第50話 迷わないこと
ずっと、どうして芹が俺によそよそいい態度をとっているのか分からなかった。芹の自然すぎる笑顔を見るまでは――
俺のせい……?
俺と一緒にいるのが嫌で、それを我慢させている?
そう思ったら、どうしようもなく胸が苦しくなる。芹に嫌な思いをさせてしまった自分が情けなくて、身じろぐことすらできない。ただ、芹の側にいることができなくなると思うと、息がつまりそうな苦しさにぎゅっと眉根を寄せた。
「なに?」
俺があまりにも情けない顔をしてるからだろうか……
芹がキョトンと首を傾げて尋ねるから、慌てて平静を装うとしてできなくて、決まり悪くなる。
気が付いたら芹の肩に腕をまわして抱き寄せていて、自分で自分のことを呪う。
俺のバカヤロ――――
とっさにしてしまった男友達仕様のスキンシップに内心てんぱりながら、なんとかいわけを口にする。
「俺が、芹と一緒に帰ろうと思っちゃダメなのかよ……?」
それからさりげない仕草で芹から離れて、歩きだす。
昇降口を出て、西に沈みかけた夕陽がオレンジに染める校庭を横切る。一歩一歩がぎこちない動きで、どうしようもない。
コンパスの差のせいか、半歩後ろをついてくる芹がくすりと小さな笑みをもらすから、心が震える。
「美咲ちゃんと帰らなくていいの?」
その言葉にびくっと肩を震わせて、ゆっくりと振り返る。
「藤堂さん……? どうして……」
藤堂さんと俺が付き合おうことを芹が知ってるんじゃないかって気づきながら、最後の悪あがきをする。
芹が知らなければいいと思って――
見つめた先で、一瞬、芹の瞳が揺らいで、それから苦笑する。その笑顔はいつも見ていた“芹の笑顔”だった。
「どうしてって、やだな、美咲ちゃんから聞いたよ? 付き合いだしたんでしょ」
やっぱり知ってたんだな……
しかも藤堂さんから聞いたって――少し考えれば藤堂さんが芹に話すことなんて予想できたのに、そんなこと考えつきもしなかった自分はほんと馬鹿だ。
付き合うのは本当で、否定が出来ないことが複雑だった。
本当だったら芹に好きだって気持ちを伝えていたかもしれないのに、これで芹の中の「俺が藤堂さんを好き」だという誤解が完全に事実に塗り替えられてしまった。
この時になって俺は、ぐだぐだ悩んでいたことを後悔した。
告白して友達の関係でもいられなくなったらどうしようとか弱気になって、そんな俺に対してまっすぐに気持ちを伝えてきた藤堂さんが眩しく見えて、ふって傷つく藤堂さんに自分を重ねてふることが出来なくて、あまり深く考えずに期間限定の付き合いを受け入れて――
「おめでとう」
笑顔で言われて、呆然と芹を見つめ返すしかできない。
「私さ、二人が両思いだってずっと知ってたから、ちゃんとくっついてくれてよかったよ、嬉しい」
芹はあの日だってそう言っていた。「私は二人が上手くいけばすごく嬉しい」って。
俺が藤堂さんと付き合いだして、芹はそのことを喜んでも俺を友達以上に見てくれることはない。むしろ、俺達の中を邪魔しないようにって距離を置くようになるんじゃないだろうか――
そう考えて、自分の誤解にも気づく。
芹がよそよそしかった理由は、友達の藤堂さんの気持ちを知ったから――?
俺との中を藤堂さんに誤解されないように、距離を置こうとした? そして、俺も藤堂さんを好きだと思ってたから……
俺は芹の気持ちも考えずに離れていこうとする芹に焦ってイライラしていたのに、芹は俺のことをずっと思っていてくれた。それがたとえ友達としてでも、嬉しすぎて泣きそうになる。
俺は何も言わずに芹の頭をくしゃっと撫でて、踵を返して校門に向かって歩き出す。後を追ってきた芹が「照れなくてもいいのに」と言ったのに対して、俺はぼそりと答える。
「そんなんじゃねーし……」
「何かあったら、相談にのるからね。私と松はさ、友達なんだから」
笑いかける芹に、俺はもう一度心の中でつぶやく。
そんなんじゃねーんだよ……
いままでぐだぐだ悩んでた事が馬鹿らしくなる。
振って藤堂さんを傷つけたくないとか詭弁だ。本当は前に進む勇気も立ち止まる勇気もなかっただけ。
芹に恋愛対象外のただの友達と思われてて、そんな時の藤堂さんの告白は普通に嬉しかった。心が揺らがなかったとは言わない。それと同時に、藤堂さんの誘いに淡い夢を抱いて、芹との関係が好転するかもしれないと思った。でも――
芹に俺が違う誰かを好きだと誤解されることが、こんなに辛いことだとは思わなかった。
どうして俺はもっと早く、誤解を解こうとしなかったのだろうか。
ずっと迷っていたことにやっと答えを見つけて、俺はぎゅっと唇をかみしめて視線を前に向けた。
もう迷わない――
俺が好きなのは、芹だ――




