名優の文体
フラッシュの連弾が、網膜の裏側に焼き付いて離れない。 都内ホテルの宴会場に急造された会見場は、熱気と、それ以上に冷ややかな好奇心に満ちていた。壇上に座る柳瀬透は、二十四歳という若さ以上に幼く見えた。一週間前まで「彗星のごとく現れた天才」と称えられていたその指先は、今、膝の上で無様に震えている。
「柳瀬さん、あらためて伺います」 最前列の記者が、獲物を追い詰める猟犬のような鋭さでマイクを向けた。「新人賞の選考委員全員が『比類なき文体』と絶賛した受賞作『さよなら、レトロスペクト』。これは、生成AIによって書かれたものですね?」
透は乾いた喉を鳴らした。 「……はい。プロットの構成から肉付け、描写の選択に至るまで、私の指示に基づき、AIが生成したものです」
会場に微かな失笑と、重苦しい溜息が混ざり合う。 純文学の最高峰とされる『叡智文学賞』。その歴史に泥を塗った前代未聞の不祥事だ。選考委員たちは、その独特の、どこか浮世離れしていながらも湿り気を帯びた人間ドラマを「現代の虚無を突く新しい筆致」と絶賛した。それが機械の計算による出力だったという事実は、文壇にとって最悪の皮肉だった。
「どのようなプロンプト(指示文)を入力したのですか? 単に『小説を書け』と言っただけで、あのような傑作が生まれるはずがない。具体的な手法を明かしてください」
透は諦めたように、手元のメモに視線を落とした。隠し通せるとは思っていなかったが、いざ白日の下に晒すとなると、自分の内臓を素手で弄り回されるような羞恥心があった。
「……まず、詳細な世界観を設定しました。近未来の地方都市、記憶を売買する質屋の老人の孤独。それから、三幕構成に基づいた一万五千字程度のあらすじを段階的に出力させ、矛盾を修正しました。そして最後に、最も重要な『文体の指定』を行いました」
「文体?」
「ええ。AIに特定の作家の癖を学習させ、そのトーンで全体を書き直させたんです。私が入力したプロンプトは……『筒井道隆風に書いてくれ』でした」
その瞬間、会場の空気が妙な歪み方をした。 記者が怪訝そうに眉を寄せ、隣のカメラマンと顔を見合わせる。
「……今、なんと仰いましたか?」 「ですから、設定とあらすじを入力したあと、『筒井道隆風に』と」 「……『康隆』ではなく?」
透は一瞬、言葉の意味が理解できず、きょとんとした。 「え? ああ、もちろん日本を代表する作家の……」 「柳瀬さん。あなたが仰っているのは、俳優の、あの筒井道隆さんのことですか?」
透の思考が真っ白に染まった。 慌ててスマートフォンを取り出し、クラウドに保存していた「秘伝のプロンプト」の履歴を確認する。 そこには、震える指先がスワイプする画面の向こうに、残酷なまでに明瞭な文字列が並んでいた。
『……以上のあらすじをベースに、全体を筒井道隆風の文体で描写して。』
透の顔から、みるみる血の気が引いていった。 「あ……」
会場のあちこちから、こらえきれないといった風の笑い声が漏れ始めた。 「間違い……でした。変換ミスか、思い込みか……。私は、筒井康隆先生の、あの冷徹でアヴァンギャルドな文体を指定したつもりだったんです。でも、私が打ち込んでいたのは……」
「筒井道隆風」 記者が繰り返した。その声には、もはや怒りよりも困惑が勝っていた。 「しかし、柳瀬さん。AIはその指示を受けて、実際に『筒井道隆風』の小説を出力したわけですよね? そして、その結果、あなたは文学賞を受賞した。選考委員は『この控えめで、しかし芯の強い、どこか情けないようでいて愛さずにはいられない独白体は、新しい文学の地平だ』と評したんですよ。俳優のイメージを文体に変換したAIが、図らずも名文を生んでしまったということですか」
透は答えられなかった。 確かに、出来上がった原稿を読んだ時、不思議な感覚に陥った。毒気はないのに、妙に胸に迫る、あの「守ってあげたくなるような」文体。言葉の端々に漂う、育ちの良さと微かな哀愁。それがまさか、名優・筒井道隆のパブリックイメージをAIが強引に言語化した結果だったとは。
「つまり……」別の記者が呆れたように言った。「あなたは世界で初めて、俳優の『佇まい』をプロンプトにして文学賞を獲った男、ということになりますね」
会見の様子は、SNSを通じて瞬く間に拡散された。 「AI文学不祥事」という重々しいニュースは、いつの間にか「筒井道隆風プロンプト事件」という珍騒動にすり替わっていた。
柳瀬透は賞を剥奪され、事実上の追放処分となった。 しかし、人々の関心は別の方向へと向かっていた。ネット上では「筒井道隆風」というパワーワードがトレンドを席巻し、多くのユーザーが自分のAIに同じプロンプトを打ち込む事態となった。
『昨日の残飯を食べた。筒井道隆風に』 『上司に怒鳴られた。筒井道隆風に』
AIは、それっぽく答える。「窓の外を見上げると、雨が降っていた。僕の心も、少しだけ濡れている。でも、まあ、いいか……。傘を差すほどのことじゃない。そんな風に、僕は少しだけ笑ってみせた」といった具合に。
だが、柳瀬透が「生成」してしまったあの奇跡的なバランスの文章には、誰も届かなかった。偶然のパラメータの重なりか、それとも透が用意したプロットが、あまりにもその「誤記」と相性が良すぎたのか。
そして、一つの都市伝説が生まれた。
――出版業界の重鎮たちが、騒動のあと、密かに動き出したというのだ。 「AIがあれだけの名文を書けるなら、本人が書けばもっと凄いことになるのではないか?」 「そもそも、AIがシミュレートした『筒井道隆』という概念があれほど文学的ならば、筒井道隆という存在そのものに、未知の文学性が宿っているはずだ」
そんな飛躍した論理を抱え、ある大手出版社の編集者が、実際に俳優・筒井道隆の事務所を訪れたという噂が流れた。
「筒井さん、小説を書きませんか。テーマは何でも構いません。あなたのその、存在するだけで醸し出される『文体』を、紙の上に定着させてほしいんです」
依頼を受けた本人がどのような反応を示したのか、それは定かではない。 苦笑いして断ったという説もあれば、意外にも興味を示し、「僕、文章なんて書いたことないですよ」と言いながらペンを走らせ始めたという説もある。
現在に至るまで、書店に「著者・筒井道隆」の単行本が並んだことはない。 しかし、事情通の間では、ある極秘プロジェクトが進行中だと言われている。それは、柳瀬透が使ったAIをさらに進化させ、本人の監修のもとで「真の筒井道隆風」を追求する試みだとか、あるいは、あの日から柳瀬透が本人のゴーストライターとして弟子入りしたのだとか。
文学賞の会見場で、もっとも衝撃的だったのは「康隆」と「道隆」の間違いだった。 だが、その間違いが、枯れ果てたと思われていた文壇に、奇妙な潤いを与えたことだけは確かだ。
今夜もどこかの編集部で、誰かが呟いているかもしれない。 「……なぁ、次は『田村正和風』でプロットを組んでみてくれないか? 今度は、ミステリーで」
文学の神様は、案外、入力ミスの中にこそ宿っているものらしい。 本物の筒井道隆が書いた小説は、まだ出ていない。 けれど、いつか書店の新刊コーナーに、あの控えめで、しかしどこか見過ごせない独特のオーラを纏った背表紙が現れるのを、私たちは密かに待ち続けている。




