第4話 元彼の存在
お昼に話した美咲ちゃんの言葉が頭から離れなくて、私は横に並んで歩く松をじぃーっと見上げた。
濃紺の学生服に包まれた長身には形の良い筋肉がつき、美しい曲線を描いている。髪は短く整えられて爽やかな印象を与え、日に透けて茶色に見える髪はさらさらで触って見たいと思ってしまう。きりっとした眉、切れ長の澄んだ瞳、通った鼻すじ、形のよい唇――
あらためて松のことをじっくりと観察して、松ってカッコイイんだなって実感する。そういえば、初めて一緒に出かけて時もこんなこと考えたな。一緒にいることが多いから、そんなに気にならなくなっちゃったのかな?
だけど、カッコイイからってイコール恋愛対象にはならないでしょ?
まぁ、松は性格もイイヤツだって知ってるからモテるって聞いて納得しちゃうけど、私にとってやっぱり松は趣味の合う友達なんだよね。男の子として意識したこともないし、松だって私のことを女の子として見てないんだよね。
「なに? なんかついてる?」
あまりにもじぃーっと見過ぎていたせいか、松が決まり悪そうに頬を染めて、横目で私を見る。
「ん? 松ってカッコイイんだなぁ~と思って」
つい考えていたことを言葉にしてしまって、私は慌てて口元を手で覆って視線をそらす。
「なっ……んだよ、急に」
松の声が驚きに揺れてるのに気づいて、なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだって思って、松の顔が見られない。
気まずい雰囲気をなんとかしようと思って、髪の毛をいじりながらおどけた調子で言ってみる。
「松のことカッコイイって女子がすごい噂してるらしいよ、モテモテですごいね。こんなカッコイイ男友達がいるなんて女子にやっかみかいそうだなぁ~なんて……」
「なんだよ、それ」
松が小さな声でぽつりと漏らして、次の瞬間、私の肩に腕を回して引き寄せるから、ドキンッとしてしまう。
カッコイイなんて思った後で、あまりに近くに松の逞しい体を感じて、なんだか意識してしまった。
だけど、こんなスキンシップはいつものこと。松にとって私は男友達みたいな存在で、男同士仲良く肩組んで歩くのなんて普通でしょ。深い意味なんてないし、私もいつもはドキドキなんてしないのに。
一瞬感じた、甘酸っぱい胸の痛みに疑問を感じながら振り仰ぐと、松が私を見下ろしていて視線があってしまった。すぐ目の前に松の澄んだ瞳が鮮やかにきらめいて、吸い込まれるように見つめてしまう。
わー、やっぱ松ってカッコイイんだな、目の保養になる!
もう一回実感して見とれていたんだけど、ふいに松が視線を外し肩に回していた腕を解いて私から距離を取る。どうしたのだろうと首を傾げると。
「なー、腹減ったからなんか食ってかない?」
そう言って、松が近くのファーストフードの看板を指さした。
あっ、お腹すいたのか。さすが、運動部。成長期の男の子はすぐお腹すくっていうもんね。
「うん、いいよ~」
頷き返し、お店に歩きだした松の後を追った私は、側で同じ制服を着た女子数人が私達を見ていることには気づいていなかった。
※
五月の連休をむかえ、今年もゴールデンGPに松と一緒に行く。
その帰り道、松と二人、並んで駅に向かって歩いていた私はくすりと小さな笑みをもらした。
「なに?」
松が訝しげに片眉をあげて私を見下ろす。
「んー、ちょっと去年の事を思い出してね……」
「去年のこと?」
「松に話しかけられてから、もう一年が経つでしょ」
「あー、芹がゴールデンGPのチケット持ってて、俺が話しかけた時のことか」
「うん」
頷いて、私はその時のことを思い出してちょっと寂しげな笑みを浮かべる。
「私ねー、あの日、ふられたの」
何かを思いきるように言葉にのせて、胸の前で組んだ腕をぐーんと大きく上にあげ、空を振り仰ぐ。
「えっ……」
松が驚いた声をあげて、私は空から視線を松に移して、くすりと微笑む。
「本当は彼と一緒に行く約束してたんだけど、あの日行けないってメールで言われてふられて、彼と一緒に行ったゴールデンGPに一人で行く気になれなくて、あーあ、チケット無駄になっちゃったなぁ~なんて考えてた時に、松が声掛けてくれたんだよ」
