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ライナス殿下側の事情

 レティシア様に呼び出され、ケイヒル伯爵家にお邪魔した数日後。

 その日、私は自然公園でベンチに座って木々のマイナスイオンをこれでもかと浴びながら穏やかなひとときを楽しんでいた。

 時折聞こえる鳥の鳴き声、風によってもたらされる木々のざわめき。

 ホッと心が落ち着く、そんな贅沢な時間。


 ……というのは真っ赤な嘘だ。

 あの日、帰宅後に私に似合うドレスを探していたけれどどれも派手は派手だが、私の顔に合っていないものばかり。

 すっかり忘れていたけれど、この顔を強調しないようにと選んでいたのだった。

 これでは見てくれがちぐはぐになって目立つどころではない。

 手持ちのドレスでなんとかなると思っていたが、これは自業自得である。

 屋敷にいても解決策は見つからなかったので、外に出れば何か良い案が浮かぶのではないかと取りあえず足を運んだだけのこと。


(無かったら作ればいいって話だけれど、私に似合うかどうかっていう問題もあるのよね)


 今の流行を考えるとこちらの意図していないドレスになる可能性もある。

 何着か作って、その中から選ぶのが最善だとは思うが、お金が勿体ないという気持ちが先にでてしまう。

 レティシア様のお茶会はごくごく身内の方がいらっしゃるそうだから、手持ちのドレスで十分だろうが、何かあったときのために勝負服は持っておきたいところである。

 どうしたものか……。


「はぁ……」

「また新しい悩み事かな?」


 ため息を吐いた私に話しかけてきたのは、なぜか先ほどやってきて平然と当たり前のように隣に座ってきたライナス殿下。

 第一王子ともなれば勉強とかで忙しいと思うのに……。


「まあ、色々と考えることがございまして。……それよりもなぜライ様はここに? 社会見学ですか?」

「いや、君に会いにきた」

「ほう」


 見目麗しい男性に微笑まれて言われる台詞としてはシチュエーションとしても最高だとは思う。

 思うのだが、私の心には何ひとつ響かない。


「悲しいほどに冷静なものだ。これでも顔には自信があるし、将来性もあると思うのだがね。君の心を動かすことはできないらしい」

「“目は口ほどに物を言う”ということです」

「それは?」

「どのような言葉を口にしても目は己の本音をあらわすものです。失礼ながらライ様の目からは私に対する特別な感情があるようには見えませんので」


 私の言葉を聞いたライナス殿下は目を丸くした後で面白そうに目を細めた。


「なるほど……。以前、君は人を見る目には自信がある、と言っていたがその通りのようだな」

「お褒めにあずかり光栄です、と言いたいところですが、ライ様も貴族を相手にしておられるのですから、相手が本心を言っているかお世辞を言っているかは分かるのではありませんか?」

「その判断基準は目ではなかったのでね。君の話を聞いてそういう見分け方もあるのかと感心したんだ」

「では普段はどのように判断されているのですか?」

「相手の雰囲気だ」


 それはそれで難しいのではないだろうか。

 でも、考えてみれば前世でも場数を踏んだ結果、相手が受け入れ態勢かそうでないか見分けられていた。

 私と同年代くらいなのに、もうその技を会得しているとは王子というのは大変なのだな。


「話が逸れてしまったが、今日は君に聞きたいことがあったから来た。ケイヒル伯爵家のお茶会の日程は決まったのかな?」

「え? ええ。お話があった翌日に招待状が届きまして、十日後にと書かれておりました。特に何の用事もないので出席の返事を出しておりますね」

「そうか。ならば、アーネストがその日休めないようにしておこう」

「別にお休みでもよろしいのではありませんか? きっと心配でお仕事にならないかもしれません」

「女性ばかりのお茶会に男がいては話が盛り上がらないだろう。ぜひ君には今の貴族の状況を偽りなく知って欲しいのでね」


 言われてみれば、女性だけのお茶会は女子会みたいなもの。そこに男性がいたら本音は出てこないかもしれない。

 心配性なアーネスト様には申し訳ないが、ここはライナス殿下に従っておこう。

 心の中で謝罪しつつライナス殿下を見ると、彼は私が考え終わるのを待っていたようで目が合った瞬間に口を動かした。


「それともうひとつ、君に聞きたいことがある。あの場で話した件についてだ」

「……ケイヒル伯爵のお屋敷で話は終わったはずでは?」

「いや、あの場ではあやふやなままで終わってしまったのでね」


 あやふやと言われても当初の私の目的は達成されている。

 ライナス殿下との交換条件はあそこで終わったはずなのだが、まだ何かあっただろうか?


