第37話 純心
「今日は少しだけお化粧してるの。変じゃないかな?」
そう言って俺を上目使いで見上げた名雪の顔が脳裏から離れない。
尋常じゃないほどの鼓動を耳の奥で聞いて戸惑う。
名雪が立つ左隣に全神経があるんじゃないかっていうくらい体の左側に熱を帯びている。
顔はほてって、名雪の顔を直視できなかった――
いつもと違うと思った名雪は化粧をしていて、普段から綺麗な肌がより一層きらめいて、触れたくなるような唇には淡い桃色のリップクリームが塗られている。艶やかな瞳に見上げられれば、その瞳に吸い込まれそうだった。
可愛い――
そう思った。それなのに、その気持ちがもやもやと胸に落ちてくる。
臨海学校の時、菱谷達が言っていた可愛いなって思う気持ちはこういうことなんだ――と思う反面、友達の名雪に対してこんな感情を抱くのはおかしいと動揺した。
とにかくこんな気持ちは初めてで、どうしたらいいのか分からなかった。
名雪と視線が合えば胸が苦しくなって、でも、隣にいるのは居心地がよくて。矛盾した感情に翻弄されて、たぶん、その日の俺は挙動不審だったに違いない。
花火大会後の夏休みも名雪とはメールのやりとりを何度もして、それ以前と何かが変わったわけではなかった。
ただ、俺の中では何かが変わっていた。
もちろん、それがなんなのか――俺が気づくのはもう少しあとのこと。
※
緑から黄色や赤へと葉の色が移り変わり、肌に心地よい秋風が吹き抜ける。秋の気配も深まり、日ごとに寒くなっていく。
夏休みが終わるとすぐに学園祭、その後中間試験があって慌ただしく十月をむかえる。
一緒に出かけた花火大会で、名雪のことを可愛いと思ってドキドキする胸に困惑したが、その後、名雪とは普通に接することができたし、あの日のドキドキはなんだったのか、とますます疑問がつのる。
十月には部活の大きい大会もあり、俺も練習は忙しくなり、名雪も試験勉強を頑張っていた。
いつでも一緒にいるわけではなかったが、それでも教室で少し話す時や一緒に帰る時はふわふわとした気分になる。
それは、俺が名雪のことを友達としてとても大事に思っているからだと思っていた。実際、名雪は女子の仲では一番仲がいいし、男友達よりも特別な存在だった。
何かしていなくても名雪が隣にいるだけで、その存在感に安心した。
なんだかんだと一緒にいることが多い俺と名雪を見て、菱谷がいつものしまりのない顔で、「お前達、付き合ってんの~?」なんて聞かれるが、夏休みから聞かれ続ける疑問にお決まりの言葉でかえす。
「友達だって言ってんだろ」
本当に友達でしかないんだから、そう言うしかないだろ?
まあ、花火大会の時、菱谷達が言うように名雪のこと可愛いとか思ったけど、それって男からしたら普通の感想なんだろうと思ってた。
なぜって、菱谷だって、彼女のいる薦田だって、好きな子がいる八木だって、名雪を可愛いって言ってたってことは、客観的に見て可愛いってことだろ?
可愛いって思ったからってどうこうなるわけじゃないんだろ?
「私と松岡君は友達だよ? 残念ながら菱谷君の期待には答えられないなぁ~」
って名雪も、苦笑して菱谷に言っていた。
まあ――名雪となら、付き合うってことになっても楽しいんだろうけど、正直、いままで誰かと付き合ったことのない俺は、そういうことにあまり興味がないというか、付き合うっていうことも想像できない。第一、部活で手一杯でそんな余裕もない。
名雪とは、友達として話したり、時々一緒に帰ったりする。今の状況に満足していた。こうして一緒にいられるだけで良かったんだ。これ以上の関係を望んではいなかった――




