表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は転生を繰り返し、魔法使いは一度きりを生きる  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/10

第5話 兄の言葉


眠れない夜を過ごして、朝が来た。


体は重いし、頭はぼんやりするし、最悪のコンディションだ。鏡を見たら、目の下に隈ができていた。ルッツに「姉ちゃん幽霊みたい」と言われて、「幽霊は実体ないから畑仕事できないでしょ」と返しておいた。我ながら意味不明な返しだ。


朝食を済ませて、いつものように畑に出る。鍬を振るう。土を耕す。種を蒔く。体が覚えている動作を繰り返していると、少しだけ気が紛れた。


でも、頭の中はぐるぐるしたままだ。


勇者。前世。三十一人。あの映像の男。カイルの言葉。全部がごちゃ混ぜになって、整理がつかない。


「——リーネ」


声をかけられて、私は手を止めた。振り返ると、トーマが立っていた。


「兄さん。どうしたの、仕事は」


「休憩だ。お前もそろそろ休め」


言われて気づいた。もう昼近い。いつの間にそんなに時間が経っていたんだろう。


---


私たちは畑の端にある木陰に腰を下ろした。トーマが水筒を差し出してくる。受け取って、一口飲んだ。冷たい水が喉を通っていく。


「顔色、悪いぞ」


「寝不足なだけ」


「嘘つけ。ここ数日ずっとおかしい」


トーマは遠慮というものを知らない。昔からそうだ。何か気になることがあると、納得するまで追及してくる。面倒くさい兄だと思っていたけど、今はその面倒くささがありがたいような、煩わしいような。


「……ちょっと、考え事があって」


「あの黒い服の男のことか」


「それも、ある」


「それも、ってことは他にもあるのか」


鋭い。本当に鋭い。この兄の前では誤魔化しが効かない。


私は黙った。何をどこまで話せばいいのか分からなかった。「実は私、勇者らしいんだよね」なんて、どう考えても頭がおかしくなったとしか思われない。


「……言いたくないなら無理にとは言わん」


トーマが言った。意外だった。いつもならもっとしつこく聞いてくるのに。


「でもな、リーネ。お前、昔からそうだ」


「そうって、何が」


「一人で抱え込む。困った時ほど笑って誤魔化す。家族に心配かけまいとして、余計に心配させる」


図星だった。何も言い返せない。


「俺はお前の兄だ。何があっても味方だ。それだけは忘れるな」


---


トーマの言葉が、胸に沁みた。


この人は昔からこうだ。普段は口うるさくて、細かいことにいちいち文句を言ってくる。でも、いざという時は絶対に味方になってくれる。私が子供の頃、村の男の子たちにからかわれた時、真っ先に飛んできて追い払ってくれたのもトーマだった。


「……兄さんは、信じる?」


「何を」


「例えばの話なんだけど」


私は慎重に言葉を選んだ。


「もし私が、自分でも信じられないようなことを言ったとして。荒唐無稽で、馬鹿げてて、普通なら笑い飛ばすようなこと。兄さんは信じてくれる?」


トーマは少し考え込んだ。


「お前が本気で言ってるなら、信じる」


「根拠は」


「お前が嘘つきじゃないことは知ってるからな。馬鹿なことは言うが、嘘はつかん」


「馬鹿なことって何さ」


「去年、屋根から飛び降りたら空飛べるかもって言ってただろ」


「あれは冗談で言っただけ! 本気にしてたの!?」


「本気にしたからベルトと二人で止めたんだろうが」


そういえばそんなこともあった。完全に忘れていた。


---


少しだけ、空気が軽くなった。


「……まだ、ちゃんと話せる段階じゃないんだ」


私は正直に言った。


「私自身が整理できてないから。でも、近いうちにちゃんと話す。約束する」


「分かった」


トーマはあっさり引き下がった。でも、次の言葉が意外だった。


「で、あの男は信用できるのか」


「え?」


「黒い服の男だ。お前に何か吹き込んでるんだろ。そいつは信用できる人間なのか」


考えたことがなかった。カイルの言葉を疑う、という発想自体がなかった。「名前の鍵」で真名を読み取られた時、否定しようのない感覚があったから。でも、それだけで全部を信じていいのか。


「……分からない」


「分からないなら、確かめろ」


「確かめる?」


「そいつが嘘をついてないか。お前を騙そうとしてないか。自分の目で確かめろ。話はそれからだ」


---


トーマの言葉が、頭の中でぐるぐる回っていた。


確かめる。自分の目で。カイルの言うことを鵜呑みにするんじゃなくて、自分で判断する。当たり前のことだ。でも、私はそれをしていなかった。「勇者だ」と言われて、動揺するばかりで、何も確かめていなかった。


