第十五話:怒りも吹き飛ばす勘違い
廊下に散らばる魔術教本。それを拾い上げる事もせずこちらを指さす小野田さんを見ながら、遅いだろうがユリアーヌから一歩離れる。
喋ろうとしても言葉にならないのか、何度か口を開いては引き結ぶ。
それを何度か繰り返し、ようやく絞り出された声は分かりやすい程に怨念めいていた。
「なんで、倉賀野さんが」
「たまたま、会っただけだよ」
魔法を習っている振りぐらいしておけば良かったのだが、わざわざ皆と違う練習をするのもおかしいだろう。だったらいっそ何もしないで書庫に籠っている事にしようと考えたのだが、そうするとユリアーヌと私の接点が生まれない。
ユリアーヌが書庫を利用する事は無い。自分の執務室に用意してあるし、どうしても必要なら部下が取りに行くからだ。小野田さんがその事を知らない可能性もあるので、ギリギリ騙し通せるかどうかだろう。
などと甘く考えていたが、どうやらこの状況はそんな簡単ではなかったらしい。
「……どうしてよ」
「え?」
呟かれた言葉は、聞こえなかった。代わりに辺りを漂う魔力が、小野田さんの意思に従って形作られていくのは感じる。
ちらりとユリアーヌを伺い見る。彼は一つ頷くと、さりげなく私を下がらせ小野田さんの視線から隠す。
周りの魔力がユリアーヌの干渉によって、小野田さんから無理やり引きはがされる。
「勇者様、この場で魔法を使う事は――」
「それよ」
ユリアーヌの言葉は、固く尖った小野田さんの言葉で斬り落とされる。
私とユリアーヌは頭の上に疑問符を浮かべつつ、小野田さんの次の言葉を待つ。
「どうしてですか、ユリアーヌ先生」
「えっと、どう、とは?」
「先生は、私達の事を皆等しく“勇者”と呼ばれるのに、どうして倉賀野さんは――名前で呼ばれているのですか?」
ユリアーヌの肩が、揺れる。おそらく、私も身体が動いた。
どこから、話を聞かれていたのか。
小野田さん達には、ユリアーヌの正体は話していないはずだ。ユリアーヌが第一王子だという事は、公にはされていない。知っているのは王城に居るほんの一部の人間ぐらい。この国の大部分の人達は、第一王子の事を病弱で表に出てこない王子様だと思っている。先程までの会話の中でそこまで類推する事は流石にできないだろうから、ひとまずその点は安心できる。
ただ、それでも書庫に籠っているだけのお荷物勇者とする会話ではない事は間違いない。小野田さんの魔力がその辺に居る兵士達と大きく違いがなかったので、違和感を持っていなかった。もっと魔力の色を判別できればいいのだろうが、そこまで繊細な判断ができない。こればっかりは、ユリアーヌの方が一日の長がある。
「ユリアーヌ先生と、倉賀野さんは一体どういうご関係で?」
「それは……」
例えば、魔王討伐に興味が無さ過ぎる私を勇者と呼ぶ事に抵抗があったとか、書庫で出会って何度か魔法の話をしていたのだとか、適当な事を言ってしまえばいいのに、ユリアーヌは嘘を吐きたくないのか混乱しているだけなのか、言葉が出てこない。不味い流れだが、今私が口を挟んでも火に油を注ぐだけになる。
「野暮な事をお聞きしてしまいましたね」
どうしたものかと悩んでいる間に、小野田さんは自分の中で結論を出してしまったらしいが、間違いなく盛大な勘違いが発生している。
「先程、大友君から倉賀野さんも元の世界に帰るとお聞きしていましたが、先生とその様な仲になっておいて帰るだなんて、倉賀野さんは随分薄情なんですね」
「小野田さん、ちょっと待って、誤解してると思うのだけど」
「あぁ、そうですよね? 大友君が勘違いしているだけですよね。皆で帰る事に執心しているようだったので、倉賀野さんの言葉を勘違いしてしまったんですね。私の方から、貴方も帰らないと大友君に伝えておきますね。お礼はいいですよ、私も絶対に帰らないと彼に伝えたかったので。これ以上しつこく付きまとわれても、千羽さんに余計な嫉妬をされるだけで辟易していたので。良かったですね、これで貴方は先生と離れ離れにならなくてすみますよ。まるで物語のヒロインの様な、悲劇的なお別れにならなくて良かったですね?」
彼女はそれだけ言うと、ぶちまけていた魔術書を拾ってさっさと身を翻し走り去ってしまった。
私は勘違いを解くために奔走するべきだったのだろうが、小野田さんの迫力に押されて一歩も動けなかった。
「女の子って、怖い」
「……マリネ、すまない」
「その謝罪は受け取っておくわ」
一つ、ため息を吐き出す。
小野田さんのお蔭で、さっきまでのイライラは綺麗に吹き飛んだけれども、やるせない疲労感だけが残った。
「この後、マリネはどうするのが正解だと思う?」
「私に聞かないで。私こういうの疎いの」
「正直、私も得意じゃない……」
「任せろ、と言っていた癖に?」
「ちょっと見栄を張った」
思わずユリアーヌの脇腹を肘で突く。突然の攻撃にユリアーヌが崩れ落ちた。
「怒るわよ?」
「殴ってから、言わないで、くれないか……」
痛みに呻くユリアーヌを見下ろしながら、どうしたものかと考える。
おそらく、小野田さんは本当に大友君に話に行ったのだろう。その際に、今回のゴタゴタを伝えるかもしれない。……大友君は、信じてしまうだろうか。
もう一度、自然とため息が零れ落ちた。