでもないから我が家が没落の危機に瀕しているのではありませんか」
「それは……」
「まあ、一理あるよね」
「一理どころか百理あるではありませんか。他の貴族との交流を絶っていたから、このような状況になっても頼れる相手がいないのですし、伝手を頼ることもできないのでしょう? 肝心の叔父様は色々な理由を盾に力になってくださらないし」
「そういう契約だから仕方がないんだよねぇ」
普段は自分の思うままに生きているのに、こうと決めたら譲らないのだから。
この頑固さは、さすがお父様の弟なだけあるわ。
「分かっております。ですので、私が主体となって動くしかないと思ったわけです。今回は上手く言えば次に繋げられそうですので、しがみついてやりますよ」
「いやー逞しい限りだね」
「叔父様……他人事のように言ってますけれど、当事者でもあるのですからね? うちが没落したら叔父様だって困ってしまうでしょうに」
「困るけれど、生きていくだけなら支障はないかな? 父さんから一人で生きていけるように育てられているからねぇ」
飄々と笑っている叔父様が非常に憎たらしい。
「叔父様は生きていけるかもしれませんが、使用人はそうではございません。ただでさえ評判の悪い我が家に仕えていたのですから、再就職はかなり難しいものだと簡単に想像がつきます。私は彼らから沢山の愛情を受け取りました。それを仇で返すようなことはしたくないのです」
「本当、エステルも父さんや兄さんに似て変なところで真面目だよねぇ」
「真面目が不利になることもありますが、得をすることの方が多いのではありませんか?」
「普通ならね。でも、貴族社会で生きていくとなると狡猾さも時には必要になるんだよ。あそこは基本足の引っ張り合いだからさ。そういう場に可愛い君を送り出すのは不安でしかないけれど、覚悟の上ならたまに何か言うけど基本は黙っておくよ。君の使用人達に報いたいという気持ちも分かるしねぇ」
たまには言うのか……。
それにしても、叔父様といいお父様といい危機感が薄すぎる。
「貴族との駆け引きは想像するしかできませんが、相手も人なのですから真摯な態度を心がければ耳を傾けて下さる方もきっといます。慌てろとは言いませんが、お父様もそろそろ覚悟を決めてくださいませ。貴族との商談には当主であるお父様の存在が必要不可欠なのですからね」
「……ベネディクトがいるだろう」
「当主がいるのに代理を立てるのは相手に失礼です。侮られていると不信感を持たれてしまいます。口下手で人見知りなところがあるのは承知しておりますので、私もできる限りサポートしますからいい加減に重い腰を上げてくださいませ」
私の言葉を受けてもお父様の表情は変わらない。
頑固にも程があると思うし、我が家の財政状況を見て欲しい。
「もう悠長に眺めている場合ではないのですよ? お父様だって没落したくありませんでしょう?」
「確かに困るが、父がやったことは広く知られているし、汚名を返上するのは並大抵の努力でできることではない。父から栄えるも滅びるも好きにせよと言われていたこともあって、流れに身を任せるのが一番だと思っていたが。……まだ子供のお前にそこまで言われてしまってはな」
「では……!」
「他人と話すのは苦痛だが、商談の場には極力出るように努力はする。……はあ、誰とも接することなく過ごせると思っていたのだがな」
ようやくお父様が覚悟を決めてくれた。
意見を翻さないように最期のぼやきは聞かなかったことにしよう。
でも、これはまだスタートラインに立っただけだ。
後は我が家の商品が通用するかどうか調べるのと、招待されたとき用に流行のドレスに近い物をピックアップすること、それと貴族との茶会などに呼ばれるように人脈を広げていく必要がある。
それらは、アーネスト様の結果次第。自分で動けないから不安もあるけれど、上手くいくように祈るだけだ。
頼みますよ、アーネスト様。
という私の願いは翌々週くらいに意外な形で叶うことになる。
そう、当事者であるアーネスト様が差し出してきた手紙によって……。