第9話 家族への告白
ヴィア家の館には、結局五日間滞在した。
最初の二日は勇者記を読み、残りの三日は基礎的な訓練をした。訓練といっても、魔力の流れを感じる瞑想とか、意識的に力を抑える練習とか、地味なものばかりだ。派手な光魔法を自在に操れるようになるには、まだまだ時間がかかるらしい。
でも、少しだけ分かってきたことがある。
私の中には確かに何かがある。光と呼ぶべきか、魔力と呼ぶべきか分からないけど、胸の奥で微かに脈打っている何か。それを意識すると、右目の奥が温かくなる。暴発した夜ほど激しくはないけど、確かにそこにある。
「完全な制御には時間がかかります。でも、今のあなたなら、不意の暴発は防げるはずです」
帰路につく朝、カイルがそう言った。
「本当ですか」
「油断は禁物ですが。強い感情の昂りがあれば、また漏れ出す可能性はある」
「強い感情……」
「怒り、恐怖、悲しみ。そういうものです」
つまり、感情的になるなということだ。私に一番難しい注文かもしれない。
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村に戻ったのは、出発から八日後の夕方だった。
見慣れた風景が目に入った瞬間、胸が締めつけられた。畑、家々、井戸、広場。何も変わっていない。でも、私は変わってしまった。
「リーネ」
村の入り口で、トーマが待っていた。
「兄さん」
「遅かったな。心配したぞ」
「ごめん。色々あって」
トーマは私の顔をじっと見た。それから、隣に立つカイルに視線を移した。
「話は聞かせてもらえるんだろうな」
「うん。今夜、みんなに話す」
トーマは頷いた。カイルには何も言わなかったけど、敵意はないようだった。少なくとも、殴りかかったりはしなかった。それだけで十分だ。
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夕食の席は、いつもと変わらない顔ぶれだった。
父さん、母さん、トーマ、ベルト、ミラ、ルッツ。六人の家族が、食卓を囲んでいる。私の帰りを待っていてくれたのか、いつもより品数が多い。
「リーネ、痩せたんじゃないか」
母さんが心配そうに言った。
「大丈夫。ちゃんと食べてたよ」
「本当に? 顔色も——」
「母さん、まず食べさせてやれよ」
ベルトが口を挟んだ。珍しく気の利いたことを言う。
食事が始まった。私は普通に振る舞おうとしたけど、箸がなかなか進まなかった。どう切り出せばいいか、ずっと考えていた。
「リーネ姉ちゃん」
ルッツが声をかけてきた。
「ん?」
「お土産は?」
「え」
「旅行行ったんでしょ。お土産ないの」
この状況でそれを聞くか。でも、ルッツは何も知らないのだ。普通に、姉が旅行に行って帰ってきたと思っている。
「……ごめん、忘れてた」
「えー」
「今度埋め合わせするから」
「約束だよ」
「うん、約束」
ルッツはそれで満足したらしく、また食事に戻った。無邪気だ。その無邪気さが、今は少し眩しい。
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食事が終わって、片付けも終わって、家族が居間に集まった。
「話がある、って言ってたな」
父さんが切り出した。
「うん」
私は深呼吸した。心臓がうるさい。手のひらが汗ばんでいる。
「笑わないで聞いてほしい。信じられないかもしれないけど、全部本当のことだから」
「ああ」
「私——」
言葉が詰まった。どう言えばいいんだろう。練習してきたはずなのに、いざとなると出てこない。
「私、勇者らしいんだ」
沈黙が落ちた。
誰も何も言わない。父さんは眉をひそめている。母さんは困惑した顔。ベルトは口をぽかんと開けている。ミラは目を丸くしている。ルッツは首を傾げている。トーマだけが、黙って私を見ていた。
「……勇者って、あの勇者か」
父さんが聞いた。
「うん。伝説の。災厄と戦う」
「どういうことだ」
「長くなるんだけど——」
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私は全部話した。
