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醜きもの

 伊勢正一はその(よわい)35の時に妻、加代子を亡くしている。

 彼女はその命と引き換えに、伊勢賢太を(のこ)した。

 賢太という名前は彼女が前もってつけていた名前だ。

 男の子なら、加代子がつけた、賢太に。

 女の子なら、正一がつけた、千春に。


 長い不妊の末にやっと恵まれた幸福を確認するように夫婦で決めた、約束だった。


 彼女の死から10年後、正一が45歳の時に、賢太は逝く。

 運命が()いたその死に方は(むご)い。


 それから20年後。

 定年で交換所の職を辞した正一は永住型の老人ホームに、退職金の全てをあっさりと払って入所をした。


 そこは値の張る割に、ほどほどを越えないウェルネスの施設で、職員もそこまで多くない。

 よってサービスもそこまで行きわたらない。


 病院を改装した外壁は清潔感のあるクリーム色だが、よく見ると、端の塗装が()げているが、正一に不満は無い。


 千春と賢太が眠る霊園に近いからだ。


 それからさらに10年後。

 1型糖尿病で脚のきかなくなった正一は車いすで来客ロビーの丸テーブルに置かれた湯呑(ゆのみ)に両手で触れている。

 手の甲には古く硬い血管が浮き出ている。

前かがみに曲がりかけた背骨に抗うように、その胸は精一杯の張りをみせようとしてわずかに震えている。


 75歳の彼と来客テーブルをはさんだ向かいの椅子には、時雄が腰をかけている。


 その眉間からは、強い緊張が伺える。

 彼を、正一はまじまじと眺めてから、病院服のような普段着の懐からポーチ、その奥の薄い金属製の梱包を取り出した。

 そこから、丹念な手つきで丸い錠剤を押し出す。

 口に含み、湯呑の茶で流し込む。

 それからようやく、時雄に向き直って、言った。


「すまないね。僕は緊張しているらしい。糖尿が心臓に来ていてね。薬でも飲まないと、まともに会話もできない。せっかく来てくれたのに、ね」

「いえ」

 時雄の声は硬い。

 実際、硬くもなる。

 加害者と被害者家族の面会。

 辟易とするほど、ブラウン管やら液晶画面やらでくり広げられる演目の場の当事者となっている。

 いっその事、この干からびた死体のような老人が強く自分を罵倒してくれて、必要な情報さえ渡してくれれば、(すみ)やかにここを去れるのにと、時雄は思う。


 正一は時雄の、整髪料でなでつけた黒髪、鼻筋、喉元、白のYシャツに収まった肩、贅肉でたるみかけているへそ回り、クールビズで通気性重視なズボンの折り目、……その一つ一つに何かの承認印でも押すかのように、視線を注いでくる。

 時雄は眉をわずかにひそめた。

 自分に照射される視線に、老人特有の(かび)のような不快を感じたからだ。


「何か」

「ああ、いや。大きくなったなあ、と思ってね」


― あんたは小さくなったよ。賢太も生きてたら君と同じ、とかなんとか言うんだろう。それは被害者家族の特権だよな。だが、今日はそういう話ではない。―


時雄はそう思いつつ、持参した黒鞄から、葉書を一通取り出し、テーブルに置く。


「こちらをいただきましたので、本日はお話を伺いに参りました」


 葉書には、


『5年後の雪についてお話しなければならない事があります』


とだけ、ぎこちないながらも、強い筆圧でしたためられている。


老人は視線を落とし、沈黙する。

再び錠剤を取り出し、茶で流し込む。


「……お話というよりも、告白だけどね。長い話になる。時間は大丈夫かい?」

「はい。……裕也に関わる事、ですよね」

「ゆうやくんは」

「俺の息子です」


 息子、という言葉を受けて、正一の口元が苦渋に歪んだ。

 皺の刻みが深くなる


「……そうだ、よ。君の息子の裕也君の話だ。そして、僕の息子の、賢太の話でもある」

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