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勇者は転生を繰り返し、魔法使いは一度きりを生きる  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 名前の鍵


翌朝、私は寝不足だった。


あの夢のせいだ。「やっと見つけた」という唇の動き。あれは誰に向けた言葉だったんだろう。夢の中の「誰か」が私を見ていた、なんてことがあるわけない。夢は夢だ。ただの脳が見せる幻。そう自分に言い聞かせても、右目の奥に残る熱が消えてくれなかった。


「リーネ、顔色悪いぞ。大丈夫か」


朝食の席で、トーマが眉をひそめた。


「うん、ちょっと寝不足なだけ」


「また夢か」


「……まあね」


トーマは何か言いたそうだったけど、結局黙って粥を口に運んだ。ルッツが「姉ちゃん目の下くろーい」と無邪気に指摘してきたので、「あんたも夜更かしするとこうなるよ」と脅しておいた。


---


午前中は畑仕事をした。体を動かしていると、余計なことを考えずに済む。土を耕し、種を蒔き、水をやる。単純な作業の繰り返し。私の日常。私の人生。


昼前に一段落ついて、井戸で手を洗っていた時だった。


「リーネさん」


背後から声をかけられて、心臓が跳ねた。振り返ると、黒い外套の男——カイルが立っていた。


「うわっ、びっくりした。気配消して近づかないでくださいよ」


「すみません。消したつもりはなかったのですが」


「それ、余計に怖いんですけど」


カイルは少し困ったような顔をした。本当に無自覚らしい。魔法使いってみんなこうなんだろうか。


「何か用ですか」


「はい。昨日の話の続きを——」


「続き?」


「確証が持てたら話す、と言いました」


ああ、そういえばそんなことを言っていた。私の何かが「気になる」とかなんとか。


「確証、持てたんですか」


「おそらく」


「おそらく」


「……九割方」


一割の不確実さを残すあたり、この人は正直なのか慎重なのか。


---


カイルは周囲を見回した。井戸端には誰もいないけど、遠くで村人が歩いているのが見える。


「少し、人目につかない場所で話せませんか」


「え、いきなりそういうこと言われると怖いんですけど」


「あ——いえ、変な意味では」


「分かってますよ、冗談です」


カイルが一瞬固まった。冗談が通じにくいタイプだ。


「じゃあ、裏の林でいいですか。そこなら誰も来ないので」


「お願いします」


私は手を拭いて、カイルを案内した。正直、ついて行くべきか迷った。でも、昨日からずっと気になっていたのも事実だ。あの視線の意味。私の「何か」が気になると言った、その理由。聞かないまま終わるのは、なんだか気持ち悪い。


---


村外れの林は、静かだった。木漏れ日が地面に斑模様を作っている。私がよく一人で来る場所だ。考え事をしたい時とか、家族がうるさい時とか。


「ここなら大丈夫です。で、話って何ですか」


カイルは少し間を置いてから、口を開いた。


「リーネさん。あなたは最近、不思議な夢を見ていませんか」


心臓が、どくんと鳴った。


「……なんで、それを」


「戦場の夢。光と闇がぶつかり合う夢。見たこともない武器を持って戦う、誰かの夢」


全部、当たっている。私が誰にも詳しく話していないことまで。


「あなた、私の夢を読んだんですか」


「いいえ。読んでいません」


「じゃあなんで——」


「それが、勇者の覚醒の兆候だからです」


---


勇者。その単語が、頭の中で空回りした。


「……は?」


「勇者です。災厄から世界を守るために、神々に選ばれた存在。あなたは——」


「ちょっと待ってください」


私はカイルの言葉を遮った。


「勇者って、あの勇者ですか。伝説の。御伽噺に出てくる」


「御伽噺ではありません。実在します」


「いやいやいや」


思わず両手を振った。何を言い出すんだ、この人は。


「私、ただの農家の娘ですよ? 剣なんて握ったこともないし、魔法も使えないし。昨日だって畑耕して草むしりして、弟と干し肉の取り合いしてたんですけど」


「それでも、あなたは勇者です」


「人違いです」


「人違いではありません」


「絶対人違いです」


会話が平行線だ。カイルは真顔で、私は必死で否定している。端から見たら滑稽な光景だろう。


---


カイルは小さく息を吐いた。


「……証明します」


「証明?」


「あなたの魂に刻まれた真名を、読み取ります。それで確定できる」


「真名って何ですか」


「勇者の魂には、本当の名前が刻まれています。リーネ・アルトスという名前は、今世であなたの両親がつけたもの。でも魂の奥には、勇者としての名がある」


今世。その言い方が引っかかった。まるで、前世があるみたいな言い方。


「読み取るって、どうやって」


「魔法を使います。少し、目を見せてください」


「目?」


「右目を」


カイルが一歩近づいた。私は反射的に後ずさりそうになったけど、踏みとどまった。逃げても何も分からない。それに、怖くはなかった。不思議と、この人が危害を加えてくるとは思えなかった。


