第6話 小さなプレリュード
「芹香ちゃんって……松岡君と付き合いだしたの?」
思いもよらない言葉に、私は飲んでいたジュースを吹き出して、ゴホゴホとむせる。涙目になりながら胸を叩いて、片目で向かいの席に座る美咲ちゃんを見た。
あれから教室に戻ってお弁当を食べ始めてしばらくして、突然、美咲ちゃんが爆弾を落としたのだった。
なんで、今日はその質問ばかりされるのかしら……
私はむせる呼吸を整えながら口を開く。
「なっ、んで……そんなこと!? ないない、ありえないしっ!」
鬼気迫る勢いで私が否定すると、美咲ちゃんはビックリして目を見開いて私を見つめる。そんな表情さえ可愛くて、美咲ちゃんがいろんな男子に告白されるのが頷ける。
「そうなんだ……」
言葉とは裏腹に、そんな答えじゃ納得いかないというように肩を落とす美咲ちゃん。私は一気に紙パックのジュースを飲みほして顔を近づけ、教室にいる他の人には聞こえないように小声で話しかける。
「ねぇ、この間もこの話したよね。私と松はほんとにただの友達なんだってばー。みんな、どうして私と松が付き合ってるなんて誤解するのぉー?」
額に手を当てて仰向いて、大きなため息をもらす。
原因があるなら教えてよぉ~。
「連休中に、二人が一緒に出かけていたって、ちょっとした噂になってるよ」
ぱくっとお弁当のイチゴを頬張りながら、美咲ちゃんが静かな声で言うから、私は目を大きく見開いてしまう。
「なに、それ……二人で出かけただけで付き合ってるって噂になるわけ……?」
噂の原因がそんなことで、私は肩透かしをくらう。小学生じゃあるまいし、二人で出かけたくらいでイコール付き合ってるなんて思考が幼稚すぎる。
私が、大したことない噂だと安堵の息をもらした向かいで、美咲ちゃんがその瞳をきらめかせる。
「一緒に出かけたのは否定しないんだね」
ぽそっと小さな声で言われて、美咲ちゃんも私の言葉を信じていないんだって気づいて、少しショックだった。
「美咲ちゃん……、確かに松とは休みに一緒に出かけたよ。でもデートとかそんな甘いものじゃなくて、ただ単に趣味の陸上大会見に行って来ただけなのよ?」
「でも、やっぱりいつも仲良いし、そんなによく二人で出かけていたら、好きになっちゃうんじゃない……?」
「ないないっ! 私と松は友達! 恋愛対象外!」
私は大きく首を横に振って、きっぱりと言い切る。
「それに……」
そこで言葉を切って、とんっと椅子の背もたれに寄りかかって小さな吐息をもらす。
「それに、今は恋とかあんま、いいかなって……。私ね、夢があって勉強頑張るために高校は家から近いここを選んだの。だから、恋にうつつを抜かしている余裕はないっていうか、あんまり興味ないっていうか……とにかく勉強頑張らなきゃ! ってカンジ?」
私が苦笑して言うと、美咲ちゃんもやっと納得してくれたのか、笑い返してくれる。
その時、カタリと席の横の窓が揺れて誰かいるように感じたんだけど、そこに人影はなくて、気のせいだったみたい。
「芹香ちゃん……」
窓に視線を向けていた私は、戸惑いがちな美咲ちゃんの声に視線を移す。私と視線の合った美咲ちゃんははにかんだ笑みを浮かべてそっと耳元で囁いたの。
「……私、松岡君のことを好きになったみたい」
うっとりするような甘い声でささやいた美咲ちゃんは、私から体を離して席に座り直すと、わずかに頬を染めて微笑んだ。
「芹香ちゃんが松岡君と付き合ってないって聞いて安心した。芹香ちゃん、協力してくれるよね?」
松とはなんでもないと言い切った直後、可憐な微笑みを浮かべてお願いされたら、私に頷く以外の返答なんて用意されていない。
「うん、協力するよ」
「ありがとう、芹香ちゃんならそう言ってくれると思っていたの」
なんだか上手く誘導されたようにも感じるけど、しつこく私と松の関係を聞いてきた理由が分かって、すっきりする。
そっか、美咲ちゃんは松の事が好きだったから、私達の関係を気にしていたんだ――
そう考えて、さっきの三人組の言葉を思い出す。
『松岡先輩とはただの友達だって言うなら、あんまり松岡先輩の側にいないで下さい。松岡先輩のこと好きな子は、みんな名雪先輩に松岡先輩を取られちゃうんじゃないかって、はらはらしてるんですからっ!』
美咲ちゃんもそんなふうに私のことを見ていたのかな――?
なんともいえない複雑な感情が胸に渦巻いて、私は痛む頭にわずかに顔をしかめた。
※
「協力って具体的になにすればいいのかな? 私なんかが協力できることある?」
あの後、美咲ちゃんにそう尋ねてみると、美咲ちゃんは微笑を浮かべて。
「今度、お願いするね」
そう言ったから、私はとりあえず松とは今まで通りに接してもいいのかなと解釈する。
美咲ちゃんが松のことを好きと言った時は正直驚いたけど、可愛くて大好きな美咲ちゃんなら松の隣はお似合いだと思うし、松はいいやつだと思うから、二人が付き合うことになったら正直うれしい。
だけど、そこまで考えて……
そういえば、松って好きな人いるって言ってたな――と思い出す。
これって美咲ちゃんに教えるべき? でも、松のプライベートでもあるし……
考えた結果、今は言わないことにした。いくら美咲ちゃんが友達でも、他人のプライベートを私が口にしていいとは思えなかったから。
とりあえず、私にできることは――
「芹、一緒に帰ろうぜ」
帰りのHR後、鞄に荷物をしまっていた私のところに、松が窓をがらりと開けてやってきた。
「ごめん、今日、委員会の集まりがあるんだ」
これは本当。
「ん、じゃ、待ってるよ、どのくらいかかる?」
「えーと……どうだろう、今日はちょっと長くなるって言ってたかな? 待っててもらうの悪いから先に帰っていていいよ」
そう言って私は、松の返事が返って来る前にいそいそと鞄を握り、教室を出ようとしていた七海君に駆け寄った。
「七海君、委員会、一緒に行こ」
「名雪さん、うん、一緒に行こうか」
松から逃げるようにしてしまったことがなんだか後ろめたかった私は、廊下の真ん中で私を見ているだろう松の方を振り向くことが出来なかった。
何かを我慢するようにきゅっと唇をかみしめた私を見て、七海君がふわりと微笑むから、その笑顔に癒されてえへへと笑い返した。
委員会の集まりがあるのは本当で、いつもだったら松が終わるのを待っててくれて一緒に帰るんだけど、今は松と一緒に帰るのは避けたかった。
だって、私が美咲ちゃんのために出来ることっていえば、松との距離をとることくらいなんだもの。
三人組に言われた時はそんなこと言われる筋合いはないって思ったけど、美咲ちゃんが私と松が一緒にいるのを見て辛い気持ちになると思うと、いつものように松と一緒に帰ることは出来なかった。
松と友達をやめるつもりはないけど、あまり一緒にいるのは良くないと思った。美咲ちゃんのため。そう、心から思って疑いもしなかった。
まさか、恋のプレリュードが鳴り響いているとは、ぜんぜん気付かなかったの――