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第2章「試練の炎、凍える心」


大学の事務棟は、夢や情熱とは無縁の、冷たい空気に満ちていた。拓海は、厚さ数センチにもなる火薬類製造・消費許可申請の書類を抱え、受付の職員に何度も頭を下げていた。

「ですから、学生サークルでは前例がないんです。もし万が一、事故でもあったらどうするんですか?」

対応する職員の言葉は冷ややかで、拓海の熱意はまるで壁にぶつかる水滴のようだった。安全対策の資料や、指導教官の推薦書まで用意したのに、返ってくるのは紋切り型の断りの言葉ばかり。自作モーターの可能性を力説しても、彼らは危険物扱いとしか見てくれない。

「このままじゃ、ロケットどころか、モーター一つ作ることもできない……」

部室に戻った拓海は、脱力して椅子に座り込んだ。資金も尽きかけていた。カーボンファイバーの機体素材や、高精度なアビオニクス部品は想像以上に高価だった。

機体製造の現場でも、状況は芳しくなかった。健太は、複合材料(CFRP)の成形に苛立っていた。プリプレグを正確に積層し、オートクレーブで焼き固める作業は、金属加工とは全く異なる技術を要した。

「またボイド(空隙)が入ってる! クソッ!」

完成したはずの機体チューブには、無数の小さな気泡ができており、これでは強度を確保できない。彼は工具を放り投げた。

「健太、あなたの精度へのこだわりはこんなものなの? 私の計算では、このボイド率だと飛行中に分解するわ」

美咲の冷静な指摘が、健太の苛立ちに拍車をかけた。普段は口数の少ない彼も、いらだちを隠せない。

「黙ってろ! オートクレーブなんてうちの研究室にはないんだ! 手作業に限界があるのは当たり前だろ!」

一方、沙織が研究室で進める推進剤の燃焼試験も、難航を極めていた。彼女が自信満々に提案する「革新的な」配合は、静的燃焼試験で期待外れの推力曲線を描き、時には爆発寸前の不安定燃焼を起こした。

「データと違うわ! なぜ?」

フラスコの中で見た現象と、実寸のモーターで起こる燃焼現象とのギャップに、沙織は頭を抱えた。燃焼室の圧力計が異常な数値を示し、試験台の安全隔壁がガタガタと揺れる度に、美咲の顔に緊張が走る。

「沙織、これ以上は危険だわ。一度、配合を見直すべきよ」

美咲の声は冷徹で、沙織のプライドを傷つけた。

「私を信じられないというの? これは科学のフロンティアなのよ!」

感情的になる沙織に、美咲は冷ややかな視線を向けた。安全を最優先する美咲と、理論を追求する沙織の間には、深い溝ができていた。

美咲自身も、アビオニクスの開発で壁にぶつかっていた。市販のフライトコンピュータでは到底達成できない、高精度なセンサー統合と、予測不可能な事態にも対応できる堅牢な制御プログラムをゼロから構築していたのだ。しかし、何度もシステムがフリーズし、センサーが誤作動を起こす。

「一体どこが……」

何日も徹夜が続き、彼女の目にはクマができていた。過去に彼女が設計した回路のミスで、高価な実験機材を破損させてしまった苦い経験が、彼女の心を蝕んでいた。完璧でなければならないという強迫観念が、彼女を追い詰めていた。

夜遅くまで残る部室には、疲れ果てたメンバーたちの重い沈黙が満ちていた。テーブルの上には、失敗した機体の残骸や、燃焼試験で焦げ付いたモーターケースが散乱している。ロケットにかける情熱はまだ胸にあったが、目の前の現実はあまりに厳しかった。

「もう、無理なんじゃないか……」

ある日、健太がぽつりと呟いた。彼の疲れた顔を見て、拓海は言い返す言葉が見つからなかった。資金は底をつき、法規制の壁は高く、技術的な課題は山積していた。

沙織も、実験の成果が出ないことに、ロケット開発そのものへの興味を失いかけていた。

「これは科学的興味の対象であって、実用化の夢は遠い。私が求めているのは、もっと純粋な真理の探求よ」

拓海は、バラバラになりかけたチームと、冷たい大学の対応、そして何よりも自分自身の限界に、初めて挫折感を味わった。ロケットの夢が、遠い幻のように感じられた。

そんな時、大学の廊下で五十嵐教授とすれ違った。拓海は、先日見つけた古い設計図の署名を思い出し、意を決して声をかけた。

「五十嵐教授! 私たちのロケット開発について、お力をお貸しいただけませんか?」

教授は、拓海を一度見ると、眉間に深い皺を寄せた。

「君たちの夢は、ただの自己満足に過ぎない。ロケット開発は、君たちが思っているほど生易しいものではないんだ」

彼の言葉は、拓海の心に冷たい水を浴びせるようだった。彼はかつて若き日にロケット開発に情熱を燃やしたが、ある事故を経験し、現在は表面的にはロケットから距離を置いている。その瞳の奥には、ロケットが持つ危険性を誰よりも知る者の苦悩が宿っていた。

「君たちに、この危険なプロジェクトを任せるわけにはいかない。大学として、資金面での協力もできない」

そう言い放ち、五十嵐教授は冷たく背を向けた。

拓海は、その場に立ち尽くした。情熱だけではどうにもならない現実が、目の前に横たわっていた。夢を追いかけることは、こんなにも苦しいものなのか。彼は、ロケット開発の厳しさと、自身の無力さを痛感していた。


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