第15話 私の想いに気づかないで
「あっ、啓斗~」
結衣が可愛い声で言って私の肩を掴んでひょいっと扉を覗きこむから、私はその肩をびくっと震わせた。
見れば、松の隣に八木君が立っていて爽やかな笑顔を結衣に向けていた。
「結衣、帰ろう」
私は松しか目に入ってなかったのに、結衣は逆で、八木君しか見えてなくて今やっと松の存在にも気付いたみたい。
「あれ、松岡君。うちのクラスに来るの久しぶりじゃない~?」
結衣は意味深に笑う。私は結衣がなんでそんなふうに笑ったのか分からなくてキョトンと首を傾げると、瞳を三日月にして私を見るのよっ。
なんか嫌なカンジ~。
訝しげに結衣を見たけど、「じゃあね」って帰り道一緒なのに八木君とさっさと帰っちゃった。まあね、結衣と八木君の邪魔しないように二人とは別々に帰ろうとは思ってたけど、この状況で、残されるのは辛いよぉ……
私は結衣の背中にすがるように寄せていた視線を、恐る恐る松に向ける。
沈黙が流れる中、松はじぃーっと私を見ていて、まっすぐに向けられる澄んだ眼差しが今は辛かった。
鞄のとってを握る手にぎゅっと力を入れて、私は視線を足元に落として小さな声で言う。
「じゃ、私も帰るから、ばいばい……」
松の姿を見て、もしかして自分のことを迎えに来たのかもって動揺したけど、冷静に考えれば、彼女の美咲ちゃんを迎えに来たのよね。そう思ったら、急激に胸が苦しくなった。
嫌だな、私……ちゃんと二人のことを祝福するって決めたのに、二人が一緒にいる姿を見たくないとか思ってしまう。
私は逃げるように教室を飛び出したんだけど、すぐに後ろから腕を強く引かれて、逞しい胸にドンっと後頭部をぶつけた。
「痛っ……」
そんなに痛くないけど、頭をさすりながら後ろを振り向くと、松が私の腕を掴んでいるから、胸がぎゅっと締め付けられて、掴まれた場所から体に熱を帯びる。
「どっ、したの……松?」
私は極力平静を保とうとして笑顔で話しかけたけど、上手く笑えていたか自信がない。
「芹、一緒に帰ろう」
「えっ、でも、美咲ちゃんは……?」
言いながら教室を見回すけど、美咲ちゃんの姿が見当たらない事に気づく。
そういえば、美咲ちゃんは買出し班だから居残りしてないのか……
二人が一緒にいるところを見ないですんでほっと胸をなでおろすけど、慌てて首を振る。いやいや、安心してる場合じゃないし。
「私、用事があるから、一緒に帰れない」
「用事ってなに?」
私の言葉に被るように間髪いれずに尋ねてくる、松の瞳が鋭くて怖い。
「えっと……」
いつもだったら、こう言えば松はすぐに納得してなくても「分かった」って言ってくれるから、まさか聞き返されるとは思わなくて、理由まで考えていなかった。
結衣と一緒に帰るっていう言い訳は使えないし。図書館に行くっていうのも……もう下校時間だから無理だし。誰か、友達……そう思って教室を見渡してみても、すでにほとんどの生徒が帰っていて、助けを求められる友達はいなかった。
断る理由が思いつかなくて黙りこんでいたら、掴まれた腕に一瞬、力が込められて、そのまま有無を言わさず松は歩きだしてしまった。
私は引きづられるような格好で歩くことになって、転びそうになるのをどうにか避けながら、ほとんど走るように昇降口まで連れて行かれた。
そこで松が腕を離してくれてほっとしたんだけど、横から視線を感じて顔をあげると、すでに上履きから学生靴に履き換えた松が、私をじぃーっと見つめているからビックリする。
私は松から視線をそらすように下駄箱に向かい、靴を取り出しながら、小さく深呼吸する。
落ち着け、私。いつも通り、いつも通り……
何度も心の中で呪文のように唱える。ぎゅっとつぶった目を開いて、くるんと振り返り、私は綺麗な笑みを松に向ける。
「松も居残りだったの? 急に教室に来るからビックリしちゃったよ~」
この一年間、松の友達をやってきた“芹香”の顔で、私は軽い調子で話しかける。
よしよし、普通に出来てる。私、偉い。
自分で自分を褒めて、少し哀しい気持ちになる。
でも、松と友達でいられなくなるのは嫌だから、私の気持ちは気づかれてはダメ。そのために、私は自分の気持ちに気づかなかったことにするの。これは恋じゃなかったの、友情からちょっとはみ出した淡い気持ち。
私は松も美咲ちゃんも好きだから、二人が両想いって知って、喜んで応援したでしょ? その時の気持ちを思い出すのよ!
自分の気持ちに蓋をして、厳重に鍵を掛けて――
二人を祝福すると決めた。だから、だれも私の想いには気づかないでいいの――
心に踏み込まないで……
視界の端がにじみそうになって、私は慌てて靴をはきながら涙をぐっとこらえた。
だって、ここで泣いたら、変に思われちゃうよ……。私は松の友達、友達でしかないんだから。
せっかく頑張って普通に話しかけたのに、松が黙っているから私は顔をあげて隣に立つ松を見上げる。
瞬間、動揺したように松の瞳が大きく揺れるのを見てしまって、首を傾げる。
「なに?」
さっきまで自分だって挙動不審だったのに、そんなこと棚にあげて、キョトンと聞いてしまった。あー、この後先考えずに動いてしまう口が憎らしい……
松もまさか、そんなこと聞かれるとは思っていなかったんだろうね。決まり悪そうに目元を染めて、誤魔化すように私の肩に腕を回すの。
瞬間、私の鼓動が大きく跳ねる。
こんなの男友達にする気さくなスキンシップだって分かってるのに、閉じ込めた気持ちがカタカタと揺さぶられて、ドキドキせずにはいられなかった。
私、本当に気持ちを隠して友達を続けられるのかな……
今でもいっぱいいっぱいで虚勢張ってるのに、松の存在をこんなに近くで感じて、本当に友達でいられる――?
ついさっき、決意を新たにしたばかりなのに、いきなりくじけそうになる心を叱咤する。
ダメだよ、動揺しちゃ。気づかれちゃダメ――
もしも私の気持ちに気づかれて、松と今までみたいに友達でいられなくなる方が辛い。
その考えが私の気持ちを強く持たせて、体の奥から勇気がみなぎってくる。
「俺が、芹と一緒に帰ろうと思っちゃダメなのかよ……?」
すっと絡まっていた腕が解かれてほっとしたんだけど、松がすねたように言うから、私は苦笑する。
学校を出て、夕陽に染まる校庭を横切りながら、私は松の半歩後ろを歩いていく。
ぐっとお腹に力を込めて、震える唇を動かす。
「美咲ちゃんと帰らなくていいの?」
こんな話、松としなくない――そう思う私と。
これからも友達を続けるなら、ちゃんと松と話さなきゃならない――心の半分でそう思う。




