第八話「しらを切り通せ」
俺の3Dお披露目配信に向けて、俺は大学が休みの日に会社と自宅を往復していた。
歌のレッスンにダンスのレッスン。そして3Dのトラッキング調整など、とにかく忙しかった。
この時ばかりは喉が強くて良かったと両親に感謝した。VTuberの中の人で喉を痛める人は少なくない。中には手術をする人もいる。無理に声を作ると声帯を痛めやすくなるからだ。
その点俺はボイトレで普段の声よりかけ離れすぎない程度に声を作る練習を重ねてきた。喉を傷めない方法で。
そして今日も徹底的にレッスンという名のシゴキに耐えたあと、フラフラになりながら帰路につく。
マンションのロックを開けて自分の部屋に入ると、しんどすぎて玄関にへたり込んでしまった。喉が強くても体力はそこまでないのが問題だ。
ゾンビみたいになりながら、俺は床を這ってキッチンにたどり着く。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲む。汗をかいた体に染み渡るなぁ。
少し休んだあと、俺は何とか立ち上がり風呂場に向かう。汗を流したかった。
風呂上がり、Xに3Dお披露目配信の日程をポストする。すぐにいいねとリポストがされて凄い勢いで拡散されていく。その数を見てると自分がいかに、いや、黒瀬カイトがいかに発信力があるのかが分かる。
「このポスト、菜月は見てるかな」
気になって俺は菜月にLINEした。
『カイトの3Dお披露目配信のこと、俺のアカウントまで回ってきた。菜月は?』
『私は常にチェックしてるから、すぐにリポストといいねしたよ! 3Dお披露目配信楽しみ!』
良かった。ちゃんとチェックしてくれてた。
俺も頑張らなきゃな! 菜月にかっこ悪いカイトなんて見せられないし!
そう意気込んで、俺はその日眠りについた。
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「今日は一コマ目一緒だね」
菜月が教室に向かいながら言ってきた。
「そうだね。坂本教授の講義眠くなるから気をつけないと」
「分かる〜。毎回睡魔との闘いだよね」
そんな会話をしながら教室に入る。
俺たちは後ろの方の席に座った。
菜月は鞄の中からカイトのアクスタとチェキを取り出して、机の上に並べている。
「こうするとね、カイトが見てるから勉強頑張らなきゃ、って気持ちになれるの」
菜月がカイトのアクスタに手を合わせてる。もはや神格化されてしまっている。ていうかアクスタ何個持ってるんだ!?
最初は話題に登るだけで胃が痛かったけど、人という生き物は慣れるもので、最近ではめったに焦らなくなってきた。
坂本教授が教室に入ってきた。
講義が始まると、案の定、次々と寝落ちする学生が続出した。俺まで眠くなってきた。
隣の菜月を見ると真面目に板書している。
偉いよなぁ、なんて思いながらうつらうつらし始めると、菜月が俺の脇腹を肘で突いてきた。
「寝るな〜慎吾くんってば〜」
「寝てない。眠たいだけだから……」
「……慎吾くん?」
「ん? なぁに?」
「ううん、何でもない」
菜月が講義に集中する。俺はダンスと歌のレッスンの疲れが溜まっていたのか、我慢できずについに値落ちしてしまった。
「……慎吾くん! 慎吾くんってば!」
「んあっ……」
「もう! 寝てたでしょ!」
俺は頭を掻いて項垂れる。
「ハイ、すみません」
俺が謝ると何故か菜月が俺の顔をジーッと見てくる。よだれでも垂れてるのかと思い口元を拭うが何もなし。
「どうしたの菜月?」
「うん? いや、何でもない」
気になったが寝たことで疲れが余計に増してしまった俺は、フラつきながら次の教室へと向かった。
+++
放課後、菜月と久々に一緒に帰れる喜びを噛み締めていた。最近はレッスンづくしで一緒に帰れない日が多かった。
ウッキウキの俺とは違い、菜月は何故だかずっと何かを考え込んでる。
俺は菜月の顔を覗きこんだ。
「ねぇ、本当に大丈夫? 何かあった?」
菜月の肩がピクリと動く。
「何かあったなら、俺話聞くよ?」
「いや、そういうことじゃなくて……うん? いや、そういうことなのかな……」
うんうん悩んでる菜月を俺は見つめる。
菜月はひとしきり悩んだあと、意を決したように顔を上げた。
「慎吾くん。ちょいちょい」
菜月が手招きする。すると菜月が俺の耳元で囁くように言った。耳がくすぐったい。
「慎吾くん、本当にカイトじゃないよね?」
久々のパンチに思考が一瞬遅れる。
「へ? な、なんで急にそんなこと……」
「だってね、坂本教授の講義のとき、慎吾くん眠ってたでしょ?」
「はい……」
「責めてるわけじゃないの。そうじゃなくてね、眠そうにしてた時の慎吾くんの声が、カイトに凄く似てたの。だから気になって」
久しぶりの感覚。痛み始める胃、どんどん上昇する心拍数、そして止まらない冷や汗。
「ねぇ、本当に慎吾くんカイトじゃないよね?」
「あ、当たり前じゃん! 俺がカイトなんてあり得ないし! そもそもVTuberのこともよく知らないし! いきなり何言うんだよ菜月ってば」
キョドる俺を菜月は曇りない眼で見つめてくる。止めてくれ! 俺の心臓が破裂する!
「本当に本当?」
「絶対に本当。菜月カイトの声が好きだから、少しでも似てるとカイトだって思い込んじゃうんだよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。さ、帰ろう!」
俺は菜月の手を握って歩き始めた。これ以上菜月に考える余裕を与えてはいけない。
「ちょっと、慎吾くん早いってば〜」
「早く行こうよ。今日はゲーセンでカイトのぬいぐるみゲットするって言ってただろ?」
「あ、そうだった! 早く行かなきゃカイトが誰かに取られちゃう!」
「よっしゃー! ゲーセンに突撃だー!」
+++
帰宅してから俺は玄関でスマホを高速連打した。
『菜月がまた俺の声がカイトに似てると言ってきた。一応ごまかしたけど、このまま騙されてくれるか心配です』
そしてジャスト三十秒で佐久間さんからのメッセージ。
『何がなんでもしらを切り通しなさい。あと明日の講義が終わったら、すぐに会社に来てレッスンすること』
相変わらずの短文にクールなメッセージ。
しらを切り通せって言われても、俺はこれ以上どうしたらいいんだよ!
もしかすると、菜月にバレるのは時間の問題かもしれない。
──そんな嫌な予感が俺を襲った。