松は少し戸惑ったような顔で、私の話を静かに聞いていた。
「チケットを譲って自分は行かないつもりだったのに、いつのまにか一緒に行くって話になってて、あの時はビックリしたなぁ~」
「ごめん……」
俯いて首を触りながら言った松に、私は大きく首を横に振る。
「ううん、ありがとうだよ。あの時は戸惑ったけど、今は誘ってもらって良かったと思うの。だって、もしあの時松と一緒にゴールデンGPに行ってなかったら、今こんなふうに松と話してることってなかったかもしれないでしょ? 松と友達になれて良かったよ」
私が笑いかけると、なぜか松は瞠目して私を見つめているから、首を傾げて尋ねる。
「どうしたの?」
「あっ、いや、芹とこんな話するの初めてだから……驚いた」
口元を腕で覆って、松が決まり悪そうに目を細める。
確かに、お互いの恋愛について話したことってなかったな。
「あーそうだね、って私もこの話、誰かにするのは初めてだよ」
そう言って、本当に久しぶりに結城君のことを思い出して、苦笑いが漏れる。
もし、結城君と同じ高校に進学していたら、今日、結城君と一緒にゴールデンGPに来る――そんな未来も私の中にはあったのかな?
そんなこと考えても仕方ないって分かっているのに考えてしまって、結城君のことを思い出して胸が切なくなる。
「結城君は今、どうしてるのかなぁ……」
ぽつっと考えていたことを言葉にしてしまって、隣を歩く松の気配が戸惑うのが分かった。
「元、彼……?」
気づかうように私を見下ろした松に、私は苦笑する。
「うん、中学のとき同じ陸上部だったんだ。結城君は県外の陸上の強豪校に進学、私は家から近い高校を選んで、中学卒業して会わなくなって、自然消滅……」
自虐的な笑みを浮かべて俯く。
後悔はしていないけど、全くないといったら嘘になるかな……
「まだ、好きなの? ……そいつのこと」
その言葉にゆっくりと顔を上げた私は、一回、二回と瞬き。
「うん……好きだよ……」
言葉にした瞬間、胸がしめつけられた。
好きか嫌いかって言われたら、好きだと思う。もう男の子としてではないけど、人として結城君のことを嫌いになることは、この先もないと思う。別れることになったのは結城君が一方的に悪いわけではないから、もしもう一度会うことがあったら、その時はまた以前のような友達として仲良くしたい。
自分の思考の中に落ちていた私は、その時、松がどんな顔をしていたかなんて気付かなかった。ただ、黙り込んでしまった松に、ふっと思いついた疑問を無邪気にぶつけたのだった。
「あっ、松は好きな人いるの?」
自分だけこんな話するのは恥ずかしくて聞いてみただけだったのだけど。
私の問いに松は一瞬大きく目を見開き、その漆黒の瞳を切なげに揺らしてささやいた。
「いるよ……」
「えっ、ほんと!? 誰? 私の知っている人かな?」
こういうのって他人が興味本位にあれこれ聞いちゃいけないって分かっているのに、松が好きになる子ってどんな子なんだろうって、単純に興味がわいてくる。
松はじぃーっと私を見つめて顔を傾けると、そのまま、コンっと額を私の額にぶつける。息が触れそうな距離で松の顔を見上げると、長い睫毛がわずかに伏せられていてその影に縁取られた切れ長の瞳があまりに美しくて、息が止まりそうになる。
「芹が知ってるやつだよ……」
少し掠れた声で言って、松が私から体を離す。
「そーなんだぁ、去年クラスが一緒だった子かな?」
一度顔を出してしまった好奇心はなかなか引っこめることができなくて質問を重ねたんだけど。
「また、今度な」
松はそう言って私の手を引いて歩きだしてしまった。その表情が切なげに揺れてとても色っぽい。今の私には恋愛とかしている余裕がないっていうか興味がないっていうか、だから、恋をしている松が素敵だと思ってしまったのは、ただ単純に恋している気持ちが羨ましいと思ったのかもしれない。だから。
松の恋が叶うといいな――心からそう願った。