第31話 走る姿に見惚れて
「別に」
「女子の方見て、好きな子でもいるのかなぁ~」
そんなふうに冷やかす。
ちょっと女子の方を見ていただけで、好きな子っていう発想に結び付ける菱谷の脳内を一度割って見てみたい気もする。
「お前って、女好きだな……」
ボソッともれた声に、菱谷は心外そうに眉根を寄せる。
「俺はそんな好色じゃねーし」
ふんっと胸を張る菱谷。だけど、その視線が女子に向いてにやっと口元がゆるむ。
「いい眺め」
その言葉に突っ込むのも嫌で、俺は走り幅跳びの順番の列を進んで前に出る。
俺の結果は……まあ、普通? 特別良くもなくってカンジだ。それに比べて、俺の次の番の菱谷は、直前までのにやついていたヤツと同じなのかっていうくらい真剣な表情で走り出した。助走のステップからして、他の奴らと異色な雰囲気を放つ。踏切り板ギリギリを効き足で強く蹴りあげる。
言うまでもない、いい記録なんだよな。さすが、走り幅跳び選手。
飛び終わって一気に元の空気に戻った菱谷に心の中でだけ称賛する。
トラックに視線を向けると、最初のグループが走り終わり、名雪達がスタート地点で準備を始めている。
走り幅跳びの測定が終わった男子は、トラックの中央に移動して、女子が走り終わるのを待つ。俺も菱谷と一緒に、校庭の端にある砂場から、持久走が始まる前にトラックを横切って移動する。
教師の掛け声によって女子が前傾姿勢になって構える。
うちのクラスの女子には陸上部がいないからか、名雪のスタンディングが目立つように感じる。
スタートの合図と共に飛び出した数人の中にある名雪の姿を目で追う。トップ集団の三番手についているが、表情からは余裕を感じさせる。
男子は千五百メートルだが、女子は千メートルと少し距離が短く、校庭の二百メートルトラックを五周する。
トップ集団は二軍以下を引き離しているが、三週目を過ぎたあたりで先頭を走っている女子のスピードが落ちたように感じた。瞬間、名雪がすっと二人を抜いてトップに躍り出る。それに続いて何人かスピードを上げたが、名雪のペースにはついていけない。
特別飛ばしているようには見えなかったが、名雪を追った女子は自分のペース以上の走りについていけなかったんだ。それに比べ、名雪はちゃんと自分のペースを分かっているようで、今や、名雪の後ろに続く女子はいないのに、いまだに涼しげな顔をしている。
最後の一週でまたペースが上がってラストスパートが始まる。
結局、名雪がゴールを走り抜けるまで、俺は名雪から目が離せなかった。
「すげー早い……」
思わずもれた声に重なって、隣の菱谷もやや呆然と名雪に見とれていた。
「なんだ、名雪さんめちゃめちゃ早くないか……」
俺は言葉が出なくて、頷くことしか出来ない。
陸上部だっていうのは聞いていたけど、こんなに早いのに部活やらないなんてもったいないと思った。
それと同時に、体の底の方から闘志のようなものが湧いてくる。
すげー早い。それに、走る時も相変わらず綺麗な姿勢が目に焼きついていた。やや興奮状態のまま、男子の持久走が始まった。
持久走が終わると、最後は五十メートル走の測定。男女ごちゃまぜで、四人ずつ走る。俺は無意識に、砂場から五十メートルのスタート地点に歩いていた名雪の腕を掴んでいた。
「わっ、松岡君? びっくりした。どうしたの?」
くすりと笑って俺を見上げた名雪の表情にドキドキしながら、俺は言葉に詰まって――
というか、思わず掴んでしまった名雪の腕をぱっと離して、ぎこちなく視線をそらす。
なにやってんだ、俺……
「持久走、松岡君が走るとこ見てたよ。早いね、さすが陸上部――て言い方はダメかな……」
そう言って苦笑する名雪に、地面から視線を上げた俺は言っていた。
「五十メートル、一緒に走ろう――」
その時の俺はとにかく、名雪の走りに惚れ惚れとして、こんなに綺麗に走るヤツを今まで見たことなくて、単純に一緒に走ってみたいと思ったんだ。
名雪は快く頷いてくれて、一緒に走ることになったんだが……走り終わって少し後悔する。
間近で名雪の走りを見たいと思ったんだが、男と女の体格差で、というかたった六秒ほどの間に、しかも走りながら隣を走るヤツの姿なんか見れないことに、先に気づくべきだったんだ。
走り終わって、早いねって名雪に微笑まれて、なんともいたたまれなくなる。
なぜって? 結論から言うと、俺の方がタイムが速いから名雪の走る姿を全然見れなかった。
ほんと、俺、なにやってんだか……




