エステルの意地
お父様の良かれと思ってが炸裂してから一週間。
交渉人の彼が情報収集を得意とすると知った私は、それなら悩みを解消して欲しいというライ様の知人が誰かを調べてもらおうとお父様に掛け合ってみた。
すると「知ったところで悩みの内容が分かるわけでもないだろう」と至極真っ当な正論で断られてしまった。
こうして何の成果も得られないまま、私はライ様との約束の日を迎えてしまったわけである。
事前に何も分からないまま向かう不安から、できれば簡単な悩みであって欲しいと私は切に願う。本当に。
ということで、約束の時間の三十分前に着くように一週間前にライ様と会ったカフェの前に護衛と共に向かった。
当然ながらライ様はまだ来ておらず、不審者と思われないように気を付けながら彼がやってくるのを今か今かと待ち構えること約十分。
遠くの方から背の高い男性を連れたライ様らしき人の姿を私は発見した。
彼が悩みがある人なのだろうかと思いつつ、互いの顔が完全に認識できる距離になった辺りで私は二人に向けて頭を下げる。
向こうも私に気付いたのか会釈を返してくれた。
「ライ様、お久しぶりです。本日はよろしくお願い致します」
「ああ、よろしく頼む。アーネスト、こちらが話していたステラ嬢だ」
「アーネストと申します。ライ様からお話は伺っておりますが……」
口にしながらアーネスト様は『こんな子供が相談相手?』というような目を私に向けている。
見た目からすると彼は二十代半ばくらい。
大人な彼の悩みを十四、五の子供が解決できるのか、という疑惑を持たれても仕方がない。
こちらとしても年の離れた相手を連れてくるとは思っていなかった。
一気に難易度が跳ね上がったかもしれない。果たしてどんな悩みを持っているというのか。
気になってそれとなく見たところ、彼は生真面目そうで非常に筋肉質で立ち姿が堂々としている。体を鍛えているところを見ると騎士とか護衛とかの職業なのかもしれない。
『ライ様』と呼ぶということは、彼がライ様の部下に近い立場とみて間違いなさそうだ。
とはいえ、職業やら背後関係を推測したところで彼の悩みが分かるわけではないのだけれど。
「さて、それでは中に入ろうか」
辺りを見回しながら促してきたということは、あまり人に見られたくないのだろうか。
なんてことを考えたところで、外では悩みの内容を聞くことはできないのだから気にするほどのことではない。
彼の言葉に同意した私は二人の後に続いてカフェの中に入っていった。
待ち構えていた店員さんに案内されたのは奥まったところにあるテーブル席。
近くにお客様はおらず、秘密の話をするにはもってこいの場所である。
手前に私、奥側にライ様とアーネスト様という形で着席すると、早速向こうから本題を切り出してきた。
「以前に話をしていたから再度説明する手間は省かせてもらう。今日は彼、アーネストの悩みを聞いて解決する策を提示してもらいたい」
「私でお役に立てるのであれば喜んで」
「……では、アーネスト」
「はっ」
コホンと咳払いしたアーネスト様が姿勢を正して私と視線を合わせてきた。
かなり真剣な表情に深刻そうな雰囲気を察知して、こちらも自然と背筋が伸びる。
「最初に約束していただきたいのですが、誰の助けも得ずにステラ様お一人で考えた答えを教えてもらいたいのです」
「承知致しました。これはライ様が私に頼まれたこと。ですので、私一人でアーネスト様の悩みを解決するよう尽力致します」
胸を張って答えると、アーネスト様はチラリと私の後方に視線を向けた。
そこにいるのは私の護衛……ということは、彼が聞くのはアウトだということ。
初対面で信頼関係など皆無だろうし、アーネスト様は最初から私を疑って見ているから仕方がない。
振り返った私は申し訳なさそうな表情を浮かべながら護衛の彼に向かって口を開いた。
「申し訳ないけれど、少し離れた場所にいてもらえるかしら?」
「……畏まりました」
間のあき方からして護衛は納得していない様子だが、それでも私の意を汲んで離れた場所に移動してくれた。
確認した後で体の向きを戻すと、アーネスト様が謝罪するかのように軽く頭を下げていた。
「ありがとうございます。ではお話しさせていただきます。……私の悩みというのは、妻に何をプレゼントすれば良いか教えて欲しい、というものなのです」
うんうんと頷き、私はアーネスト様が続きを話されるのを待つ。
しかし、彼は口を閉ざしたままこちらを見つめている。
(え? もしかしてそれだけ!?)
