第十八話:胃袋を掴む
焼き立てのクッキーを持って、抜き足差し足で廊下を進む。
巡回の兵士を躱しながらたどり着いた書庫に、音を立てないよう気を付けながら滑り込む。隠してある魔法陣を使って、魔王城に瞬間移動する。
無事に飛べた事を確認して一息入れつつ、魔法陣を隠蔽して早速魔王ディーの気配を探し出す。その途中で見知っている別の魔力を見つけたので、先にそちらに向かう事にする。
魔王城では先程と打って変わって、気配をわざと発しながら廊下を突き進む。以前癖で気配を隠してディーの所に行こうとして、魔王城の警備システムに引っ掛かって魔族達を無駄に驚かせてしまい、ディーに滅茶苦茶怒られたので普通に歩くようにしている。
目的の場所にたどり着いたので、とりあえずノックをしてみる。しかし返事がない。魔力を流して気配を探ると、室内にいる人物はこちらに気付いているらしく、臨戦態勢で待ち受けている事が分かったので返事を待たずに扉を開けてみた。
刹那、身体が動いてその場にしゃがみ込む。頭上を圧縮された風が刃のように駆け抜ける。その場にとどまるのは危険と判断して、横っ飛びに飛んでソファの陰に身を隠す。
「ちょっと、ヴァリエ。私は別に戦いに来たわけじゃないんだけど」
ソファの向こうにいるだろう、探し人――ヴァリエに声をかける。
「前回はディー様のご命令でお前と同行したが、私はお前を認めたわけじゃないからな!」
「分かった分かった、分かったから落ち着いて。せっかく持ってきたのに、あまり動くと粉々になっちゃう」
ヴァリエの周りの魔力が霧散したのを確認して、ソファの陰から抜け出す。それから手に持っていたクッキーを差し出した。ヴァリエはそれを、訝し気な顔で見つつ受け取った。
「この間の、茶番に付き合ってもらったお礼。ディーの分もあるから、少し渡しておいて」
「食べ物なのか? まさか、毒など入れてないだろうな?」
「疑うなら、適当に一枚とってもらえれば食べるけれど?」
「……いや、いい」
袋の口を開けて、くんくんと犬のように匂いを嗅いだヴァリエがそう言う。それから一つつまんで取り出すと、恐る恐る口に含む。
そして固まった。
「ヴァリエ?」
「……な、なんだこれは」
「クッキー。ヴァリエは甘いもの嫌い? こちらの料理は味が薄いものが多いから、味が強すぎたかな? 一応砂糖は少な目なんだけど」
以前魔王城の書庫で魔族流クッキング本を借りて読んでみたのだが、魔族はほとんど調味料を使わない。大体素材を切って混ぜて煮込んで終わりだ。豪快男料理薄味バージョン、と言えば良いのか。
「人間は、こんなものを食っているのだな……」
じっと、クッキーを見つめるヴァリエ。あまりにも真剣な瞳で見つめているので、気にいったのかなと思ったが、あまりに真剣過ぎて気に入らなかったのか、どちらとも判断できない。
「口に合わないなら、他のを持ってくるけど」
「他にもあるのか?!」
「え、今はないけど……この間魔王城の書庫で料理本借りたから、それ見ながら作って持ってこようかと」
「あぁ……なら、いい。これでいい」
ぎゅっと、その両手にクッキーの袋を抱えるヴァリエを見て、やっと気に行ったのだと確信できたが、あまり強く抱くとクッキーが割れてしまうと教えた方がいいのだろうか。まぁ、割れたら食べられないものでもないからいいか。
「そんなに気にいったなら、また今度持って――」
「本当か?!」
「あ、うん、なるべく近日中に持ってきます」
食い気味に反応したヴァリエの様子に、私は色々察した。
どうやら、魔族は好んで薄味にしているのではなく、調味料類が充実していないのかもしれない。それか、食に無頓着なのか。でもヴァリエの食いつき具合を見ると、無頓着という訳でもなさそうだ。
大事そうにクッキーを抱えるヴァリエを見て、もう一袋、実は自分用に持ってきていたクッキーの袋を懐から出して差し出す。ヴァリエの眼が輝いた。
「ちょっと、聞きたい事があったのだけど」
「なんだ?」
「魔獣がどうして生まれるのか、魔族は知っているのかなって」
「なんだ、そんな事か。どうしても聞きたいというなら、このヴァリエ様が教えてやってもいいぞ!」
「どうしても聞きたいので、これ、授業料としてお納めください」
ヴァリエにクッキーを渡す。彼女は両手にクッキーの袋を持って、満面の笑みを浮かべながら私にソファをすすめる。クッキー効果が凄すぎて怖い。
「魔獣は、動物達が強力な魔力によって変質したもの、というのは知っているよな?」
「それくらいなら」
「なら、その強力な魔力が噴出するスポットが魔界に三か所か存在しているというのは?」
「あー、その辺はちょっと」
「そうか、じゃあほぼ最初から説明してやろう。魔獣は、強力な魔力を浴び魔力の暴発に寄って変質し凶暴化した生物だ。そしてこの魔獣は、魔界にある三か所の魔力スポットからしか生まれない」
「ふむふむ」
「そして代々の魔王様は、その魔力スポットの管理をする為に存在している」
「……ん? なんか嫌な話の流れを感じたのだけど、まさか人間が魔王討伐とか言って魔王を弱体化させるのは、逆に魔獣の発生を抑えられなくなって長い目で見なくとも余計危ないとか、そんな事はないよね?」
「……お前の言う通りだ」
「マジか」
「魔王様は魔力スポットの魔力を定期的にその身に回収して、余剰な魔力が近場の生物達に流れないようにしている」
「立ち入れない様にするとか、できないの?」
「現実的ではないな。目に見えない魔力が、どこまで流れ込んできているのか分からない」
「あぁそっか、ほとんどの人は見えないのか。魔力スポットの魔力を枯渇させることはできないの?」
「無理だな。魔王様でも三か所同時は無理で、三か所を順に巡って処理しているだけだ。それでも処理が追いつかなくて、魔獣が発生してしまっている」
「……その魔力スポットに、私行けたりしないかなぁ」
魔獣が三か所の魔力スポットからしか発生しないというのは朗報だ。そこを抑えられれば、魔獣は生まれない。つまり、人間が魔族と争う一つの理由を消せる。
「お前が何を企んでいるかは知らないが、魔王様が許可すれば行けるんじゃないか?」
「ヴァリエ的に、許可が出る確率はどれくらいだと思う?」
「二割」
「想像以上に低い」
「魔力スポットは、厄介な場所でもあるが魔族にとっては神聖な場所だ。そのスポットから流れ出た魔力によって、我々魔族は人間以上の魔力を身に纏えるのだから」
「あー、そっかー。なんか、色々見えてきた気がする」
魔力スポットをすべて封じてしまったら、魔族は弱体化してしまう。でも、現状の三か所は管理が大変、と。
とりあえず、ディーにも甘いもの作戦が通じるかどうか確認して、効きそうなら飛び切り甘くてふわふわなケーキでも焼いて持ってこよう。
甘味好き女子に、ケーキ嫌いは存在しないのだ。