「兄さん」


「ん?」


「ありがとう。ちょっと目が覚めた」


「そうか。なら良かった」


トーマは立ち上がって、土を払った。


「じゃあ俺は戻る。お前も適当なところで切り上げろよ。倒れられたら困る」


「はいはい」


「あと、晩飯の芋は俺の分残しとけよ」


「それ私に言う意味ある? 取り合いしてるのルッツでしょ」


「お前もたまに参戦してるだろ」


「してないし」


「してるだろ。この前——」


「してないってば!」


トーマは笑いながら歩いていった。本当に面倒くさい兄だ。でも、嫌いじゃない。全然嫌いじゃない。


---


午後になって、私はカイルのところへ向かった。


東の通りにある宿は、村で唯一の宿泊施設だ。宿といっても、民家を改装しただけの簡素な建物。旅人が時々泊まる程度で、普段は閑散としている。


宿の主人に「黒い服の人に会いたいんですけど」と言ったら、「ああ、あの兄ちゃんか。二階の奥だよ」と教えてくれた。私は階段を上がって、奥の部屋の扉を叩いた。


「……はい」


中からカイルの声がした。


「リーネです。少し話があるんですけど」


間があって、扉が開いた。カイルは相変わらず黒い外套を着ていて、相変わらず表情が乏しかった。でも、少しだけ驚いているようにも見えた。


「どうぞ。中へ」


部屋は質素だった。寝台と机と椅子。机の上には何冊かの本と、例の手帳が置いてある。窓から午後の光が差し込んでいた。


「座ってください」


カイルが椅子を勧めてくれた。私は座って、まっすぐにカイルを見た。


---


「証拠を見せてください」


単刀直入に言った。


「証拠?」


「私が勇者だっていう証拠。あなたの言葉だけじゃなくて、もっとはっきりした証拠。あなたの一族が本当に千年も勇者に仕えてきたっていう証拠。全部」


カイルは少し目を見開いた。それから、微かに口元が緩んだ。笑った、というほどではないけど、表情が動いた。


「……良い判断です」


「え?」


「疑うのは当然です。俺の言葉を鵜呑みにしないのは、正しい」


「じゃあ、見せてもらえますか」


「はい。ただ、ここでは無理です」


「どういうことですか」


「証拠は、俺の家にあります。ヴィア家の館。そこに千年分の記録がある。勇者記と呼ばれる、歴代勇者の生涯を記した書物。それを見れば、すべて分かります」


ヴィア家の館。カイルの実家ということだ。


「……遠いんですか」


「この村から馬で三日ほど。連邦の領内です」


三日。往復で六日。決して近くはないけど、行けない距離でもない。


「私に、来いってことですか」


「無理強いはしません。でも、見てもらえれば納得できると思います」


---


私は考えた。


三日間、家を空けることになる。家族にも何か説明しなければならない。でも、このまま悶々としているよりはいい。自分の目で確かめる。トーマもそう言っていた。


「……行きます」


決断は、思ったより早く出た。


「家族には、ちょっと旅に出るって言います。詳しいことは帰ってきてから話す」


「いいんですか」


「良くはないけど、今のままじゃもっと良くないので」


カイルは頷いた。


「では、明後日の朝に出発しましょう。準備の時間を取ります」


「分かりました」


私は立ち上がって、部屋を出ようとした。扉に手をかけたところで、振り返った。


「あの、カイルさん」


「はい」


「もし私が勇者じゃなかったら、どうするんですか」


「——その場合は、謝罪します」


「それだけ?」


「それだけです。俺の探す旅は振り出しに戻りますが、あなたには何の責任もない」


淡々とした答えだった。でも、不思議と嘘には聞こえなかった。


「分かりました。じゃあ、明後日」


「はい。明後日」


私は部屋を出て、宿を後にした。空はよく晴れていて、雲一つなかった。


---


夕食後、私は家族に告げた。


「ちょっと、数日家を空ける」


全員の視線が集まった。予想通りの反応だ。


「どこに行くんだ」


父さんが聞いた。


「知り合いのところ。大事な用事があって」


「知り合いって、あの黒い服の——」


「うん」


隠しても仕方ない。どうせトーマには分かっている。


「何の用事だ」


「それは……まだ言えない。でも、帰ってきたらちゃんと話す。約束する」


沈黙が落ちた。母さんが心配そうな顔をしている。ミラとルッツはきょとんとしている。父さんは眉をひそめている。そしてトーマは——黙って私を見ていた。


「危ないことじゃないだろうな」


父さんが聞いた。


「たぶん、大丈夫」


「たぶん?」


「……大丈夫です」


父さんは長いこと私を見つめていた。それから、ため息をついた。


「行ってこい。ただし、必ず帰ってこいよ」


「うん。絶対帰ってくる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