「……痛くしないでくださいよ」


「痛みはありません」


カイルが右手を上げた。左手の銀の指輪が、淡く光った。


「——『名前の鍵』」


---


視界が、一瞬だけ白く染まった。


頭の中に、何かが流れ込んでくる感覚。痛みはない。ただ、自分の奥深くを誰かに見られているような、不思議な感覚。


そして——声が聞こえた。


自分の声じゃない。もっと古い、遠い場所から響いてくるような声。


『——エルディア』


それは、名前だった。聞いたことのない名前。でも、どこか懐かしい響き。


視界が戻った。カイルが私を見ていた。その灰色の瞳が、微かに揺れていた。


「……見つけました」


「え?」


「あなたの真名は『エルディア』。勇者の魂に刻まれた、最初の名前です」


---


頭が真っ白になった。


エルディア。その名前が、まだ頭の中で響いている。知らない名前のはずなのに、否定できない感覚がある。まるで、ずっと忘れていた何かを思い出したみたいな。


「三十二代目」


カイルが言った。


「あなたは、三十二代目の勇者です。最初の勇者エルドから数えて、三十二番目の転生者」


「転生……」


「勇者の魂は死んでも消えません。何度でも生まれ変わり、新しい体に宿る。あなたの中には、三十一人分の前世がある」


三十一人。その数字が、重くのしかかってきた。三十一回の人生。三十一回の死。それが全部、私の中にある?


「待ってください。待って。ちょっと整理させて」


私は頭を抱えた。情報が多すぎる。


「つまり、私の中には昔の勇者の魂が入ってて、それが何度も生まれ変わってて、今回は私の番だった、ってことですか」


「概ね、そうです」


「概ね」


「細かい部分は後で説明します」


「いや、細かい部分も大事でしょ!」


思わず声が大きくなった。カイルが少し身を引いた。


---


深呼吸。落ち着け、私。


「……じゃあ、あの夢は」


「前世の記憶です。覚醒が近づくと、過去の勇者たちの記憶が夢として現れるようになる」


「右目が熱くなるのは」


「勇者の証です。覚醒すると、右目の奥に光が宿る。今はまだ微かですが、いずれはっきりと現れます」


全部、繋がった。夢も、右目の熱も、全部。でも、繋がったからといって納得できるわけじゃない。


「……私、勇者になんかなりたくないんですけど」


本音が口をついて出た。


「知ってます」


「知ってるんですか」


「誰だって突然そう言われて、喜ぶわけがない」


カイルの声は淡々としていたけど、どこか優しさがあった。


「でも、これは選べるものではないんです。あなたは生まれた時から勇者だった。ただ、それを知らなかっただけで」


---


選べない。その言葉が、胸に刺さった。


「あなたは、何なんですか」


私はカイルを見た。


「なんで勇者を探してるんですか。見つけてどうするんですか」


「俺は——」


カイルが一瞬言葉を詰まらせた。「俺」。初めて、敬語が崩れた気がした。


「俺の一族は、代々勇者に仕えてきました。勇者を見つけ、導き、支える。それがヴィア家の役目です。千年以上、続けてきた」


千年。途方もない時間だ。


「だから俺は、あなたを探していた。三十二代目の勇者を。あなたを——見つけるために」


---


カイルの灰色の瞳が、まっすぐに私を見ていた。


そこには使命感があった。千年分の重みを背負った、静かな決意。


「……本当に、人違いじゃないんですか」


最後の抵抗だった。でも、自分でも分かっていた。あの夢、右目の熱、そして「エルディア」という名前。全部が繋がってしまった以上、否定しようがない。


「人違いではありません」


カイルが静かに言った。


「あなたが、俺が探していた人です。リーネ・アルトス。三十二代目勇者——エルディア」


木漏れ日が揺れていた。風が木々を鳴らしていた。世界は何も変わっていないのに、私の日常は、たった今、音を立てて崩れた気がした。

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