銀の原っぱ
裕也は後ろを振り返った。
男の人が立っていた。
背が高い。
顔は父より小さいけれど、父より高い。
もこもこの服を着ている。
黒や白、黄色や赤の毛皮がつぎはぎで、サーカスのピエロさんの服みたいだと裕也は思いながら、うなずく。
と、男の人は、
「寒いのは良くないね。風邪を引いてしまう」
といって、自分の服の毛皮をぺりっととるとその毛皮はくねくねと生き物みたいに動いて膨らんで、それはちょうど、裕也サイズのもこもこのジャケットになってから、裕也の肩をふわっと
くるんだ。
とても不思議だけど、毛皮は暖かい。
「おじ、さん」
「うん?」
「あ、りが、とう」
「どういたしまして」
と言って、男の人はとてもうれしそうに笑った。
裕也は、まだ足元が寒いのに、ふわっとした気持ちになった。
「フクロウは見たかい?」
「あ、れ、や、っぱり。ふく、ろうなの?」
「そうだよ。あのフクロウはね。私の友達なんだ。フクロウだけじゃない。この銀の原っぱの、熊も狐も鹿も鶴も、動物はみんな私の友達なんだよ。君は何が見たい? いくらでも見せてあげよう」
……裕也はうつむく。
しばらく考えていると、風が痛くて耳が赤くなった。
けれど、まじめに
「とう、ちゃん」
と答えると、男の人はしばし止まって、悲しそうな顔をした。
「君のお父さんは、ここから遠いな。では、街に連れて行ってあげよう。僕はスマホがないから、君のお父さんに連絡はとれないけれど、街の人なら、連絡してくれるよ」
男の人がいうと、裕也はもじもじしたので、男の人は首をかしげた。
「どうしたんだい?」
「知、らな、い人に。ついて、いっちゃ、だめ、だって」
「ああ」
男の人は、にっこり笑った。
「それなら問題はないよ。私は、境間と言うんだ。君の名前は? 君が私に君の名前を教えてくれたら、私と君は知らない人たちではなくなる。もちろん、嫌なら教えなくてもいいよ。その場合、私は黙ってここをさろう」
裕也は迷った。
とても不思議なことが起きて、とても不思議な場所にきてとても不思議な人に、名前をきかれている。
男の人は、困ったように笑って、こう言った。
「知り合い、は冷たいな。じゃあ、友達になろう。私は君の友達になりたいんだ。友達として、君の名前を教えてくれないかな?
こんどこそ、教えてくれなかったら私はここを去る。君を独りぼっちにして、とても寂しく、ね」
男の人が、本当に寂しそうな顔をしたので、裕也は父の悲しいときを思い出し、
「ゆうや」
と、よどみなく言った。
すると、境間は、ひまわりが咲くようにニコニコと笑って、裕也にしゃがみこんで目線を合わせた。
「裕也君。ありがとう。watasito kimi wa tomodati da 。
じゃあ、街に行こうか」
と言って、手のひらを差し出したので、裕也はまだ幼さの抜けきらないその手で、境間の手をとった。
すると境間はまぶたを柔らかく落として、その口元に幸福な笑みを浮かべ、裕也の瞳をじっと覗きこんだ。
それから立ち上がり、2人は銀の世界を歩き出す。
「そうだ。君のお父さんは動物なら、何に似ているんだい?」
「……スマホの会社のしーえむの白い犬の、お父さん」
「ああ、あの、彼、ね」
「……でも」
「でも?」
「怒ると、がおーって、熊みたいになるの。」
「ははは。熊かあ。今の時期は冬眠中だけど、特別に呼んであげるよ。街に行く途中にね。ああ。大丈夫。怖くはない。動物はみんな、私の友達なんだ」
……雪も早めに解けかけた三月の末。
北海道の上空に季節外れの爆弾低気圧が停滞し、大雪が続いたある日の晩。
北海道から遠く離れた東京都は世田谷区で、大規模な停電が起きた。
それは90分で復旧したが、直後に時雄は交番に駆け込み、その息子の裕也の捜索願を出した。
翌日。
北海道枝幸郡枝幸町歌登南730-1の町道で、時雄の息子である裕也が、除雪車に巻き込まれて死亡した。
前日に降り続いた雪が道の端に山を作っていた上を歩いていて埋まったのが原因である。
午後7時30分。
除雪車はその前輪のミキサーで、男児の肉体を挽いた。
何日も続いていた雪は午後は止んでいたのだが、ちょうど運悪く再び吹雪始め、操作者の視界を覆っていた。
赤く染まる雪に、誘導者が止めをかけた時には、すでに男児の頭蓋骨は砕かれて、眼球もえぐられていた。
遺体は、身に着けていた衣服から、裕也と判明した。
彼は、普段着のクリーム色のトレーナーの上に野生の動物、カラスと思われる鳥の羽から作られた黒いコートを羽織っていた。
彼がなぜ、歌登南にいたのか、そしてなぜ、カラスの羽根のコートを羽織っていたのか、そのどちらもが謎である。
その享年は10歳だった。




