第27話 友達でいられない
松に連れていかれた場所は、陸上部の部室だった。
「今日、部活休みで誰も来ないから。ここならゆっくり話せる……」
後半はボソッとささやかれて、よく聞き取れなかった。
溢れだした涙は、意外とすぐに引いて、部室に着く前にはおさまっていた。私はさっと目元を気づかれないように拭って、松が押さえる扉から、部室の中へと足を踏み入れた。
初めて入る部室内は、入り口に靴を脱ぐスペースと靴棚、一段上がった場所はカーペット敷きの約八畳の広さだった。壁には掘りこまれた棚があり、陸上で使う用具やスパイク袋、ユニフォームなどが入れられている。
私が上履きを脱いで上がったのを見て、松はスライド式の扉をゆっくりと閉めた。
帰ろうといいながら、松がなぜ私を部室に連れてきたのか、私はなんとなく気づいていた。数日前、図書館で話があると言った松。それからずっと逃げ続けた私。
たぶん美咲ちゃんのことだよね――そう予感しながら、それでも自分になんの話があるのかさっぱり見当がつかなかった。
ただ、少し冷静さを取り戻した私は、ちゃんと松と話してはっきりさせようと思った。これからの私と松との距離感を……
それなのに。
「芹は……あいつのこと好きなのか――?」
松の口から出てきた言葉に耳を疑う。
「えっ、今なんて?」
思わず、間抜けに聞き返してしまった。
松は決まり悪そうに部屋を歩き、どかっと床に胡坐をかく。
「だから……っ、あいつのことが好きなのか……って聞いたんだよっ」
語尾を荒くして言われて、私の頭の中にハテナマークがたくさん浮かぶ。
「あいつって誰……?」
とりとめのない話しに、私はわずかに眉根を寄せる。
なに? 松の話って、美咲ちゃんに関係することじゃないの?
ってか、美咲ちゃんが私と松が話していると不安になるから、友達やめようとか言われるとばかり思っていた私は、まったくもって松がなにを聞きたいのか分からない。
「この前一緒に図書館にいた、七海だよ」
「あ、陽太君? 陽太君がなに?」
腰ほどの高さの棚に肘を置いて立っていた私は、言いながら先程の松の質問を思い出して、かぁーっと顔に血がのぼる。
えっ、待って!? 松は私が陽太君を好きだと思ってるの……!?
誤解されていることに焦っていたら、松を取り巻く空気が不穏になったのに気づいて、恐る恐る松を見下ろす。明らかに不機嫌だと分かる顔に、不覚にも背筋に冷や汗が伝う。
だけど、なんで怒っているのか分からなくて、首を傾げるしかない。
「それって、松に言わないといけないこと?」
内心ビクビクしながらも、冷静を装ってそう尋ねた。
陽太君とは、現在は付き合っているといえる状況じゃないけど、もしかしたらそうなるかもしれない。だけどそれは、松が気にする必要があることなのだろうか……?
「付き合ってるのかよ……っ」
苦虫をかみつぶすように言い捨てた松は、立ちあがるなり私の二の腕を掴み、問い詰めるような激しい口調で言う。
「俺は――っ」
そこで言葉を切る松。何かを言おうとして迷って、口を閉ざす。
その瞳が切なげに揺れて、私の心を締めつける。
そんな顔しないでって抱きしめたくなる衝動にかられて、それを振り払うように、わざと強い口調で言ってしまう。
「ねぇ、私が陽太君と付き合ってたとして、それって松に許可をとらないといけないこと? 付き合ってることを報告したとしても、松が口出す権利はないでしょ? 松だって……美咲ちゃんと付き合ってるじゃない。私は相談に乗っても、そのことに口出したりはしない……」
言いながら、唇が震えた。泣きそうになるのを必死に堪えて、強い口調を保つ。
「――っ」
松は唇を噛みしめて、ぎゅっと眉間の皺を深くする。それから、憂いの影をちらつかせた瞳で私を見たの。
「俺はただ、芹のことが心配で……」
その言葉が私の体に沁みる。変わらない松の優しさが嬉しくて、でも辛くて……
諦めるって決めたのに、こんなに側にいたら、気持ちを隠すなんて出来ない。なかったことになんかできない。でも。
松が私の幸せをちゃんと願ってくれるように、私は松の幸せを願えないから。心から美咲ちゃんと幸せになってなんて言えないから――
やっぱり諦めるしかないんだと。そのための出口を探しながら、口を開く。
「松は――美咲ちゃんの彼氏なんだから美咲ちゃんのことだけ心配していればいいのよ。お願いだから私のことは放っておいて」
「芹を放っておくなんてできないよ――俺達、友達だろ?」
その言葉が鋭い刃となって、私の胸をえぐる。
「それに、美咲とは……」
じわりと、視界がにじむのがわかった。
いつから美咲ちゃんのこと下の名前で呼ぶようになったの――?
嫉妬心が胸に渦巻いて、ぐちゃぐちゃになる。
辛くて、辛くて、その時の私は逃げることしか考えていなかった。松から離れたくて――
「松なんか嫌い――」
好きだから、嫌いになる。
心でつぶやいて、涙のこぼれる顔を松に向ける。
「私……松と友達、やめる。だから、もう話しかけてこないで」
そう言って、私は上履きを履くのも忘れて部室を飛び出した。
片思いでいいと思った。好きでいるだけで幸せだと思った。
だけど、そんなのは嘘。
辛いよ。
好きな人の幸せなのに、大好きな笑顔を向ける相手が私じゃない他の女の子だなんて辛すぎる。
切なくって、苦しくって、どうにかなってしまいそうなほど、好きなのに――
決して報われないのなら、私の想いはどこに向かうの――?
好きだって思っても伝えることも出来ない。
諦めようって思っても、どんどん好きな気持ちが溢れてきて。
もう、嫌いになるしかないじゃない。
こんなに好きで、嫌いになるしか、忘れる方法が見つからないよ――




