第54話 追いかけて逃げられて
「なんだったんだ……?」
ぼそっと声が漏れてしまってはっとすると、菱谷がさっきよりもにやついた顔で俺をみているから、ぎゅっと眉根を寄せる。
「なんだよ?」
「いやぁ~、モテる男は大変だねぇ~」
「意味わかんねーよ」
なにが言いたいのか分からなくて、俺は不機嫌に言うとテントの奥へと行く。
焼きそばを炒める当番は芹達が来た時に他の人が交替してくれてて、俺も菱谷も材料の下準備を手伝う。
「なあ、松岡って藤堂さんと付き合ってるんだよな?」
「なんだよ……」
菱谷の質問に視線だけ隣に向けると、菱谷は手を動かしたまま淡々とした口調で言う。
「あんま付き合ってるってカンジしないなぁ~って思って」
いつものからかい口調じゃない菱谷はめずらしくて、俺はキャベツをむく手をとめる。
いまさらこんなこと言っても仕方ないとか考えるよりも先に俺はぽろっと言葉をもらす。
「俺が好きなのは、藤堂さんじゃないから」
キャベツから視線を俺に向けた菱谷はしばらく瞠目して、口元をにやっと歪めた。またなにかからかわれるのかと思ったら。
「やっぱりな。おまえと藤堂さんの中庭ランチで一気に噂は広まったけど、それ以外、お前達って付き合ってるってカンジしなかったから、変だなって思ってたんだ」
そう言って笑った。その口調は冷やかしなんかじゃなく、本当に落ち着いた声だった。それが何もかもを見透かされてるようで、少し居心地悪い。
「俺、藤堂さんを好きだなんて一言も言ってないだろ。菱谷が勝手に勘違いしたんだ」
「ふーん」
興味なさそうに答えた菱谷の脇腹を小突く。いつかの仕返しだ。
「菱谷、俺のキャベツも任せた」
言いながら菱谷の前にどんっとキャベツを置き、バンダナとエプロンを外してテントの隅に放り投げて駆けだした。
※
気にしないで――って言われたら、よけい気になるんだよ。
俺は出店が並ぶ校庭に視線を配りながら通りぬけて、昇降口のドアの手前で引き返して、ドアに背をつける。追いかけてきた芹が昇降口の中にいて、思わず隠れてしまったが――
ドアから顔だけを覗かせて中を見ると、下駄箱を背に立った芹がちゃらちゃらした私服の男二人に話しかけられて、一人の男が芹の腕を掴んで下品な笑いを浮かべている。
ざわっと胸が騒いで、俺はドアから背を離して、ゆっくりと芹に近づく。
「ねえ、俺らと一緒に見て回らない?」
「いえ、友達と一緒なので……」
「その友達って女の子? ラッキー、じゃあ四人で回ろうよ」
俺はイライラする気持ちのまま足を素早く動かして、芹の頭の斜め横あたりの下駄箱にどんっと手をついた。
苛立ちのまま叩いた下駄箱は思いのほか、大きな音を響かせる。
芹の腕を無理やり引っ張って行こうとしていた男が振り返り、その男の腕から芹を奪い返す。
「俺の連れに何か用?」
「あっ、いえ…………ちっ、なんだよ男連れか……」
威圧的に言い放つと、男たちはあたふたと駆けだす。しっかり文句も言って。
だけど俺はそんなことは気にならなくて、腕の中に抱きしめた芹に、言い知れぬ熱が体を帯び、抱きしめる腕にぎゅっと力を籠める。
苛立ちと、切なさと、苦しさと――
腕の中で芹が身じろぎ、俺は慌てて腕を解いて離れると、芹がぱっと顔をあげて俺を見て数回瞬く。それから。
「そっか、そうだよね……」
うんうん頷きながらそんなことを言うから、俺は首を傾げる。
「なにが?」
この状況で、なにを納得してんだか分からなくて、ただ問い返しただけなのに、その瞬間、芹の顔がかぁーっと赤くなる。
「ま、つ……っ!?」
「なんだよ、芹が俺に話があるっていうから追いかけてきたら……ナンパなんかされやがって……」
あまりに芹が驚いた顔をしてるから、苛立ちを隠すこともできない。おまけに。
「ナンパなんか、されてないけど……?」
ナンパされてたことにも気づかない、芹にも腹がたつ。無防備な顔を傾げて俺を見る芹を見て、イライラがどんどんつのっていく。
なんだよ、もっと自覚しろよ……
心の中で悪態をついて、それだけでおさまらなくてつい怒鳴ってしまう。
「一緒に回ろうって、連れて行かれそうになってただろ!?」
「見てたの……?」
キョトンと首を傾げて問い返されて俺は急に気まずくなって、視線をそらす。
「それより、話ってなんだよ……?」
話をそらしたっていうか、もともと、俺は芹の話を聞きに来ただけなんだ。
それなのに芹が黙っていて、なんだかちらちらと周りから視線を感じて、俺は芹の腕を引いて歩き出す。
昇降口は出入りする生徒や一般客が多くて、周りの視線が多すぎる。学園祭中だから、どこに行っても人が多いのは仕方がないが、少しでも静かな場所を探して。
気持ちが急いていたからか、芹の歩調を気にするゆとりがなくて、俺に引っ張られるように走っていた芹がつまずいて転びそうになったのに気づいて、振り返りざま腕の中に芹を抱きしめる。
今日何度目かの芹の温もりに愛おしさが込み上げてくる。
だけど、まだ言えない――
そのもどかしさに、ぎゅっと唇を噛みしめると。
「私に構わないでっ……」
震える声に、胸がぎゅっと締めつけられる。
腕の中で顔を上げた芹の大きな瞳に涙がにじんでいて、ぽろぽろと透明な雫が頬をつたっているから、あまりの衝撃に体が凍りつく。
なんで……泣いてるんだ……
胸がぐるぐるとかき乱されて、抱きしめて涙を拭ってやりたいのに、体が凍ったように動かない。
頭を小さく動かして俯いた芹は、その顔に切ない笑みを浮かべて俺を振り仰ぐ。
「ごめん……私と松がこんなふうに一緒にいるのを美咲ちゃんが見たら誤解しちゃうから、私に構わないで?」
そう言った芹は、嗚咽を堪えるようにきゅっと唇をかみしめ、手の甲でぐいっと涙を拭い、ゆっくりと踵を返して去っていった。