カイルとの出会い。真名を読み取られたこと。三十二代目の勇者であること。前世が三十一人いること。ヴィア家の館で勇者記を読んだこと。そして、光魔法が暴発したこと。
話している間、家族は黙って聞いていた。時々質問が飛んできたけど、遮られることはなかった。
話し終えた時、また沈黙が落ちた。
「……信じられん」
父さんがぽつりと言った。
「だよね」
「だが、お前が嘘を言っているようには見えん」
「嘘じゃない。証拠も——」
私は右手を持ち上げた。意識を集中する。胸の奥にある光を、ほんの少しだけ引き出す。訓練の成果だ。
手のひらに、淡い金色の光が灯った。蛍の光くらいの、小さな光。
「——っ」
母さんが息を呑んだ。ミラが小さく悲鳴を上げた。ルッツは目を輝かせている。
「すげえ、姉ちゃん光ってる」
「ルッツ、静かに」
トーマが制した。私は光を消して、手を下ろした。
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「これからどうするつもりだ」
父さんが聞いた。
「訓練する。力を制御できるようにならないと、周りを巻き込むかもしれないから」
「それは、ここでできるのか」
「……分からない。カイルさんと相談しないと」
「あの黒い服の男か」
「うん。ヴィア家の人。代々勇者に仕えてきた一族の」
父さんは長いこと黙っていた。何を考えているのか、表情からは読み取れない。
「お前は、どうしたいんだ」
「え?」
「勇者になりたいのか。戦いたいのか」
その問いに、私は正直に答えた。
「分からない。なりたくないって思ってた。今も思ってる。でも、もうなっちゃってるんだよね。生まれた時から勇者だったって言われて、選ぶ余地なんてなかったって」
「なら、これからどう生きたい」
「できれば、普通に暮らしたい。アシェルさんっていう昔の勇者は、災厄と戦わないで一生を終えたんだって。私もそうなれたらいいなって——でも」
言葉が詰まった。
「でも、災厄が来たら、私しか戦えないんだよね。たぶん」
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沈黙の中、ルッツが立ち上がった。
「ルッツ?」
私が名前を呼ぶ前に、ルッツが駆け寄ってきた。そして、私の腰に抱きついた。
「お姉ちゃん、死なないで」
小さな声だった。震えている。
「ルッツ……」
「勇者って、災厄と戦うんでしょ。戦ったら死んじゃうかもしれないんでしょ。やだ。お姉ちゃん死んだらやだ」
八歳の弟が、泣いていた。
私は膝をついて、ルッツを抱きしめた。小さな体。温かい体。この子を守りたい。この家族を守りたい。それだけは、はっきりと分かった。
「死なないよ」
「嘘」
「嘘じゃない。絶対帰ってくる。約束する」
「……本当に?」
「本当に」
ルッツが顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。私はエプロンの端で、その顔を拭いてやった。
「お姉ちゃんは強いから、大丈夫。それに、まだ災厄が来るって決まったわけじゃないし」
「来なかったら、ずっとここにいる?」
「いられるかは分からないけど、絶対帰ってくる。何があっても」
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「リーネ」
トーマが口を開いた。
「兄さん」
「前に言っただろ。お前が何者でも、お前はお前だって」
「……うん」
「勇者だろうが何だろうが関係ない。お前は俺の妹だ。それは変わらん」
不器用な言い方だ。でも、それがトーマらしくて、泣きそうになった。
「ありがとう、兄さん」
「礼なんかいらん。当たり前のことを言っただけだ」
父さんが立ち上がった。私の前に来て、肩に手を置いた。
「行ってこい、リーネ」
「父さん……」
「お前がやらなきゃいけないことがあるなら、やってこい。ただし——」
父さんの目が、まっすぐに私を見た。
「必ず帰ってこい。ここがお前の家だ。それだけは忘れるな」
涙が溢れた。止められなかった。私は父さんに抱きついて、子供みたいに泣いた。