「その顔を見ると見当がつかないといったところか……。まあ、いい。だったら単刀直入に言おう」


 ライナス殿下は何やら真面目そうな表情を浮かべている。

 これは大事なことを言われそうだ、と私も口を噤んで見守っていると、少し間を置いて彼が口を開いた。


「俺の婚約者候補になってほしい」

「お断り致します」


 途端に静まりかえり、木々のざわめきが辺りを包み込む。

 一度目を瞑ったライナス殿下は私から視線を外してどこか遠くを見つめていた。


「婚約者ではなく候補としても断られるとは……。理由はこの間言っていたことと同じだろうか?」

「ええ。ですね。それとどうしても不思議なのですが、なぜ私なのですか? クレマン伯爵家の娘を候補とはいえ婚約者になど誰も賛成しないと思いますし、そもそもライ様であれば婚約者などよりどりみどりではありませんか」


 途端に微笑みを浮かべるライナス殿下。だが目は全く笑っていない。

 普通に思ったことを口にしただけなのに。

 どうやら私は彼の地雷を知らずに踏み抜いてしまったらしい。


「よりどりみどり……。王妃の幼馴染みを母に持ち、幼い頃から俺と交流があった伯爵令嬢がいたせいで、他の貴族は彼女が最有力候補だと勝手に信じ込んで最初から負ける勝負はしないと名乗りを上げることもしなかったのがよりどりみどりね」

「ライ様とそのご令嬢も幼馴染みというわけなのですね。気心が知れた仲だと思いますのにご不満なのですか?」

「不満しかないな。本人に妃としての資質がまったくない。与えられた場所で当然のように自分が妃になると信じ、向上心の欠片もない彼女をどうして選ぶと思うのか」


 珍しく表情を歪めて口にしているのを見ると、本当に嫌なのが伝わってくる。

 ライナス殿下は努力をしない人が嫌いなようだ。


「一先ずライ様がそのご令嬢に対して良い感情を抱いていないのは理解できました。ですが、それと私を婚約者候補にすることの関係性が分かりません。我が家は何の役にも立たないと思います」

「……クレマン伯爵家の真実の姿を知った今、正直に言うがクレマン伯爵家が婚約者候補に名乗りを上げることで他の家がまともな令嬢を候補として出してくれるのではないかと期待していた」

「むしろ、その伯爵家の支援に回りそうな気がしますけれど」

「それはないな。あの伯爵家は古参までとは言わないがまだ歴史は浅い。だが、隣国との繋がりが深く、取り引きを始める際のパイプ役を担ってくれた。後々取り引きで成功し、貴族の中で一番の富と権力を手に入れてしまったことで反感を持つ貴族も多い。支援に回るよりも両家が争っている間に……と考える者はそれなりにいるだろう。特に古参貴族はな」


 負ける勝負はしないが、抜け目がない貴族が多いということだろうか。

 ライナス殿下はそれを知っているから、我が家を巻き込もうとしたと。


「君にとっては迷惑な話だということはよく分かった。しかし、王家としてもこれ以上あの伯爵に力をつけさせることはできない。そもそも俺はあの令嬢が妃になることは断固として断りたい」

「他にも力のある貴族はいるのですから、それほど問題はなさそうに思えますが」

「今であればな。あの伯爵夫妻はかなり欲深い人達だ。そこに妃の実家という地位が加われば絶対に政治に口を出し始めるだろうし、他の貴族との均衡が崩れてしまう」


 他の貴族とのバランスまで考える必要があるとは王家は大変なのだな。

 考えてみれば、国王が社長としたら貴族という役職持ちの一人が経営の深い部分にまで口を出して、且つ影響力があるというのは危険なのかもしれない。

 そこは理解出来たが、我が家の真実を知ってなお婚約者候補にとはどういうことだろうか。


「我が家は何のお力にもなれないことは承知しているのですよね? なのになぜ」

「俺が個人的に君が妃であれば良いなと思ったからだ。俺とは違う着眼点を持ち、自分の意見を口に出せる君ならば切磋琢磨し合い国をより良い方向に導けると」

「私は口うるさいだけの人間ですよ。国のためになることなどとても……」

「そうだろうか? 君は自分が知らないだけで、周囲に良い影響を与えているではないか。もともと王太后……俺の祖母が『現状を打開したければクレマン伯爵家を見よ。己の目で真実を見て判断しろ』と言ったことが切っ掛けではあるがな。そうしてステラと向き合う中で本当の姿を見て、俺は君しかいないと確信したんだ」


 真っ直ぐな眼差しでライナス殿下は私を見つめている。

 こうもジッと見られていると落ち着かない。

 視線を合わせるのが気恥ずかしくなって思わず顔を逸らしてしまう。

 すると、地面に視線を落としてソワソワして指を動かした瞬間、自然公園の落ち着いた雰囲気をぶち壊す悲鳴がその場に轟いた。

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