第61話 言えなかった言葉
俺自身が自分の言葉に驚いていると、部室内に視線を巡らせていた芹が振り返り、キョトンっと首を傾げる。
「えっ、今なんて?」
大きく瞳を見開いてぱちぱちと瞬きをしている。
まさか聞き返されるとは思わなくて、でもいまさら話を変えることも出来なくて、俺は決まり悪く首をかいて上履きを脱ぐと、乱雑な動作で床に座り込む。
「だから……っ、あいつのことが好きなのか……って聞いたんだよっ」
語尾を荒く言い放ち、あの日、図書館で七海の腕を引いて俺を避けるように階段を下りていった芹の姿を思い出して、ぎゅっと唇をかみしめる。
俺が言いたいのはこんなことじゃない――
だけど、心の奥でずっと気になっていたことでもあって確かめないと気がすまなかった。
「あいつって誰……?」
何の事か分からないというように怪訝に俺を見る芹に、じれったい感情に気づかれないように静かな口調で言う。
「この前一緒に図書館にいた、七海だよ」
「あ、陽太君? 陽太君がなに?」
靴箱に肘をついて立っている芹は首を傾げて、次の瞬間、顔が真っ赤になる。
予想外のその反応にずきずきと胸が苦しくなってぎゅっと眉根を寄せる。
照れたように頬を染めた反応は無言の肯定にみえる。
ずっと恐れていたことが起きて、氷の塊を胸に投げつけられたような感覚に、体中が動かなくなる。
芹が七海を好きになていた――
やっぱりって、どこかで予想していたのに、芹が七海を好きなことを知ってどうしようもない焦燥感にかられる。
驚きと焦りに言葉が出なくて黙っていると、芹が右の二の腕をさすりながら、眉間に皺を刻んで俺を見下ろす。
「それって、松に言わないといけないこと?」
冷たい口調で言われて、頭に血がのぼる。
なんでそんな言い方するんだよ――
苛立ちに感情が占領されて、自分でもなにを言いたいのか分からなくなってくる。
「付き合ってるのかよ……っ」
吐き捨てるように言い放ち、がばっと立ち上がって芹の腕を掴む。
「俺は――っ」
激情のまま、問い詰めるようなきつい口調で叫び、はっとして唇をかみしめる。
ダメだ……
こんなふうに言いたくない。言えない――
今、俺の気持ちを伝えても、芹を困らせるだけなのは目に見えている。
芹は七海を好きで付き合っていて、俺が芹を好きだと言ったところで、芹はきっと悲しげに瞳を曇らせて「ごめん」と言う。
黙りこんだ俺に、芹がはぁーっとため息をついて口を開く。
「ねぇ、私が陽太君と付き合ってたとして、それって松に許可をとらないといけないこと? 付き合ってることを報告したとしても、松が口出す権利はないでしょ?」
強い口調で言われて、言い返すことが出来ない。おまけに。
「松だって――美咲ちゃんと付き合ってるじゃない。私は相談に乗っても、そのことに口出したりはしない」
まっすぐに俺を見上げる芹の瞳は真剣で、切なくなる。
「――っ」
俺は唇を強く噛みしめて、眉根を寄せる。
気持ちを模索して、悲愴な思いで口を開く。
「俺はただ、芹のことが心配で……」
前は、芹の隣にいるのは俺だった。芹のことはなんでも分かってるし知っている――そう自信を持って言える友達だった。でも、今年になってから、芹との距離がずっと遠くなった気がする。よそよそしい態度、俺を避ける芹、体調を崩していたことも、俺は気づけなかった。
不甲斐ない自分が悔しくて、声がかすれる。
「松は――美咲ちゃんの彼氏なんだから美咲ちゃんのことだけ心配していればいいのよ。お願いだから私のことは放っておいて」
「芹を放っておくなんてできないよ」
例え、芹が七海を好きだとしても、それでも俺は芹のことが好きだから、芹の幸せを願ってるし、芹にはいつも笑顔でいてほしい。
芹の笑顔を見たのはいつだろうか――
だいぶ前の気がして、芹の側にいなかった期間が長くて、ぽっかりと心に穴があいた気がする。
「俺達――友達だろ?」
友達でもいい――
だから、芹のことを心配したい。
「それに、美咲とは……」
美咲とは期間限定の付き合いだったとか、もう付き合っていないとか、ちゃんと言おうと思って口を開いたが……
俯いていた芹が拒絶するように必死になって俺の手を引きはがす。
「松なんか嫌い――」
叫んで顔をあげた芹の頬には、いくすじもの涙がこぼれてて、俺は息をのむ。
「私……松と友達、やめる。だから、もう話しかけてこないで」
嗚咽がまじり掠れた声で言い放つと、芹はころがるように必死に部室を飛び出していった。
ちゃんと、芹のことが好きだと伝えるはずだったのに、どこで何を間違えたのだろうか……
芹が泣くほど俺と話したくないのかと思ったら、嫉妬心に支配されて、話したいこととはぜんぜん別の話をして、芹を怒らせてしまった。
松なんか嫌い――
その言葉が酷く心を傷つけて、身動きすらできない。
言えなかった言葉が心の奥底に沈んでいき、後に残されたのは間抜けに空をかいた俺の手と芹の上履きだけだった。




