第32話 スカウト
体力測定が終わっても、俺の脳裏には名雪の走る姿がちらついて、陸上部に入んないかなぁ~と淡い期待を抱く。
同じ部活に入れば、今まで以上に話しかけても不自然じゃないだろうし、名雪の走る姿だって間近で見ることが出来る。
誘ってみるか――そう思って、ゴールデンGPの日、名雪が言っていた事を思い出す。
『んー、高校は部活は入らないつもり。夢があってね、だから勉強頑張ろうと思って高校は近くの錦ヶ丘高校を選んだんだ……』
勉強頑張るって、大学受験に向けてか――?
高一の今の時点で、将来の夢とかどこの大学に行きたいとか、そんなことまで考えている名雪に驚く。
俺なんて、陸上部がある大学がいいなくらいしか、進路わからん。
だけど、しっかりした先を見据えている名雪の邪魔をするのはいけない気がして、陸上部に入ってくれたら嬉しいと思った気持ちを消しさる。
まあ、部活が同じじゃなくても、部活が休みの日に一緒に帰ったり遊びに行ったりして仲良くなればいいんだよな。
そんな楽天的に思考を切り替えて、俺はその日も授業を受けていた。
だが数日後、教室に陸上部の先輩がやってきたから驚く。なぜなら三年の女子部長が、俺や菱谷に用があるはずはなくて、なんのためにうちのクラスに来たのかすぐに見当がつく。
体力測定の結果は体育教官室の前の廊下に張り出される、っと二年の先輩が言っていた。もちろん、名前が乗るのは測定結果の上位者だけだが、全生徒の記録が公開される。なんのためかっていうと、運動部のスカウトのため。体育教官室の前の廊下なんて、運動部員か体育委員くらいしか通らない場所にわざわざ張り出すんだ。
きっとそこで名雪の名前を見て、来たのだろう。
そう思って見ていると、女子部長は入り口にいた生徒に適当に声をかけて、「名雪さんを呼んでくれるかしら?」と言った。
声をかけられた女子が名雪に声をかけ、名雪が扉を振り仰ぐ。そこにいるのが知らない人で首を傾げていた。
俺は自分の席をガタンっと立ちあがって、名雪の跡を追って、教室の扉を出ようとしたとこで足を止める。
先輩は教室の前の廊下で名雪に話をしていた。
「はじめまして、名雪さん。突然呼びだしてごめんなさい、私は三年の岩瀬って言って、陸上部の女子部長を務めているの。今日はあなたに話が合って――」
先輩の話を聞く名雪はとても落ち着いていて、先輩の方が緊張しているように見えた。
「――どう? 陸上部に入ってくれないかしら?」
一通り先輩の話が終わると、それまで静かに話を聞いていた名雪はガバッと頭を下げる。
「すみませんっ。誘っていただけるってことはすごくありがたいことだとは思います。でも、私は高校は部活に入らないつもりでいるので……」
「他の部活にも?」
片眉をあげて、含んだ言い方をした先輩に、名雪は苦笑する。
「はい。テニス部もバスケ部もお断りさせていただきました」
その言葉を聞いて、俺は目を見張る。陸上部だけじゃなく、テニス部にバスケ部も名雪の勧誘に来ていたことに驚く。でも、それで名雪が先輩の呼び出しに冷静に対応しているのに頷けた。
何度もあちこちの部から勧誘されたら、そりゃ、慣れるよな。
先輩は他の部に先を越されていたことに歯噛みし、名雪の決意が変わらないことを見てとって皮肉気な笑みを浮かべて帰って行った。
「あっ、松岡君……」
扉のとこで立ちつくしていた俺に気がつき、名雪はなんともいえない様な複雑な笑みを浮かべる。
「聞いてた?」
「悪い、聞いてた」
「そっか……」
名雪はそう言って首を傾げて苦笑する。
「どこで聞いたのかは知らないけど、先輩達はみんな、私の体力測定の持久走と五十メートル走のタイムを知っているみたい」
どこで知ったのかしら――と首を傾げる名雪に、体力測定の結果が張り出されていることは運動部だけが知っていて、運動部でも一年は知らないやつが多いことを思い出して説明した。
「そんなことになってるんだ、納得。でも、私より早い人もいっぱいいるだろうにね?」
首を傾げる名雪に、俺は名雪より早い奴はそんなにいないって言いたかったが、それを言うと、陸上部にはいって欲しいっていう気持ちがあふれてきそうで、ぎゅっと唇をかみしめた。
俺がそんなことを言ったところで、名雪の決心は変わらないだろうことは分かっているから、困らせたくはなかったんだ。
その日の部活中、俺が名雪と話しているのを見たらしい岩瀬部長に、俺から名雪をもう一度陸上部に誘ってほしいと言われたが、俺から言っても名雪は入らないだろうことを伝え、名雪を陸上部に勧誘するのは諦めてもらうように言った。




