第42話 うわさと忠告
週明けの月曜日、朝練を終えて教室にはいると、しまりのない顔の菱谷が近づいてくるから、なにを言われるのかだいたい察しがついて、片眉をあげる。
「菱谷、朝練さぼるなよな」
「しょうがないだろ、俺、朝は苦手なんだから」
ぜんぜん悪びれずに澄ました顔で言い、俺の肩に寄りかかってくる。
ほんと、こいつのスキンシップって重いな……
「それよりさぁ~、俺、すっげー噂聞いちゃったんだけど……」
イヒヒ……という笑いをもらし、菱谷が口元に手を当てて、にやにやと俺を見る。
「なんだよ……?」
「お前、芹香ちゃんとデートしたらしいじゃん? 学校でちょっとした噂になってるぜ?」
デート……はしてないが、それって昨日のゴールデンGPに一緒に行ったことか?
「なんだよその噂、ガセ掴まされてんじゃねーよ。ってか、俺はそんな噂流れてるなんて知らないけど?」
「松岡は知らないだろーよ、女の子の間はこの噂で持ちきりらしい……ほら見てみろよ」
俺の耳元で囁き、クラスの後方を視線で示す。
女子数人が固まって話していて、それを見ていた俺と視線が合うとぱっと視線をそらした。
女子の間でだけ流れてる噂――か。
じゃあ、なんで菱谷が知ってんだよって聞くのは、愚問だろうか。
くそっ、朝練サボって女子といたのかよ――
呆れ混じりのため息をもらし、菱谷の胸を押して離れさせる。
「俺と芹は――」
口を開いた俺の言葉は、菱谷の言葉に遮られる。
「どうせ、友達だ――って言うんだろ? まっ、俺は松岡の友達だから噂は信じてないけど、噂好きの女の子達はどうだろうね~? 特に、お前と芹香ちゃんが仲良いって知らない一年生とか? 気をつけてあげた方がいいんじゃね?」
俺と芹が友達という言葉を信じてない菱谷が、噂を信じてないっていうのは本心じゃないだろうけど、菱谷にしてはめずらしく真剣な表情で言うから、俺は二の句がつげなくなる。
だけど、気をつけるってなにをだ――?
俺はそわそわしながら四時間目チャイムが鳴るのを待った。午前の授業は長引いたり、移動が多くて、芹のところに行くことが出来なかった。だから、四時間目が終わったら、芹のいる三組へと行くつもりだった。
チャイムが鳴り、素早く教科書を片づけて教室を出ようとしたら、先生に呼びとめられて、授業で使った教材を社会科準備室まで運ぶように言われてしまった。こんな日に限って日直とかついてないな……
しぶしぶ準備室まで教材を運び、教室の前を素通りして三組に行こうとしたら、廊下を走ってきた女子に呼びとめられた。
「あっ……松岡君っ!」
「えっと……確か、藤堂さん」
腰までの長さの黒髪とぱっちりした黒目が印象的な藤堂さんは芹のクラスメイトで、よく一緒にいるのを見かける。俺自身は同じクラスになったことはないから、挨拶くらいしかしたことがなくて、声をかけられたことに単純に驚いた。
「どうしたの?」
俺に用事があるとは思えなくて首を傾げる。
「芹香ちゃん、四組に来てる?」
「えっ、俺、教室にいなかったから、どうだろう……ちょっと待って。おーい、菱谷」
俺は窓から教室を覗きこんで菱谷を呼び、芹が来たかを尋ねた。
「いんや、芹香ちゃんは来てないけど?」
「芹はうちのクラスには来てないみたいだけど、どうかした?」
「芹香ちゃん、購買に行くって言ってからなかなか戻ってこないからちょっと心配になって」
伏し目がちにそう言った藤堂さんの言葉に、今朝の菱谷の言葉が重なる。
『噂好きの女の子達はどうだろうね~? 特に、お前と芹香ちゃんが仲良いって知らない一年生とか? 気をつけてあげた方がいいんじゃね?』
もしかして、芹に何かあった――?
そんな不安が胸に押し寄せて、俺は芹を探すために購買に行くことを告げる。
「あっ……私も一緒に行く」
藤堂さんはかすかに震えた声で言って、胸元で拳を握りしめている。きっと藤堂さんも芹を心配しているんだろ。
「うん、一緒に行こう」
結局、購買には芹はいなかった。俺と藤堂さんは食堂を確認して、もう教室に戻っているかもしれないからと教室棟に戻ることにした。渡り廊下を歩いている時。
「ごめんね、松岡君。私のせいでお昼時間、ほとんどなくなっちゃって」
「藤堂さんのせいじゃないだろ? 芹のこと心配してくれる友達がいて安心したよ」
藤堂さんとはいままでほとんど話したことがなかったけど、こうして話していい子なんだと分かった。
先を歩いていた藤堂さんが足を止めて振り返り、俺を見上げる。
「松岡君って、カッコイイし優しいんだね。芹香ちゃんがなんだか羨ましいな」
わずかに頬を染めて微笑む姿はとても可憐で、ドキっとしたのは仕方がないと思う。
「いや、俺、別にカッコ良くもないし、優しくもないよ……」
お世辞だって分かっていても、まっすぐに見つめられて言われると照れてしまう。
「ねっ」
腰をかがめて顔を覗きこむようにしてくる藤堂さんは、憂いのある顔で首を傾げる。
「松岡君って、芹香ちゃんのことが好き?」
直球の質問に、かぁーっと自分でも分かるくらい顔が赤くなってくる。
そんなこと聞かれるなんて予想もしてなかったからって、この反応は言葉にしなくても認めてるって分かってしまうよな……
「あー……」
ってか、俺の気持ちってそんなに周りから見てバレバレなんだろうか……?
「そう……見える?」
恥ずかしさのあまり口元を腕でおおって聞いた俺に、藤堂さんは可愛くにこりと笑う。
バレバレってことか――?
「あっ、芹香ちゃん!」
藤堂さんが俺から視線を中庭の先に映して叫んだ声に、俺は肩を大きく揺らす。
ちらっと視線を向けると、芹が中庭に呆然と立ち尽くし、藤堂さんが芹に駆けよっていった。
一瞬、芹と視線があったような気がしたが、俺はすっと視線を足元に落とす。
なんでって? いまさっき、自分の気持ちが周りにバレバレだって知らされて、どんな顔して芹に会えばいいのか分からなかった。
もしかして芹も、俺の気持ちに気づいているんだろうか――
気づいていて、友達として接してくれているのだろうか――
どちらなのか分からなくて、俺は小さなため息をついて、藤堂さんと芹に歩み寄る。
普通にしてるしかないよな――そんなどうしようもない答えしか見つからなくて。それでも俺はいつも通りの顔で芹の肩をぽんっと叩き、意地悪な笑みを浮かべる。
「芹、どこ行ってたんだ? 藤堂さんが心配して俺の教室まで来たんだぞ」
「えっ、そうなの!? ごめんね、美咲ちゃん」
「ううん、いいよ。私が一人で大騒ぎしちゃっただけだから。あっ、早く教室戻ってお昼にしよう」
よしっ、グダグダ考えるはやめようっ!
今はとにかく、昼メシ食べるのが先決だろうか。




