第二十九話「俺と彼女の覚悟」
菜月と歩きながら話した。
「でも、どうするの? もし慎吾くんがカイトだって、他の人に知られたら」
佐久間さんの警告は胸に刺さったままだ。
それでも今は──。
「……まだ答えは出せない。でも菜月と一緒に考えたい。逃げないで、ちゃんと現実と向き合いたい」
菜月は驚いたように俺を見た。そして小さく笑った。
「慎吾くんってば、ずるいよ。そんなこと言われたら、もっと……好きになっちゃう」
俺も笑った。今はこの瞬間を大切にしたい。そして明日になったら俺が背負ってる重い現実と向き合わなきゃいけない。
だから今だけは、この穏やかな時間を大切にしたい。
+++
俺と菜月は会社にいた。
机を挟んだ向こう側に佐久間さんが座っている。
「答えは出たようだな」
「はい」
俺は机の下で菜月の手を強く握った。菜月も握り返してくれた。
「俺はVTuber黒瀬カイトをやめません。でも菜月を一番大事にします」
佐久間さんはため息をついた。
「それは本気で言ってるのか?」
「本気です」
佐久間さんは腕を組んだまま、指先で自分の腕を叩いてる。
「突然連絡が来たと思えば、彼女と会社に向かってると聞かされた時の私の気持ちが分かるか?」
「分かってます……でも、菜月を抜きにして話を進めたくなかったんです」
また佐久間さんはため息をついた。
「二人の男女が手を繋いて現れたとき、オフィスがざわついたぞ“カイト”が女性を連れて会社にやってきたと」
佐久間さんの言葉に俺は無言で耐えた。菜月の手のぬくもりが唯一の支えだった。
「君たちがどう思っていようと、世間は君たちが思うよりずっと厳しい。VTuberは“夢”を売る商売だ。キャラクターに現実を持ち込みすぎれば、すぐに幻想は壊れる」
分かってる。俺だって頭では理解している。それでも──
「……覚悟はできてます」
腹の底から絞り出すように言った声は微かに震えていた。
「世間はまだ僕と菜月の関係を知りません。万が一知られたら、俺は全力で菜月も“黒瀬カイト”も守り抜きます。どれだけ厳しい非難を受けたとしても」
菜月が俺の手を強く握りしめた。
「私も慎吾くんのこと全力で守ります」
菜月が言った。
佐久間さんはしばらく黙って俺たちを見つめ、それから深く息を吐いた。
「愚かだな……だが愚かさも時には力になる。問題は君たちの決意がどこまで本物かどうかだ」
机の上に書類の束が置かれる。そこには、これから予定されている案件やタイアップの一覧が並んでいた。
「君たちの今の状況で続けるなら、炎上のリスクも収益の低下も、全部自分で背負え。私は守ってやれない」
その言葉の重みに、鉛を飲み込んだかのように胃が重くなる。
俺は菜月の手をさらに強く握った。
「……それでも俺はやります」
佐久間さんが苦笑する。
「なら勝手にやれ。ただしそこまで豪語したんだ、最後までやり通せ」
その瞬間、空気が一変した。俺と菜月は試されている。ここから先は、ただの恋では済まない。
愛と現実、カイトという存在を背負って、前へ進まなければならないのだ。
オフィスの空気はまだ張り詰めているけど、俺には菜月がいるから大丈夫だ。
「分かりました。怖いけど、やり遂げます。菜月と一緒に一歩ずつ進んでいきます」
菜月も口を開いた。
「わ、私もがんばります! 慎吾くんと一緒にどんな道でも歩き続けます」
佐久間さんはそんな俺たちを黙って見つめている。
「これからは、二人で色んなことを整理しながら前に進みます。佐久間さんがくれたチャンスを台無しにしないためにも」
佐久間さんは黙って頷いた。
厳しい現実も、俺たちの覚悟を試すものだと分かっている。
「今回のことは社長にも報告してある。私だけではどうにもならんと思ったからな」
佐久間さんはそう言うと、タブレットを取り出して俺たちに画面を見せた。
そこに映ってたのはサングラスを掛けアロハシャツを着ている髭のおじさんだった。背景がビーチというシュールさ。
「アロハー! 君がうちの稼ぎ頭のカイトくんだね〜。うん、平凡な感じがGoodだね〜」
平凡のどこがGoodなのか意味が分からない。俺は意を決して話しかけた。
「あの、失礼ですが……あなたは?」
「Oh! 紹介が遅れてソーリー! 私がその会社の社長だよ、よろしく〜!」
俺と菜月は愕然とした。とても会社の頂点にいる社長には見えなかったからだ。
「Youは平凡だからこそ、根性がある! 三年間腐らずに地道にVTuberとして頑張り続けたね〜。君にはまだまだ伸びしろがあるね〜」
Yeah! と両手で指を差される。キャラが濃すぎて言葉が頭に中々入ってこない。俺は夢でも見てるのかと菜月を見ると、彼女も俺と似た反応をしていた。
「VTuberに恋人がいて何が悪い? ノンノン! ナンセンス! うちの会社に所属してるVTuberたちの中には恋人がいる子たちが結構いるよ〜? Do you know?」
俺は佐久間さんを見る。凄い速度で視線を逸らされた。
「要はリスナーに知られなければOK! 夢を売るのが僕たちの仕事だからね〜? 佐久間っちはStone headなんだよね〜」
俺と菜月が真剣に悩んでたのは何だったんだ。
「とにかく! 自由にしちゃいなよ〜! 世間に知られたらThe end! それだけの話さ〜! それじゃあGoodbye!」
軽いノリで最後に恐ろしいことを言い残して画面が暗転した。
「佐久間さん……」
佐久間さんが咳払いをする。
「とにかく! 社長も言っていたが世間に知られたら終わりだ、ということだけは忘れないように」
俺と菜月は顔を見合わせて、小さく笑った。
俺たちは会社を出ると、そびえ立つ巨大なビルを見上げた。
「こうして見ると、改めて黒瀬カイトって凄い会社で働いてるんだなって、実感する。あと社長も凄い人だった」
「うん。でもカイトだからここまで来れたんだと思う。カイトを三年間、一生懸命に育て上げた慎吾くんも凄いと思う」
「俺たちならやれるよな」
情けない自分を払拭したくて菜月に聞いた。
「当たり前でしょ! カイトの古参のガチ勢が付いてるんだからね」
俺たちは笑った。
「ねぇ、慎吾くん」
「なに?」
菜月はいたずらっぽく笑いながら言う。
「明日の配信赤スパ投げるからね」
「おう……覚悟して待ってるよ」
そうして俺たちは柔らかな日差しに包まれながら、手を繋いで歩き出した。




