第41話 事実上の失恋?
ゴールデンGPの帰り道、隣を歩く芹がくすりと小さく笑うから、俺は片眉をあげてセルを見る。
「なに?」
「んー、ちょっと去年の事を思い出してね……」
「去年のこと?」
「松に話しかけられてから、もう一年が経つでしょ」
「あー、芹がゴールデンGPのチケット持ってて、俺が話しかけた時のことか」
「うん」
そういえば、芹と友達になってから一年になるんだな。芹とはもっと前から知り合いだったように感じるけど、まだ一年しかたっていないんだとしみじみしていると、芹のまとう空気が寂しげにしずんだことに気づく。
「私ねー、あの日、ふられたの」
そう言った芹は、触れたら壊れてしまいそうな儚い笑みを浮かべていた。
「えっ……」
胸の前で組んだ腕をぐーんと大きく上にあげ、空を振り仰いだ芹は、俺の驚きの声に空から視線を俺に向け、くすりと微笑む。
「本当は彼と一緒に行く約束してたんだけど、あの日行けないってメールで言われてふられて、彼と一緒に行ったゴールデンGPに一人で行く気になれなくて、あーあ、チケット無駄になっちゃったなぁ~なんて考えてた時に、松が声掛けてくれたんだよ」
なんだよ、その話……
だって確か、俺には「友達と」行く約束していたって言ったじゃないか……?
彼氏がいたなんて知らなくて、その事実に衝撃を受ける。
でも、恋愛について芹と話したことがなかったことに気づいて、ただ俺に芹がいままで話さなかっただけだと思い知る。
それでも、俺も芹に言っていない気持ちがあるから、複雑な気持ちになる。
「チケットを譲って自分は行かないつもりだったのに、いつのまにか一緒に行くって話になってて、あの時はビックリしたなぁ~」
あの時の俺はチケットを譲ってくれるっていう言葉に浮かれてて、芹の様子になんて気づいていなかった。
あの時、芹はふられて悲しんでいた――?
思い出そうとしても、あの日の芹には靄がかかっていて分からない。
俺は自分のことばかりに気を取られていて、芹に気を配れなかった自分が悔しくなる。
無神経に誘ったりした俺って、馬鹿だ――
「ごめん……」
悔しくて情けなくて、芹に合わせる顔がなくて俯く。だけど、俺の言葉に芹が大きく首を横に振った。
「ううん、ありがとうだよ。あの時は戸惑ったけど、今は誘ってもらって良かったと思うの。だって、もしあの時松と一緒にゴールデンGPに行ってなかったら、今こんなふうに松と話してることってなかったかもしれないでしょ? 松と友達になれて良かったよ」
言って俺に向ける笑顔は、眩しいほど綺麗で、俺の心をついた。
そんなふうに言われたら、俺は自惚れてしまいそうだ。
友達――その言葉が俺にとっては勲章だった。友達だろうと、芹の隣は俺の場所なんだって思えて、胸がドキドキと鳴り響く。その音を耳の奥で聞き、呆けたように芹を見下ろしていると。
「どうしたの?」
と、芹が首を傾げる。俺は慌てて口を開く。
「あっ、いや、芹とこんな話するの初めてだから……驚いた」
言った後に後悔して口元を腕でおおい、決まり悪くて困る。
「あーそうだね、って私もこの話、誰かにするのは初めてだよ」
芹は俺から視線を前に向けて苦笑する。その横顔に夕陽が当たって、なんだかとても綺麗だった。
ぼーっと見つめていた俺は、芹の小さな声に、胸が跳ねる。
「結城君は今、どうしてるのかなぁ……」
その言葉に、踏み出す足取りが重くなる。
「元、彼……?」
話の流れで、芹の口から出てきた名前が元彼だとすぐに分かった。
「うん、中学のとき同じ陸上部だったんだ。結城君は県外の陸上の強豪校に進学、私は家から近い高校を選んで、中学卒業して会わなくなって、自然消滅……」
自虐的な笑みを浮かべた芹。でも、懐かしむような、恋しそうなその口調に気づいて、胸が押しつぶされる心地だった。
「まだ、好きなの? ……そいつのこと」
考えるよりも先に、その質問が口をついて出ていた。
芹も、そんなことを聞かれるとは思わなかったんだろう。俺を見上げた芹は一回、二回と瞬きして、コクンと首を縦にふった。
「うん……好きだよ……」
その言葉が、巨大な氷の塊にように胸に突き刺さり、じんじんと痛み始める。
いままで聞かなかった芹の恋愛の話。どうして今日話したのかとずっと疑問だった。だけど、今日だからこそ、芹が話したんだ。
今日が元彼にふられた日で、いまもまだ好きだから、思い出さずにはいられなかったんだ――
芹の隣は俺の場所だとか思った自信は、粉々に砕け散ってしまう。
苦しくて切なくて、どうしたらいいのか分からなくなる。
黙りこんでいた俺。芹も何か考えていたようだが、ふいに俺の見上げて、無邪気な声で。
「あっ、松は好きな人いるの?」
そう尋ねるから、俺はぐっと奥歯を噛みしめて掠れる声を絞り出す。
いま、言わなければ自分の気持ちはもう二度と言うことができなさそうで俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いるよ……」
だけど。
「えっ、ほんと!? 誰? 私の知っている人かな?」
好奇心に瞳を輝かせて尋ねてくる芹を見て、喉まで込み上げていた想いがすぅーっとひいていく。
いま、言ってどうなるっていうんだ――
芹は俺のこと友達としか見ていなくて、元彼のことが忘れられなくていまでも好きで。
俺が芹を好きだと言っても芹を困らせるだけだろ……?
じぃーっと俺を見上げてくる芹の澄んだ漆黒の瞳を見て、皮肉気な笑いがもれる。顔を傾けて、そのままコンっと額を芹の額にぶつけた。息が触れそうな距離で芹がその瞳を好奇心からわすかに戸惑いに揺らすから、俺はため息と共に言葉を吐き出す。
「芹が知ってるやつだよ……」
そう言って、つけていた額を離して前を向く。
「そーなんだぁ、去年クラスが一緒だった子かな?」
「また、今度な」
今度はないだろうけど――
そんなことを思いながら、興味津々に尋ねてくる芹に気づかれないように苦笑いし、芹の手を引いて歩きだす。
だって、これって、事実上の失恋だよな……?
芹を好きだと気づいて戸惑って、好きだと思えたことが幸せだった。芹の隣にいて、ずっとずっと笑いあえたらいいっと思っていた。それが俺の小さな望。
だから、芹に好きなヤツがいるなら応援したいと思った。それが、いままで味わったことない辛さや苦しみでも。
俺は芹の側にいたいから、好きだという気持ちは言葉にはしない。
それでも、態度で示すことは許されるだろうか――……




