第22話 0時の鐘が鳴らなくても
教室に入ると、関さんと午前中メイドだったクラスメイトが私が着替えてくるのを待っててくれて、歓声を上げる。
「わぁ~、名雪さん似合ってる」
「芹香ちゃん、可愛い~」
手放しに褒めてもらうのは、悪い気はしなかった。
「そうかな……」
照れていると、喫茶店部分からバックヤードに入ってきた黒いスーツをしゃんと着こなした七海君と視線が合う。
「名雪さん――」
その声が緊張に包まれていて、ドキンっとする。
「可愛い」
ふわりと春の日差しのような笑顔で言われたら、照れるのも忘れて、その笑顔に見入ってしまう。
うーん、いつ見ても七海君の笑顔って癒し系!
私より、七海君の執事姿が素敵ですよ~。
心の中でそう言って、にこりと笑い返す。
「たしか、調理担当だったよね?」
「うん、だけどこっち人が足りないっていうから」
「そうなんだ、名雪さんって優しいね」
さらりと褒められて、くすぐったい気分。
ほんわかとした空気で七海君と話していると、後ろから関さんに声を掛けられる。
「名雪さん、ありがとう。じゃあ、病院行ってくるね」
「いえいえ。気をつけてね~」
関さんのお母さんが迎えに来て、ぺこんと頭を下げて教室を出ていく。
「じゃ、私も啓斗のとこ行くけど、後でくるね」
「うん」
「じゃあ、私達も」
結衣に続いて、残っていてくれた女子もぱらぱらと教室を出ていってしまったから、私はぎゅっと拳を握って一人、気合いを入れる。
よしっ、やるからにはちゃんとやらないとねっ!
バイトはしたことないけど、去年の夏休みに、七つ上の姉の喫茶店を少し手伝ったことがあるから、その時の経験が少しは役に立つかなと思う。簡単に対応の説明をしてもらって、喫茶店部分の教室へと出た。
一度、教室に入ってしまえば、周りも執事やメイドばかりで、お客様は知らない人ばかりだから――まあ、少しはうちの生徒もいるけど――、周りの目はぜんぜん気にならなくて、楽しんでメイドすることができた。
たぶんそれは、さりげなく七海君がフォローしてくれたからだと思うけど。
ほんと七海君って、紳士だよね~。
そんなことを考えながら、お客様がいなくなったテーブルの上の食器を片づけて戻ろうとした時、ズキンっと大きな痛みがお腹に走る。
やばっ……
そう思った時には遅くて、足がぐらついて倒れそうになる。
だけど倒れる直前に、後ろから七海君が肩を支えてくれて、なんとか無様に転ばずにすんだ。
「ありがとう、七海君」
七海君だけに聞こえるようにお礼を言うと、さりげなく私が持っていたトレンチを七海君が持ってくれた。
そのスマートな動きは、ほんと惚れ惚れとしてしまう。
心の中でもう一度、お礼を言ってバックヤードに戻る。七海君からトレンチを受け取って食器を洗いもの用の籠に入れて、喫茶店側に戻ろうとしたんだけど、一瞬だけだと思っていたお腹の痛みが酷くなってくる。
立っているのも辛くて、ちょっとお手洗いに行こうかとも思ったんだけど。
「芹香ちゃん、三卓、お冷二つお願い。七海君は八卓、四名でーす」
タイミング悪く、続けてお客様が入ってきたみたい。表からひょこっと顔を覗かせたクラスメイトに言われて、新しいコップにお水を注ぎ、ふらつく手でトレンチを支える。
「名雪さん、顔色悪いけど大丈夫……?」
心配そうに七海君に声をかけられて、私はなんとか笑い返して喫茶店へと出ていく。
「いらっしゃいませ」
気力で笑顔を張り付かせて、なんとかお冷を置いて注文を受けて踵を返す。その視線の先、受付にいる美咲ちゃんと松を見つけて、ズキン、ズキンとお腹の痛みが急激に加速していく。
二人が一緒にいることに驚いたわけじゃない……
だって私は、松の友達として……
――そこで私の意識はぷつっと途切れた。
※
お腹の痛みにふっと意識が覚醒して寝がえりを打って、自分がベッドに寝ていることに気づく。
しゃっとカーテンの引かれる音と、つんと鼻にくる消毒液の匂いにここが保健室だって分かるのに、どうしてここにいるのか、思考がぼんやりとしていて思い出せない。
目を開けようとして、瞼が重くてたっぷり寝てしまったことに気づく。
そういえば、最近あんまり寝てなかったからなぁ……なんだか、まだ寝足りないかんじ。
そんなことを考えながらゆっくりと瞼を持ち上げると、白い世界が広がっていて、ふっと笑みをもらす。
それが保健室の天井とカーテンだって気づいてたけど、なんだか神秘的に思えてしまって――
その白の世界に人影が見えて、ツキンと胸が跳ねる。だけど、でも……
そこにいたのが七海君だったから……
「名雪さん……?」
戸惑いがちな七海君の声に、頬に伝う冷たいものに気づく。
「あっ……」
「どこか、痛む?」
私のことを気づかってくれるのが伝わって来て、七海君の優しさが胸にしみて、苦しくなる。
「……ごめんね……」
ぼそっとこぼした声は七海君には聞こえなかったようで、「なに?」と聞き返されたから、私は首を横にふって布団を眼の下まで引き寄せる。
目が覚めたそこに、松がいる――そう思ったのに七海君がいたからがっかりしたなんて、言えなかった。
そんなありもしない夢を見て、一人で勝手に期待して幻滅するなんて……
「名雪さん、教室で倒れたんだよ、覚えてる?」
「私、倒れたの……? もしかして七海君が運んでくれた?」
七海君は答える代わりに顔を斜めに傾けて、優しい笑みを浮かべる。その瞳が一瞬切なげにきらめいたように見えて、胸をついた。
「迷惑かけてごめんね……」
小さく呟いた声に、七海君がそっと私の頭を撫でてくれる。
温かくて大きな手が触れるのが心地よくて、ゆっくりと瞼を閉じた。
「名雪さん――」
頭をなで続けながら、七海君が私の名前を穏やかな声で呼ぶから、それをどこか遠いところで聞いていた。
「俺、名雪さんのことが好きみたいだ――」




