令嬢は突撃する
『あの人は家のことや見た目のせいで誤解されやすい人だから、私がいなくなったら貴女がお父様を支えて差し上げるのよ……?』
亡くなる数日前にお母様が1歳にも満たない私に言った最後の言葉。
どうしてこの言葉を覚えているかというと、私が前世の記憶を持って生まれてきたからだ。
結構なブラック企業で働き、心身共にズタボロだった私をお母様は春の日差しのような暖かさと優しさで人間に戻してくれたのである。
だから、彼女の死はとてつもないショックを私に与えた。もっと私が大きければ、手足が自由に動いて喋れれば死なせずに済んだのかもしれない。
後悔する毎日の中、私は寂しさを紛らわせようとお母様が書き記していた日記を手に取ったのだ。
その日記を読んで、お母様がなぜ私にお父様のことを託したのか知ることとなる。
というか、日記は悪名高きクレマン伯爵家に嫁ぐなんて……という衝撃的な出だしから始まっていた。
歴史ある古参貴族であるクレマン伯爵家からの婚約話を断れば、お母様の実家が潰されるかもしれないと涙ながらに嫁いできたことが書かれていたのである。
二人共相思相愛でラブラブだった姿しか見たことのない私は目を疑ったが、日記は次第にお父様に心を開いていく様子が書かれるようになっていってホッとしたものだった。
最終的に、今はなりを潜めているが謀略をめぐらして王国を裏で操り、虎視眈々と表舞台で政権を握る機会を窺っているという噂は全部嘘だったのね……! と締めくくられていた。
後は、結婚して良かった! 夫……もといお父様の行動に対しての好意的な感想などが綴られている惚気と化した日記を読んで私は微笑ましい気持ちになり、寂しさを忘れることができたのである。
でも、良かった良かったで終われない。
書かれていたことが事実であれば、他の貴族から物凄い勘違いをされて恐れられているというか警戒されている家ということになる。
事情を知って色々大変そうな人生になりそうだと頭を抱えてから早十四年。
私こと、エステル・クレマンは日も昇りきらない明け方にとある部屋の扉の前に立っていた。
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせ穏やかな気持ちで目の前の扉をノックしようとする。
けれど、苛立ちを押さえることができなかったようで割と大きな音が鳴ってしまう。
感情を抑えられなかったことを若干後悔しながら、私は部屋の主があらわれるのをジッと待っていた。
しばらくして扉が開き、中からいつもの強面の顔をさらに凶悪にしたお父様が姿をあらわした。
見慣れている私は怖がることなく平然と口を動かす。
「お父様……? この見覚えのない出費は一体何なのでしょうか?」
言葉こそ丁寧だが額に青筋を浮かべた私を見て、何のことを言っているのか把握したのかお父様はばつが悪そうに目を逸らしたのである。
「私が前に見たときは組み込まれていませんでしたよね? 理由を説明してくださいませ」
「……ドレスを新調した」
「ドレス? ドレス一着だけでこの金額はおかしいのではありませんか?」
「五着作らせた」
「五着……」
一着でもそこそこの値段なのに五着である。完全なる無駄な出費に私は深いため息を吐いた。
生まれてからずっと領地に引きこもり、お父様の尻を叩いて一か月前に王都に来た途端にこれである。
私がいらないと言ってドレスを購入してなかったから、お父様なりによかれと思って気を利かせたのだろう。
このよかれと思ってが良い方向に向いたことはほとんどないが。
「なぜ私に一言もなく……」
「お前が断ると分かっていたからだ」
「そこまで理解していながらどうして。我が家には無駄にお金を使う余裕などないのですよ」
グッと言葉に詰まるお父様。
それもそのはず。現在、我がクレマン伯爵家は没落の危機に瀕しているからだ。
病弱だったお母様の治療費とか領民の税の軽減とか商売の売り上げ減とかが重なった結果である。
加えてお父様に経営と商売の才能がないことも災いした。
強面の顔に反して、とにかくお人好しで情に厚い人なのだ。十年近く前に災害があって税を納めるのが困難な領民に対して税率を下げたり、あれを建てて欲しいと言われて迷うことなく実行してしまう。
税率を上げたら領民が困るかもと思ってそのままにしてしまう困った人なのだ。
ダメダメなところしかない人のように思われるが、尊敬するところももちろんある。
お父様はとにかく人のいいところを見つけるのが上手い。そしてちゃんとそこを褒める。
だから、深く付き合う仲になると相手からもの凄く信頼される。
きついことを言ってしまうが、私もそんなお父様を尊敬しているし大好きなのだ。
起床直後に小うるさいことを色々と言ってしまったが、これ以上追い詰めるのは酷かなと思った私は話をまとめに入った。
「出費を抑えて税率を戻したお蔭で収入は増えてますが、単に没落までの時間を稼いでいるにすぎません。商売の方をこれから立て直そうとしているのに、これ以上お金は使えないと肝に銘じてくださいませ」
「ああ」
「……では、朝食後にいつものように調査に出ますね。お父様、お仕事頑張ってくださいませ」
「お前もな。気を付けるんだぞ」
「はい」
詰問が終わったことにお父様はどことなくホッとしているように見える。
起床直後には辛いものがあったのかもしれない。
勢いのまま突撃してしまったところは反省したい。今度からは頭を冷やして突撃することにしよう。そうしよう。
