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第十九話「言えないジレンマ」


 

 

 大学の帰り道、俺は菜月と並んで歩いてた。

 俺と菜月を夕日が照らす。

 学生たちの話し声や自転車のブレーキ音が混ざり合う。

 菜月がふいに口を開いた。


「……ねぇ、慎吾くん。カイトさんって彼女いると思う?」


 その言葉に俺の鼓動が胸を叩く。

 いるよ! ここにいる! 君の隣にいる! ──そう言えたら、どれだけ楽になれるだろうか?


 でも実際は楽になるどころか、黒瀬カイトと石田慎吾の二重生活は一瞬で崩壊してしまう。 


 俺は喉の奥まで出かけた「いるよ」という言葉を飲み込んだ。


「ど、どうして急にそんなことを?」


 上ずった声で聞いてみると、菜月は茜色に染まった顔を俺に向けた。


「だって、あんなに人気なのに、全然恋愛の話とか出ないじゃん。ファンに隠してるのかなって思って」


「……そういうのは言わないようにしてるんじゃないかな」

 

 できるだけ無関心を装って言うが、血の気が引いていくのを感じた。

 菜月は眉間にシワを寄せる。


「でも、いないって断言するのも怪しい気がする」


 何故か菜月は俺を探るような目つきで見つめてくる。その時駅前にカフェの看板が目に入った。

 俺は菜月の手を引いて、カフェの中に入っていった。


 店の中は夕方特有の喧騒に包まれていた。

 コーヒー豆を挽く香ばしい匂い、食器がぶつかり合う音。

 俺と菜月はドリンクを注文して受け取り、空いてる席に座ると、菜月がスマホを取り出して画面をタップし始める。


 菜月はスマホをテーブルに置くと、画面をスクロールする。そしてスマホを俺の方へと差し出した。


「ちょっとこれを見てよ」


 画面には「黒瀬カイトに彼女はいるの? いないの?」というタイトルが派手に表示されている。

 菜月が画面をタップすると、動画が再生される。


 内容は、俺が雑談配信をしたときの内容の切り抜きだった。


『彼女なんていないよー。そんな暇ないしね』


 確かコメントを拾って、それに答えた時の内容だ。

 その時の言葉が今の俺を苦しめている。

 菜月が笑顔で「やっぱり独り身なんだ」と嬉しそうに動画を見ている。


 俺はコーヒーを吹き出しそうになり、咳き込んだ。隣の客がチラリと俺を見た。


 今ここにいるだろ!? 俺だよ! 俺が彼氏だろ菜月!


 心の中で叫ぶが声には出せないもどかしさ。

 菜月は切り抜き動画を見ながら、ポツリと言う。


「もしカイトさんに彼女がいたら……ファンはどう思うんだろう」


「……やっぱりショック受けるんじゃないかな」


 俺は曖昧に答えて視線をカップに落とす。指先が氷のように冷たい。

 菜月は少し考えたあと、微笑んだ。


「私もそう思う。でももしカイトが本当に好きな人だったら……応援するかも」


 菜月の笑顔の眩しさに、どうしようもなく胸が熱くなる。

 今なら、俺がカイトだって言ってもいいんじゃ──いや、ダメだろ。そんな事したら俺の二重生活が終わるだけじゃなく、菜月も巻き込んでしまう。

 結局、俺は口をつぐんで曖昧に笑うことしかできなかった。


 菜月が俺の顔を覗き込む。


「ねぇ、慎吾くん」


 不意に呼ばれて顔を上げると、菜月は俺をじっと見ていた。その目はどこか鋭かった。


「私に隠し事してない?」


「な、なんだよ急に!」


 情けないほど声が裏返った。

 菜月がクスクス笑い「冗談だよ」と言う。

 でもその笑みの奥に、俺を探るような視線を感じるのは気のせいだろうか?

 俺には判断できなかった。


 テーブルの上のスマホから「彼女なんていませんよ」と無邪気に笑うカイトの声がリピート再生されている。

 そのたびに俺の心がキシキシと音を立てる。


 ……いるよ、本当は、隣にいるよ。


 俺は頭を抱えたくなった。

 スマホの画面には無邪気に笑う黒瀬カイト。

 それとは対象的に菜月の言葉に一々動揺して心を揺さぶられる石田慎吾。


 現実とのあまりの落差の大きさ、俺は息をするのが苦しくなった。

 

 

 

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