1話 前編
パラパラと本のページをめくりながら、流し込むようにして値段と度数の高い酒を飲む。
酒に強いわけでもなしにそんな飲み方をしていれば当然酷く酔う事になるが、そうなっても文字は頭の中に入っていく。
上がらないモチベーション。虚無感を無理矢理酒で誤魔化すようになってどれくらいだったか。若いというより幼い時代の熱意はもう無い。
生まれ変わったら何になりたいとか、次が有ったらうまくやるだとか、そんなのは結局自分の能力を過信しているだけだ。
ズルの上乗せ分を考えれば長じて当然で、それでも本物の天才には勝てないと分かってしまえば腐っていくのは当然だった。
……嫌な事を考えないよう、更に酒を流し込もうとしたところで玄関の呼び鈴が鳴る。来客の予定など無かった筈なのだが。
栓をしてから玄関へと向かう。多少ふらつくもののそこまで時間を掛けずに辿り着くことが出来た。
ドアを開けると光が差し込んできて、茜色のそれはもうすぐ日が落ちる事を知らせてくる。こんな時間にいったい誰だろうか。
「よう、久しぶりだな」
訪ねてきたのは知っている人間、というか兄だった。確か今は故郷で冒険者稼業をしていた筈だが。
「下兄さんか。とりあえず上がってくれ」
「おう、邪魔するぞ。ほれお前さんも」
「お、お邪魔します」
どうやら兄以外にも誰かが居たらしい。少女の様だが、はたして誰だろうか? 大方兄さんの娘とかだろうかとも思ったが、それにしては大きい。
玄関で立ち話するのも何なので、とりあえず応接間まで通す。兄さんに関しては初めてでもないが、少女には案内が必要だろう。
まあその程度には大きな屋敷だが、実際に使える空間はそこまで広くない。ほとんどが本で埋まっているので使える部屋だけ覚えるのは簡単だ。
荷を下ろして椅子に掛けた兄さんが、くんくんと鼻を鳴らす。
「ん? 他に客でも来てたのか? お前が酒だなんて珍しいな」
野生動物みたいな鼻の利きだと思うが、そうでなければ生きていけない稼業なのだろう、多分。わざわざ逃避に酒に溺れているとは言う必要も無い。
「そんなところだ。今日は泊まるだろう? 飯と一緒に持ってくる」
「わりぃな」
突然の訪問だが、取りあえずは時間帯を考えて食事を出すべきだろう。旅の後そのまま家まで来たのなら疲れているだろうし。
肩や首を捻りながらのんびりと座る兄さんを後目に、もう少し飲んでいたら危なかったかと思いながらふらふらと部屋を出て厨房へと向かう。
食事の準備と言っても大したものではない。準備自体もそうだが、パーティーでもあるまいし身内なので内容も。
冷凍蔵からパンの種や肉、野菜、果物を適当に出し。焼くものは適当に焼いて、酒と一緒にカートで運ぶ。掴まるものがある分先程ほどはふらつかない。
「待たせた」
「大して待ってねぇさ、久々の御馳走だ」
御馳走などと言われると申し訳ない気持ちになる。上を見ればこの程度と思う食事でも、村レベルで見れば確かにそうかもしれない。
「あ、手伝います」
卓上に料理を並べていると、そう言って少女が立ち上がる。別に客なのだから座っていても良いと思うのだが。思うので手で制する。
「まぁ今日くらいは座っとけ……おほっ、こいつぁ中々……」
早速渡した酒をラッパする兄さんの援護もあり、少女は渋々といった様子で席に着く。そういう飲み方をする酒では無かった気もするが。
まあどうでもいい事だと思いなおし並べ終えた食事を、癖で全て一口大にカットする。一斉にぱらりとズレた光景に驚いたのか、少女がびくりと跳ねる。
「凄い……」
「こんなのは誰でも出来る手品だ」
感動に水を差すようだが、つい口から零れ出る。理屈が分かって能力があれば誰だって出来る事であって、別に自分が特別な訳ではない。
「良く言うぜ。流石は天才コンラート様ってか?」
「……もう酔ったのか兄さん」
口に出しそうになった悪態を飲み込んで、酔っ払いの戯言だと言い聞かせる。しかし冗談にしては笑えない。
一昔前なら調子に乗っただろう称賛も、現実を知った今なら皮肉にしか聞こえない。しかしどうやら兄さんは謙遜として受け取ったらしい。
「喰ってからにしようとも思ったが丁度いいか。話が有んだよ」
そう切り出す兄さん。視界の端で料理に伸びていた手がピタリと止まる。次いでくぅ、と何かが鳴る音。
「……いや、先に食事を済ませよう。長話なら肉とか冷める」
「……だな。それは勿体ねぇ」
多少フォローしたつもりではあったが、少女は恥ずかしそうにうつむくのであった。
飲んでいた所為だろうが、大して食欲の無い自分とは別に2人はあっという間に食べ切った。
最初は恥ずかしさからか食べる速度の遅かった少女も、兄さんが食べる様子を見てこのままでは無くなると判断できたのだろう。
「ふぅ、食った食った」
半分以上を食べた上に酒も飲み干した兄さんであったが、流石にお代わりの要求まではしてこなかった。
まあ満足したならそれに越したことは無い。食べかすなどは全て燃やして、というより消滅させてしまう。
「で、話ってのは何だ下兄さん。そこの娘と何か関係が?」
「ベルハルトおじさん、まさか何も連絡してないんですか?」
おじさん、となるとどうやら兄さんの娘では無かったらしい。となると上兄さんの? それに連絡? もちろん手紙も何も受け取ってはいない。