一人で考えをまとめた私はお父様に挨拶をしていったん自室へと戻った。
自室に入り、ソファーの背もたれに背中を預けた私は、天井を見上げながら口を動かした。
「今日は人気のお店に張り込んで接客態度とか一番人気のドレスのデザインとか調べることにしようかしら」
「毎日精が出ますね」
声をかけてきたのは二十代の侍女。
彼女は元々幼少時からずっとお世話をしてくれた侍女の娘である。
共に育ったこともあって、彼女とは姉妹のような仲なのだ。
「だって少しでもお父様の役に立ちたいのだもの。お母様がいない分、私が頑張らなければならないから」
「エステル様は本当に旦那様想いのお優しい方ですね。我々使用人にも分け隔てなく接していつも気遣ってくださいます。本当にクレマン伯爵家にお仕えできて良かったと心から思います」
「私だって貴女達のような使用人がいてくれて嬉しいと思ってるわ。お母様に代わって私に沢山の愛情を注いで育ててくれた。お父様と貴女達使用人の優しさがあったからこそ、今の私がいると思っているのだから」
穏やかに笑って言うと、侍女はうっすらと涙を浮かべながら深々と頭を下げた。
今言った言葉に嘘はない。私は本当に心から彼女達に感謝をしている。
正直なところ没落したとして私一人で生きていくのは難しくはない。
前世の記憶があるから働くことに抵抗がないし、接客だって普通にできる。
職を選ばなければ生きていくことは可能なのだ。
それでも私が没落を回避しようと思ったのは、お父様と使用人がいたからだ。
貴族社会にはびこる噂のせいで使用人達の再就職は厳しいと予想できる。
愛情をいっぱいくれたこの人達の苦しむ姿を見たくはない。路頭に迷わせたくないと強く願ったから。
それにお母様の言葉もある。ずっとお父様の側にいたかったであろうお母様の代わりを私が務めなければとの思いもある。
「まだまだ子供だからできることは少ないけれど、やれることは沢山あるもの。自分にできる範囲で手助けしていくつもりよ」
「ええ。微力ながら私もエステル様をお支えします」
「ありがとう。でも無茶はしないでちょうだいね。貴女達が万全の状態でいてくれるからこそお父様と私は安心して暮らせていけるのだから」
「それはエステル様もです。毎日、夜遅くまで書類を見てらっしゃるではありませんか。皆気付いております。いつかお倒れになるのではないかと我々は気が気ではありません」
ば、ばれている。夜更かしがばれている……!
皆が寝静まった頃に、一人でこっそり書類の確認をしていたというのに。
どこでばれたというのか。うちの使用人恐るべし。
「気付かれてないと思っていたわ……」
「庭の警備をしていた者がエステル様の部屋のわずかな明かりを見て察したのだそうです」
「それだけで察するのはさすがに凄くないかしら……!?」
「翌日は大体旦那様に書類を持って詰め寄っていらっしゃる様子から推測したと口にしておりました」
「うちの使用人、有能すぎるわ」
分からないようにとランプの明かりだけで書類を見ていたというのに、それすらも悟られてしまうとは。
脱力しきった私の顔を見て、侍女は懐かしいものを見るような目を向けてくる。
「……ふとした瞬間にエステル様の中に奥様の姿を見ることが多くなりました。奥様に似てきましたね」
「どこがかしら? 完全にお父様の強面遺伝子が優勝している顔なのだけれど」
「奥様と同じ青空のような目の色ではありませんか」
「髪はお父様と同じド派手な金髪だけれどね。ついでに目力が強くて釣り目ぎみだからもの凄く強そうな顔だけれどね……!」
「眉と唇は奥様と同じです。それに見た目だけがエステル様の魅力ではございません。温和で器の大きかった奥様の性格を受け継いでいらっしゃいます」
私は、そうかしら? と首を傾げた。
温和で器が大きかったら明け方からお父様に詰め寄らないと思う。
けれど、お母様に似てきたとか性格を受け継いでいるというのは素直に嬉しい。
本当に愛し合っていると端から見て分かるくらいに仲の良い両親だったから余計にだ。
私の理想の夫婦像になったと言っても過言ではない。
「……ありがとう。天国のお母様もそう思ってくれていたら嬉しいわね」
「絶対に思っていらっしゃいます。奥様はエステル様の誕生を心から喜んでおりましたから。健康なお子様だと分かって涙を流されていました。健やかに成長されているエステル様を見て微笑んでいらっしゃるはずです」
「ええ。お母様はそういう人ですものね」
「ですので、無理は禁物です。我々にできることなら、どんどん仕事を振って下さいませ。少しでも旦那様やエステル様のために働きたいのです」
忠誠心が高すぎると思うものの、これはお父様の魅力によるものなのだ。
恥ずかしがり屋で人見知りで口下手だけれど、一度信頼を勝ち取るとどこまでもついてきてくれる人を得られる。
私では絶対にできないことだから、そういう人達を集められるお父様は凄い。
今現在、側にいてくれる人達は仕事ができて愛情深い人ばかりである。
この人達に苦労させるのは絶対に嫌だ。没落なんてことは避けなければならない。
だからこそ私はやってやる。
没落を回避して不名誉な噂を払拭してみせる……!
「分かったわ。一人で抱え込まないようにする。仕事を頼むことがあると思うけれど、よろしくね」
「はい。もちろんです」
「さて、じゃあまずは王都の流行を知ることから始めるわよ……!」
前を向いた私は決意を新たに立ち上がったわけである。