第三話 私の名前と自宅訪問
「それにしてもヒガンちゃん、急いで帰らなくても良いのに」
惜しいとはまだ思うが仕方がない。そもそも追っかけられないしね。とりあえずは、家の方を見るとしよう。
家のドアには鍵が掛かっていなかった。デザイン自体は非常にシンプルなドア。が、蝶番の作りとかは地球と同じに見えて、この世界の技術力が低くないと思わせる。
「おじゃましま~す」
有効な権利書を持っている以上ここは私の家という事になるのだが、初めて入る家なので気分で言ってしまう。入る姿勢も少々おっかなびっくりだ。
入った所は客間のような所だった。背の低いテーブルとソファー、暖炉が見える。奥にも部屋があるようだ。他の部屋も同じレベルだとすると、うん、悪くない感じだね。
そこでふと、手に持っている家の所有権利書が目に入った。何が書いてあるのかと軽く目を通す。とりあえず目に入ったのは……所有者名。
「アーリィ・ファスト?」
ここに書かれているからには、この家の持ち主はアーリィ・ファストなる人物だ。けど、私はアーリィではない。
「ヒガンちゃん、渡す書類を間違えたのかな? だって私の名前は……名前は……」
あれ? 自分の名前が出てこない。単なる物忘れにしてもひっかりすら出てこない。そうだ、自分の名前を書けば、考えなくても体が覚えているだろうから出てくるだろう。
再び外に出て、そこらに落ちている木の枝をペンシルにして、自分の名前を地面に書こうとしたが……やはり書けない。
「なんで名前を忘れてるんだろうか?」
うんうんと唸りながら記憶を辿る。昨日の晩御飯はオムライス。私は半熟卵よりしっかり卵を焼いた方が好きなのでしっかり焼いたやつだ。お昼はパスタサラダを胡麻ドレッシングで美味しく頂いた。朝ごはんは少し寝坊してしまったので冷凍の焼きおにぎりとレトルトのお味噌汁。直ぐに思い出すのがごはんばかりというのもアレだが、とりあえずは記憶に問題は無さそうだ。
では、何故自分の名前が思い出せないのか。それが判らない。
「よし……これだけ悩んでも解らないんだから、一旦保留で!」
考えても解らない事を永遠と考えても仕方ないのだ。やるべきことは他にもあるんだから、先に其方を片付けて落ち着けたら改めて悩めばいい。体を動かしていれば、何かのはずみで思い出す事もあるだろうしね。
吾輩は女の子。名前はまだ無い。
再び家の中に入って家探しをしよう。ヒガンちゃんが暫く生活できる程度には物資を用意してくれてるって話だしね。
表扉から入った所は客間な感じ。部屋は広いので好きな感じにリフォーム出来そう。奥に通路があって、途中に物置用らしき小さいスペースと階段があった。階段はとりあえず置いておいて、通路の先に進むとキッチンがある。電気やガスなんて勿論無いから火を焚いて調理だねぇ。窯とフライパンがある。フライパンは兎も角、窯は流石に使ったことが無いや。キャンプと同じノリで使って良いのかな。
戸棚にお皿やコップ、お箸にフォーク、スプーンと一式が仕舞ってある。ここまで揃えてくれているというのは有り難いね。
っと、勝手口らしきドアがある。出てみると家の裏手だ。裏手は柵で囲われており、外からは見えない。小さい小屋とスノコ……水場として使うのかな? そういえば、お風呂が家には無かったな。とすれば……ここで水浴びするしかないかなぁ。周囲から見えなくなっているとはいえ、ちょっと恥ずかしい。洗濯もここでしよう。お水は……表にあった井戸から持ってくるしかないね。地球の家が如何に便利だったか実感するよ。
で、隅にある小さい小屋。なんとなく予想していたけど、やっぱりおトイレだった。水洗じゃないのは嫌だけど、この世界で生活する間は我慢しなくちゃ。色々小細工して少しでも気持ちよく使えるようにしよう。
「一階と裏手はこれだけかな?」
裏手から見える外は森と大きな壁だ。家の方を見るが大きさ的にこれだけっぽい。部屋数は少ないけど、部屋が広いのよね。さて二階は何があるかな?
家の中の階段に戻って登ってみる。扉が三つ。感じとしては個人部屋、寝室かな。一番近い扉を開けたが、やはり寝室だ。机と椅子、クローゼットとベッドが置かれていた。
ベッドの上に革袋が置かれている。持ってみると硬貨が入っているようだ。この世界のお金だろうか? 袋の中を覗くと金貨っぽいのもあるので、そこそこの金額が入っていると思いたい。これを使って、ごはんとか生活の為の色々なものを揃えないと。この世界の物価が判らない内は慎重に使わないとね。お気楽な私でも、慎重に行動する時はそうするのよん。
机には引き出しが付いていた。開けてみたが何も入ってない。そうだ、家の所有権利書はこの戸棚に仕舞っておこう。手に持ち続ける訳にも行かないしね。
クローゼットには普段着に使えそうなシャツとズボンが何着か。そして目に付くジャケットとレザーワンピース、腰巻スカート。
「うっはぁ。思いっきり冒険者って感じの服。耐久性重視って感じだけど……思ったよりは悪くないかも。」
そういえば、この世界に冒険者ギルドってあるのかな? 異世界の定番だけど、お金と情報を得るのに良いかもしれない。家の事が終わったら、探しに出かけてみようかな。お買い物できる場所も確認しなくちゃだし。
そう思うと、中々に忙しそうだ。
窓があるので、留め金を外して開けてみる。心地良い風が流れてきた。地球とは違って緑が多いし排気ガスとかも無いだろうから、空気が綺麗なのかな? 空気の違いが判るソムリエじゃないからどっちでも良いんだけどね。
そしてその窓から見えるのは、奇妙なこの街並みであった。