第8話 覚醒の夜
与えられた部屋は、思っていたより居心地が良かった。
古い屋敷だから埃っぽいかと思っていたけど、ちゃんと掃除されている。寝台には清潔なシーツが敷かれていて、窓辺には小さな花瓶まで置いてあった。花は入っていないけど、心遣いは伝わる。
「何か必要なものがあれば言ってください」
「大丈夫です。十分すぎるくらい」
カイルは頷いて、「では、おやすみなさい」と言って部屋を出ていった。
一人になると、急に疲れが押し寄せてきた。三日間の馬旅、記録庫での勇者記、アシェルの人生。色々なことがありすぎて、頭が追いつかない。
私は服を着替えて、寝台に潜り込んだ。枕に頭を乗せると、意識がすぐに沈んでいった。
---
夢を見た。
いつもの夢だ。戦場。光と闇。剣を振るう誰か。でも今夜は、少し違った。
夢の中で、私は戦っていた。私自身が。見知らぬ誰かではなく、この体で、この手で、剣を握っている。目の前には巨大な闇があって、それが私に向かって押し寄せてくる。
怖い。逃げたい。でも、体が動かない。
剣を握る手が、光り始めた。眩しい、金色の光。それは剣を伝って、腕を伝って、体全体に広がっていく。
熱い。熱い。体の内側から、何かが溢れ出そうとしている。
止められない。止め方が分からない。
光が、弾けた。
---
目が覚めた。
いや、目が覚めたというより、叩き起こされた。体の内側から、何かが暴れている。右目の奥が焼けるように熱い。今までとは比べものにならないくらい、強烈に。
「っ——」
声が出ない。息ができない。体が勝手に震えている。
そして、気づいた。
私の手が、光っている。
淡い金色の光が、両手から溢れ出している。蛍みたいに、ちらちらと。綺麗だ、と思う余裕なんてなかった。光は少しずつ強くなっていって、制御できない。止め方が分からない。
「やだ、何これ——」
起き上がろうとした瞬間、光が弾けた。
轟音。閃光。視界が真っ白になって、何も見えなくなった。
---
数秒後、視界が戻った。
部屋の壁が、焦げていた。
寝台の横の壁に、黒い焼け跡がある。人の頭くらいの大きさ。煙が微かに立ち上っている。私がやった。私の手から出た光が、壁を焼いた。
「……うそ」
声が震えている。体も震えている。止まらない。
部屋の扉が勢いよく開いた。カイルが飛び込んできた。いつもの冷静な表情が、少しだけ崩れている。
「リーネさん、大丈夫ですか」
「わ、私——壁が——」
「落ち着いてください。深呼吸を」
「でも、光が——止まらなくて——」
「大丈夫です。今は収まっています」
言われて、自分の手を見た。光は消えていた。でも、指先がまだ微かに熱い。さっきまで確かに、そこから光が溢れていた。
---
カイルは手早く部屋を確認した。壁の焼け跡を見て、燃え広がる危険がないことを確かめて、それから私の前にしゃがみ込んだ。
「怪我はありませんか」
「た、たぶん……ない、と思う」
「手を見せてください」
私は言われるまま、両手を差し出した。カイルがそっと手を取って、確認する。火傷はしていないらしい。自分で出した光なのに、自分は傷つかないのか。
「これは、覚醒です」
カイルが静かに言った。
「覚醒……」
「勇者の力が、本格的に目覚め始めています。光魔法。勇者に固有の力です」
「でも、私、何もしてない。勝手に——」
「最初はそうなります。力が安定するまでは、感情の昂りや夢に反応して暴発することがある」
暴発。その言葉が、恐ろしく響いた。
---
「もし、もっと強い力が出てたら——」
私は焦げた壁を見た。あれが人に向いていたら。家族の近くで起きていたら。
「落ち着いてください」
カイルの声が、冷静に響いた。
「あなたの力はまだ弱い。覚醒したばかりですから。今の段階で人を殺すほどの威力は出ません」
「でも、壁が——」
「壁は焦げましたが、穴は開いていない。この程度なら、怪我をさせることはあっても、命に関わるほどではない」
「怪我をさせることはあるんじゃないですか」
「……それは、そうですが」
カイルが少し言葉に詰まった。慰めようとして、正直に言いすぎたらしい。この人、本当にそういうところがある。
「すみません。今のは配慮が足りませんでした」
「いえ、正直に言ってくれる方がいいです。嘘つかれる方が怖い」
私は深呼吸した。一回、二回、三回。少しだけ、心臓の鼓動が落ち着いてきた。
---
「これから、どうなるんですか」
「力は日に日に強くなります。それに伴って、制御も難しくなる」
「制御って、どうやって」
「訓練です。力の出し方、抑え方、方向づけの仕方。すべて学ぶ必要があります」
訓練。アシェルは訓練を拒んだと書いてあった。私もできれば拒みたい。でも、さっきのことを思い出すと、そうも言っていられない。
「訓練しないと、どうなりますか」
「最悪の場合、力が暴走して周囲を巻き込みます。本人の意思とは関係なく」
「……周囲って、例えば家族とか」
「はい」
カイルの答えは、容赦なかった。でも、それが現実なんだろう。
「アシェルさんは、訓練しなかったんですよね」
「彼の場合は、力の発現が穏やかでした。個人差があるんです。あなたは……おそらく、力が強い方だと思います」
「なんでですか」
「覚醒してすぐにこれだけの光を出せる人は、そう多くない」
全然嬉しくない。強い方だと言われても、困る。
---
「訓練、します」
私は言った。
「本当ですか」
「家族を巻き込むのは嫌です。それに——」
私は自分の手を見た。さっきまで光を放っていた手。今は普通の、何の変哲もない手。
「怖いんです。自分の体なのに、自分で制御できないのが。だから、ちゃんと使えるようになりたい。暴発させないために」
カイルは少し驚いたような顔をした。それから、小さく頷いた。
「分かりました。では、明日から基礎的な訓練を始めましょう」
「明日から? 早くないですか?」
「早い方がいいんです。力が不安定な時期に放置するのは危険ですから」
「……そうですか」
「あと、今夜はこの部屋で寝ない方がいいかもしれません。また暴発する可能性がある」
「じゃあどこで寝るんですか」
「記録庫なら、石造りなので燃えません」
「え、あの地下室で?」
「簡易の寝台を用意します」
「いや、そういう問題じゃなくて——」
---
結局、私は記録庫で夜を明かすことになった。
石の床は冷たいし、薄暗いし、正直あまり眠れる気がしなかった。でも、確かに燃える心配はない。カイルが毛布を何枚も持ってきてくれたおかげで、寒さは何とかなった。
「すぐ隣の部屋にいます。何かあれば呼んでください」
「はい」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
カイルが出ていって、私は一人になった。毛布にくるまって、天井を見上げる。石造りの天井。歴代の勇者記が並ぶ棚。千年の記憶が眠る部屋。
私の手を見た。また光るんだろうか。いつ、どんな時に。それが分からないのが、一番怖い。
「……勇者なんかに、なりたくなかったな」
誰にともなく呟いた。返事はない。当たり前だ。
でも、なってしまった。というか、生まれた時からそうだった。選ぶ余地なんてなかった。だったら、受け入れるしかない。受け入れて、制御できるようになるしかない。
目を閉じる。明日から訓練が始まる。どんな訓練なのか、想像もつかない。でも、やるしかない。家族を守るために。自分を守るために。
いつの間にか、私は眠りに落ちていた。