本当に? と訝しげにアーネスト様を見るが、続きを話し始める素振りがまったくない。
奥様への贈り物の相談とは、なんという簡単な依頼なのだろうか。楽勝ではないか。
身構えていた分、肩すかしをくらってしまったが、これなら私一人でもなんとかなる。
「それは奥様のお誕生日の贈り物ということでしょうか?」
「いや、違います」
「でしたら、お茶会など外出する日が近いので、何か贈ろうかと思っていらっしゃるとかでしょうか?」
「それも違います」
「となりますと……もしかして奥様の喜ぶ顔が見たいから、という理由とか?」
「ああ、そうです。その通りです」
なるほど。何かのイベントであれば、それに関係する物で質の良い物を贈るのが一番だと思ったけれど、そうでないなら情報が全くない状態で提示できる物は何もない。
もう少し踏み込んで聞いてみよう。
「アーネスト様の奥様はどういった物がお好きなのでしょうか?」
「分かりません」
「はい?」
分からない? この方、分からないって言った?
「えーと、最近ご結婚なさったとか?」
「いえ、結婚して二年ほど経っております」
「そ、それだけの期間があるのなら、些細なことでもよろしいので何かあるのではありませんか?」
「…………申し訳ないですが、記憶を辿っても思い浮かびません」
マジか……と私は項垂れた。
いや、まだだ。まだ聞けることはある。奥様の普段の服装などを聞ければ糸口は見つかるはずである。
「もう少し教えていただきたいのですが、奥様は普段どのようなお洋服で過ごされているのですか? あとアクセサリーとかもご存じなら教えてくださいませ」
「私が贈った物を着用していますね。アクセサリーもです。それ以外で見かけることはありません」
「な、なるほど。……ついでに奥様の見た目も教えていただけると助かるのですが」
「妻の美しさを表す言葉は世界中を探しても見つからないですね」
もうどうしろというのだろうか?
何のヒントも得られなかった。というか私の聞き方が悪いのだろうか。
いや、これはアーネスト様自身に問題がある、と思いたい。
これでは奥様に何を贈ればいいのか提案すらできない。
楽勝だと思っていたら、とんだ難問ではないか。
考え込んでしまった私を見てアーネスト様は、やはり無理だったかと諦めるようにため息を吐いている。
私はまだ何も言っていないじゃないか。諦めるのはまだ早いから結論を急ぐのは待って欲しい。
「どうだい? 何か良い案は浮かんだかな」
黙り込んだ私に向かって、やけに楽しそうなライ様の声が届く。
何がそんなに楽しいのかと彼を見ると、涼しい顔をして他人事のように紅茶を優雅に嗜んでいた。
そうして、私と視線を合わせて意地悪そうな顔をして笑いかけてきた。
「ギブアップするなら先日の話はなかったことになるが、どうする?」
「もしや、この事態を予測しておいででしたか?」
「さあ、どうだろう。君の好きに解釈するといい。ただ俺はアーネストの性格を熟知しているから、答えを出すのは相当難しいと思っているし、本人もそう思っている。本人の意思は別として、俺としては君が解決できてもできなくても構わないと思っている。君がどういった答えを出すのかだけを知りたいんだ」
まるで挑発するような言葉と眼差し。この事態を面白がっている節さえある態度。
彼の行動を見て私は確信する。
彼は私を試していると。
アーネスト様の悩みが解消されるのは二の次。私がライ様の満足する答えを出せるか否かだけを望んでいる。
これは割とイイ性格をしていらっしゃるようだ。
下を向いた私は膝の上で手を強く握った。
「……ふ、ふふ」
下を向いて肩が震えている私は端から見たら泣いているように見えるだろう。
だが、全く違う。
私は笑いと怒りを堪えているのだ。
あまりに舐められたものである。ふざけるなとテーブルをひっくり返してやりたい。
(この感覚、十数年ぶりだからすっかり忘れていたけれど、思い出したわ)
ブラック企業で働いていた前世の私は、お客様や上司から無茶な要求をされるのは日常茶飯事だった。
泣き寝入りするような大人しい性質ではなかったので、やってやるわ! と逆に燃えたものである。
ふっかけられた無理難題を完璧にこなして持って行ったときの上司やお客様の、あの苦虫を噛み潰したような顔を見るのがとてもすごく快感だったのを覚えている。
それだけを生き甲斐にしてきたところがあるので、前世の私は割と病んでいたと思う。
お母様という薬があったから記憶の彼方に葬り去っていたが、久方ぶりの挑戦に闘志が湧き出てくる。
このまま大人しくスゴスゴと引き下がるなんてできない。
(だったら、今回も無茶な要求をこなしてライ様の苦虫を噛み潰したような顔と満面の笑みで喜ぶアーネスト様の顔を拝んでやるんだから……!)
俄然やる気になってきた。
顔を上げた私は二人を見て、自信満々の笑みを浮かべてみせる。
見ていろライ様。開き直った女の意地を見せてやろうではないか。