第28話 隣にいてくれた人
『松なんか嫌い。友達やめる――』
そう言って松から逃げ出した私は、家に着く頃にはじわじわと後悔の念に襲われていた。
思ってもいないことを言って松を傷つけた。あの時の私は、自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、自分の心を守ることしか考えていなかった。
でも、一度言ってしまった言葉は取り消せないことが分かっていたから、それを受け入れるしかなかった。
週末を挟み、中間試験一週間前となり、あいかわらず私は陽太君と図書館で勉強する日々が続く。
ぐちゃぐちゃ松のことを考えていたけど、学校内も試験前という張りつめた空気になって、自然と試験に集中することが出来た。
松がうちのクラスにくることはぱったりとなくなり、美咲ちゃんと一緒にいる姿もほとんど見かけなかった――というか意識的に見ないようにしていただけかもしれない。
美咲ちゃんは私と松の会話を知っているのか知らないのか、いままでと変わらない態度で、それがなんだかほっとした。
試験最終日のHR終了後、試験から解放されて、クラスの中が少し浮ついた空気になっていた。
「芹香、今日は久しぶりに二丁目のケーキ屋さん行かない?」
試験も終わりうきうきとした結衣に声をかけられて、私は快く頷く。
「うん、いいよ」
最近、松を避けて教室にいる時間が少なかったせいで、結衣ともあんまり話していない気がしたから、久しぶりに女子トークで元気をもらおうと思ったの。だけど。
「渡瀬さん、悪いんだけど、今日は芹香さん、俺に譲ってくれるかな?」
ふんわりと春のお日様の笑顔で陽太君が言う。
「陽太君?」
私が首を傾げると、陽太君は申し訳なさそうに眉尻を下げる。結衣は少し考え込んで、それから陽太君に意味深な瞳を投げかけてにやりと笑う。
「了解~。じゃ、芹香、ケーキはまた今度ね」
そう言った結衣は、ちょうど教室に残っていた他の女子に話しかけられて、私に手を振った。
「芹香さん、無理言ってごめんね」
「ううん」
前から約束していたわけじゃないし、謝られてしまえば嫌だとは言えなかった。
私は陽太君と一緒に教室を出て階段を下りて昇降口に向かった。靴を履きかえたとこで、陽太君が、正門ではなく裏門に視線を向ける。
「ちょっと、公園に寄っていかない?」
裏門を出て少し歩いたところに、丘になった公園があり、そこに行こうと言っていることに気づいて、私は頷く。
「うん、いいよ」
だってさ、結衣と帰ろうとしていたところに声かけてくるぐらいだから、何か話があるんじゃないかなって、感じていたの。
私達は正門に向かう流れからはずれて、校舎の脇を通って、体育館の前を通り過ぎて、裏門を抜ける。その間、陽太君はずっと黙ってて、時々振り向いては、私が後ろを歩いてくることを確認して、ふわっと笑みを浮かべた。
長い階段を登って、見晴らしのいい公園に到着する。園内に茂る木々は葉の色を染め始め、落ち葉が遊歩道の周りを飾っていた。
広場を抜けて、遊歩道の奥にある展望台の柵に近づいた陽太君は、鞄を地面に置いて両手をぐーんっと空に伸ばして背伸びする。振り返ったその表情はなんともいえないような苦笑だった。
「芹香さん、大丈夫?」
はじめ、問われた意味が分からなくて、私は首を傾げる。
「最近、ずっと元気ないみたいだから」
陽太君はそう付け加えて、一瞬、瞳が切なく揺れる。
そんなことはない――そう言いたかったけど、開いた口からは言葉は出てこなくて、私は泣き笑いのような笑みを浮かべるので精一杯だった。
なにもない、なんて嘘だってすぐにばれてしまう。
松と陸上部の部室で話した日、私が松に教室から引っ張られて行くのを、陽太君も見ていたことを思い出して、胸がツキンと痛む。
「なんで分かっちゃうのかな……」
ぼそっとひとりごちて、私は柵に近寄って身を乗り出すように街の景色を眺める。とてもじゃないけど、陽太君の顔を見ては話せなくて、景色を見ているふりをする。
「この間、松が教室に来たでしょ。それで少し話したんだけど……」
そう言って、私は話を切り出した。
「なんか、苦しくなっちゃって……片思いでもいいって思ってたのに、松が美咲ちゃんを好きなのを側で見ているのが辛すぎて、松の優しさが余計に松の存在を遠くに感じて、先を望んでもどうにもならないのに、どこかで期待している自分に気づいて……そんな自分の気持ちの限界に気づいちゃったのね。もう、このまま好きでいたらいけないって思った。でも友達でいる限り、私はずっと松の幸せを願えなくてドロドロした気持ちに悩まされて。好きすぎて、いっそ嫌いになれたらいいのにって思っちゃったよ」
そんなこと無理だって分かってるのに――
自虐的な笑みを浮かべる私に、陽太君は苦しそうに眉根を寄せる。
「だから……友達やめるって、松に言ったの。自分が傷つくのが嫌で逃げるために、松が傷つくって分かってて酷いこと言った。いまさら後悔しても遅いのに……でも、辛くて……」
語尾が嗚咽に混じって掻き消える。
「芹香さん、俺のこと、好き?」
唐突なその問いに、視線を街から右隣の陽太君に向けて、ゆっくりと首を縦にふる。
「学園祭の時、少しずつでいいから考えてって言ったよね? 少しは俺のこと、考えてくれた?」
私はその言葉にドキンッとする。
友達でいいって言われて、私はその言葉に甘えていた。図書館で勉強したり、一緒に帰ったり、今までよりも長い時間を陽太君と過ごして、考えてと言われたのにまったくそのことを考えていなかった。
側にいるのは陽太君なのに、私の心はずっと松を見ていた。松のことばかり考えて、自分の片思いに精一杯で、本当に、自分のことばかり……
私のことが好きだと言った陽太君。私が松のことを好きなのを知りながら、それでもいい、片思い同士だねって笑ってくれた。片思いで辛いのは、陽太君も同じなのに――
それでもいいって言ってくれた陽太君の気持ちに思いをはせることもなく、ずっと頼りっぱなしだったことに後ろめたくて、申し訳なくて。
凍りついた表情でで黙りこんでしまった私に、陽太君がほんの少し寂しげに表情を陰らす。
「いいよ――それでもいいって言ったのは俺だから」
私の気持ちをくみ取って、陽太君は胸に沁みる笑顔を向ける。
「だけど、これからはゆっくりでいいから俺のことをもっと知って」
そう言われて、私は泣きそうになるのを堪えて俯き、何度も頷いた。
「少しでも好きでいてくれるなら、俺と付き合おう?」
柵に乗せていた腕を優しく引き寄せられ、気がついたら陽太君の腕に抱きしめられていた。その腕が戸惑っているような微妙な距離を保っていることに気づいて、笑みがこぼれる。
片思いが辛くて、諦めたくても諦められなくて――
そんな自分をずっと見ていてくれた。
自分と同じ片思いの辛さを知っている陽太君だからこその優しさが心をついた。
こんなにまっすぐ気持ちを向けてくれて、ずっと辛いのを隠して私の隣にいてくれた陽太君と、ちゃんと向きあいたいと思った。
片思いに悩んで真っ暗だった世界に、小さな光を見つけた気分だった。
「芹香さん、好きだよ――」
私は陽太君からの二度目の告白に頷き返した。