「なぁに、コンラートならお前さんを見れば大体わかるだろと思ってな。それにどうせ断りゃせんだろ」
言われて少女を眺める。別に注視したわけでも無かったというのが言い訳にならない程度には一目で分かってしまう。むしろ分からない方がおかしい。
額に2本、それから見間違いでなければ側頭部からも1本づつ。併せて4本の角を持っているのを見逃すのは盲か酔っ払いだけだろう。つまり自分だ。
「……彼女が帝都に来た理由は分かった。入学費が無いなら出そう」
この世界で自分が特別ではないと、冷静になって考えればわかる理由の1つ。『先人』の残した文化、『高等学校』の一側面。
市街の有能な人材を発掘する事も視野に入れたそれは、貴族のみならず十分な教養と金さえあれば誰でも入れるという事になっている。
問題になるのは求められる能力の高さと金額。それこそ代々貴族として続く家でも無ければ無理としか思えないハードル。
それを突破出来るだけの能力があるならば、なるほど貴族に列するに相応しい才覚なのだろう。少なくとも無能な農民には無理な話だ。
加えて問題になるのが、どれ程天才的な知能を持っていたとしても『十分な教養』とは認められない現実だ。
ただの農民と貴族の最大の違い。貴族とは貴種、つまり種族そのものが違うとも言えるほどの違いが存在する。
魔法と呼ばれるそれは、前世で言う鬼の様に角の生えている存在、つまり貴種にしか起こすことのできない現象だ。
鬼種、転じて貴種となったかは定かでは無いものの、要するに魔法を使うための器官が角なのだ。
貴族で無ければ普通貴種ではない。ではなぜ農村の少女に角が生えているのか、と言えば答えは簡単だ。ここが帝国だから。
侵略された国の貴族が野に、などと言う話は別段ありふれているわけではないにしろ無いとも言えないのが実情、というかあるのだろう。
先祖はどこぞの王族だったと、そういう父の言葉も彼女を見れば存外本当なのかもしれないと思える程度には真実味がある。
となればやはり彼女は身内なのだろう。つまりその為に金を出す程度は義務ではなくとも当然の行為だ。
「うんにゃ、金なら俺とおやっさんの稼ぎでもなんとかなるんだよ。頼みってなぁ別だ」
そう思って言ったのだが、どうも違うらしい。ちなみにおやっさんというのは兄さんの師匠、バッカスさんの事だ。
確かに、貴族では無いものの貴種である兄やバッカスさんにかかれば大金とて用意できるだろう。となればなんだろうか。
「推薦状を書いてくれという事か? 多少は贔屓してもらえるかもしれないが」
コネがある、という程でもないにしろ貴族でない成り上がり物に後ろ盾になってくれる人間が居ると居ないでは多少は違うだろう。
ちなみに自分の時は日常会話する相手が居ない程度しか問題は無かった。つまり実質問題なしだ。
「あー、そういうのも頼んだ方が良いのか? わからんが、それも違う話だ」
気が付かなかったとうんうん唸る兄さん。まあ自分だってどこまで効果があるか分からないし、必要かどうかも微妙な話だ。
「じゃあ一体何だ?」
「なに、こいつを此処に住ませてやってくれって話よ。どうせ広いし構わんだろ?」
構わんだろじゃ無いが。どの辺りに構わない要素があるんだ。
「……新しく家を買う、いや建てるか。場所は学校の横で良いな……」
「いやいやいや、どうしてそうなる」
慌てる兄さんだが、むしろどうしてそうならないと思ったのか。
「家には私以外誰も住んでないんだが?」
「丁度良いじゃねぇか。こんだけ広ぇのに1人ってのも不便だろ」
快適なんだが? 別に埃を被っていようが暮らすのに支障はない。……そう言ったら言ったで問題ではあるか。切り口を変えよう。
「知らない大男と2人というのは嫌じゃないか?」
のっそりと立ち上がって座っている少女に覆いかぶさるように覗き込む。およそ2メートル近い、角まで含めれば余裕で超える今生の体格ならそれなりに怖いはずだ。
「嫌なんかじゃないですよ?」
それをきょとんと首を傾げながら言ってのける辺り、どうやら胆力は十分らしい。……いやいやそうじゃない。
「男と住むより1人暮らしの方が安心できるんじゃないか?」
「お前なぁ、年若い女1人で暮らしてるとかいくら帝都でも危ねぇだろ?」
治安に関しては悪くは無いが、そういわれてしまえば反論出来る程完璧な訳でもない。むしろ村よりも危ない可能性だってある。
「その点お前が一緒なら安心できらぁな」
「私が危ない人間だったらどうするんだ?」
安心できると言われたのでそう返してみれば、一瞬きょとんとした後に。
「……ぶわっはっはっは! お前、ひひっ、お前が危ないだとか、ぐふっ! 最高に笑える冗談だなぁ?」
ひーひーと、実に苦しそうに腹を抱えて笑い出す始末。睨みつけたところで効果は無い。
「いや、お前も笑える冗談言えるようになったかぁ、ふっ」
「冗談じゃないんだが」
「冗談じゃなけりゃぁ今頃お前の息子は3桁産まれてらぁな」
「……冗談だろう?」
……冗談だよな?
「どうだか。ともかくだ、嫌とは言わんだろ?」
嫌と言ってしまいたい。しかし断った後の事を考えてしまえば……
「分かった。問題ないなら構わない」
「ほれ、断りゃせんかったろ?」
少女に向かってドヤ顔をキメる兄さんに、1発殴りたいと思うのは悪い事だろうか?