第63話 好きと嫌い
「少しでも好きでいてくれるなら、俺と付き合おう?」
そう言った陽太君がほんの少し寂しげに笑うから、泣きそうになるのを堪える。
私を優しく抱き寄せた陽太君の腕が触れるか触れないかの戸惑っているような微妙な距離を保っていることに気づいて、笑みがこぼれる。
私が松のことを好きなのを知りながらそれでも好きで、友達でいいって言ってくれた陽太君にどんなに甘えて、支えられてきたか。陽太君の優しさが心にしみて、切なくなる。
片思いで辛いのは陽太君だって同じなのに、その気持ちに気づくことも出来ない自分が申し訳ない。諦めたいっていいながら、松の姿を追っていた私の隣にいて、陽太君はどんなに辛かっただろうか。
こんなにまっすぐ気持ちを向けてくれて、ずっと辛いのを隠して私の隣にいてくれた陽太君とちゃんと向きあいたい――
「芹香さん、好きだよ――」
陽太君からの二度目の告白に頷こうとして。でも――
頭の片隅に思い浮かぶのは松の姿で。側にいるのは陽太君なのに、私の心はずっと松だけを探している。
松が美咲ちゃんを好きで付き合っているんだって分かってるのに、それでもやっぱり、私が好きなのは松だよ――
こんな気持ちのまま、陽太君と向き合おうとしない卑怯な自分は、陽太君と付き合うなんて出来ない。
ちゃんと自分の気持ちを話そう、そう思って顔を上げた時。
ぐいっと強く後ろに腕を引かれて振り仰ぐと、そこにいたのが松で驚きを通り越して呆然としてしまう。
「ま……つ……?」
どうしてここに? そう聞こうとした言葉は松の言葉にかき消される。
「七海、悪いけど芹をちょっと借りる。芹、話があるんだ」
陽太君も突然現れた松の存在に返事することもできないくらい驚いてて、松は私の腕をひいてずんずん歩き出してしまう。
「ちょっと、待って……っ!」
展望台が見えなくなる辺りまで連れて来られて、私はやっとの思いで叫んで、掴まれた腕を振り解くように強く上下に振ったけど、松は握る手にぎゅっと力を込めて、私をまっすぐに見すえる。その瞳には言い知れぬ熱が宿っていた、見られていることに身じろいで視線をそらす。
どうして松がここにいるのか分からないし、陽太君と話の途中だったのに無理やり引っ張られて怒っているはずなのに、掴まれた場所からしびれるような熱が体中に広がって、閉じ込めていた想いが溢れだしそうになる。
そんなこと絶対ダメだって思って、私は強く唇を噛みしめてから口を開く。
「話ってなに……? 早く、陽太君のところに戻らないと……」
想いが口をついて出てしまう前に、松の側を離れたかった。
身が裂けるような思いで松に言った言葉――
嫌い。友達を辞やめる。そんなこと本当は思っていないけど、そうでも言わないと辛くて、松の側を離れられないから。松を傷付けてでも、松の方から私と距離を置いてほしかった。
松に対しても陽太君に対しても、全部自分のことを一番に考えてる卑怯な自分が嫌になってくる。
話があるって言って私を連れ出したのにずっと黙っている松をちらっと見上げると、針のように鋭い眼差しが向けられていて、体が冷たくなる。
直前の陽太君との会話を聞かれてるなんて思ってなかった私は、松がどうしてこんなに張りつめた空気をまとっているのか分からなかった。
「……あいつと付き合うのか?」
低く掠れた声でつぶやかれたその言葉に、私はわずかに眉根を寄せる。
またその話題なの――? そう思わずにはいられなかった。
口をつぐんで横を向いた私。答えないことに痺れを切らしたように松が言葉をつむぐ。
「芹が七海のことを好きなら……俺は祝福するよ……」
そう言った声があまりにも思いつめた声で、思わず松の顔を見てしまう。
私を見つめるその瞳が、やりきれないほど切なげな一筋の光を帯びて揺れているから、心がかき乱される。
そんな顔しないでほしくて――
「違う……私が好きなのは陽太君じゃないよ」
気がついたらそう言っていて、反射的に口を覆う。
言ってはいけない想いを口にしかけて、私は涙がこぼれそうになる。
「でも、私が誰を好きかなんて松には関係ないでしょ」
溢れそうになる気持ちを押しとどめ、強がってそう言うしかなかった。
松に気づかれちゃダメ。言っちゃダメ――
心の中で何度も唱えて、心の奥へと気持ちを隠す。
「どうして――? 俺には聞く権利もない? もう、友達じゃないから――?」
握られた手にほんの少しの力が込められて、苦しげに眉根を寄せる松に心がぎゅっと締めつけられる。
「俺は芹が好きだよ。芹が誰と付き合おうと――芹と友達をやめたくない」
その言葉が、私はいつまでも松の友達どまりだって言われているようで、苦しくなる。
「私は……松と友達は続けられない」
もう限界だよ……
初めからわかっていた――
松と美咲ちゃんが両思いで、私の想いが報われることはないって。友達として二人の側にいるのが辛くても、それでも片思いしていたいって思った。
振り向いてもらえないって分かってて、それでも溢れてくる気持ちを何度も閉じ込めて、友達としてでも側にいられればいいって願って。
それがこんなに苦しくて辛いものだなんて知らなくて、松が自分以外の人を愛しそうに見つめてるのを側で友達として見守るなって、出来そうになかった。
「どうして? 俺のこと嫌いだからか?」
そう尋ねた松の声は、答えを知っているような落ち着いた響きを帯びていて、なぜか悲しくなる。
閉じ込めた気持ちと言ってしまいたい気持ちの狭間で揺れて、胸が押しつぶされそうだった。
「嫌いよ、松なんか……」
さらっと告白。
そんで、さらっと松岡の“好き”はスルーされてしまったよ……




