第百六十二話 ノーネーム
「私は……アーリィでもあり、ベクトでもあり、ガリアでもある! 異なる世界より訪れた<名も無き者>。 私もまた、魔獣カオスダンプティと同じ、この世界の異物よ!」
そう、ある意味で、私は魔獣と同じ存在なのだ。
ただ、この世界に来た目的は無い。いいえ、分からない。
だから私は、ただ地球日本に帰りたいだけなのだ。
「……貴方が何者でも良いでしょう。私の邪魔をするなら、消えて貰います!」
アノンはルシードを蹴り飛ばし、私に向き直る。
魔獣の爪を広げる。それにはますます力が漲っているようで、怪しい煌めきが滾っていた。
硬質で鋭いその爪は、恐ろしい切れ味と破壊力を備えている。
けれど――今の私には、脅威には映らなかった。
ルシードを超える速さでアノンが迫る。
かつてのアーリィなら反応すら出来なかっただろう。しかし、今の私でなら……
突然の爆発!
アインは油断などしていなかった。自らを囮にして、私の背後に魔法弾を生成・射出したのだった。
「なっ!」
だが、私には届かない。
ガリアの魔法障壁を更に強固した障壁が、不意打ちを完全に防いでいた。アノンとしては想定外だったのだろう。
仕方なしに、突っ込んでくるアノン。
「貴方の生い立ちは、ガリアの記憶から見させて貰った……貴方の境遇は同情するし、助けられるべきだったと思う。でも!」
振り下ろされたアノンの爪は、強化した障壁すら砕き、私の首を狙ってくる。
だが、その爪は――私の“虚像”を通り抜けた。
ガリアの想いを伝えるスキル〈プロパゲイション・オブ・エモーション〉
そして、分解消去の光を纏ったサテラ君を振るい、アノンの爪を斬り飛ばした!
「貴方は、曲がってしまった常識にすべてを委ねてしまった。その常識が誤っていると、ガリアから教えられたのに!」
続いて振るうサテラ君は流石に回避される。アノンは慌てて私から距離を取る。
馬鹿な!
アノンの表情は、その言葉を叫んでいるようだった。
「貴方の体を、カオスゼロに戻す。出来るなら、魔獣への呪いの因子だけを戻して、貴方の命だけは助けたいけど……もう、分離出来ない程に混ざってしまっているから」
アノンは、カオスゼロから呪いの因子を取り込んでしまっているのだ。
恐らくは偶然。
それを再びカオスゼロに戻せば、世界中の魔獣に再び呪いで縛る事が出来る。
――ごめんなさい。でも、世界を滅ぼさせるわけにはいかない。
「ふざけるなぁぁぁ! この私が、こんな小娘に負けるはずが!」
斬り飛ばしたはずの爪が、即座に再生する。
あの強さに加えて、この再生能力……この世界でなら、恐らく誰も勝てなかったと思う。
アノンが一足飛びに、私の背後に回る。そして爪と魔法弾を織り交ぜた攻撃の嵐だ。
ベクトの正解を知り得るスキル〈アセンブル・フラグメント〉
人の身では到底避け切れないこの攻撃を、どう避ければ良いかがわかる。
一歩前に踏み出し、上半身を逸らし、一歩下がる。
「やぁ!」
ひねりを加えた鋭い蹴りが、アノンの腹を打ち抜き叩く。
アノンの重心と体の動きに合わせた蹴りだ。
「なにぃぃ!」
全く耐えることが出来ず、後方に吹き飛ぶアノン。
立ち上がるアノンの顔には、怒りの色が濃く浮かんでいる。
「そろそろ……終わりにしよう」
私はサテラ君を両手に持ち、二刀流の構えを取る。
一瞬の間。
アーリィの剣を操るスキル〈フロートソード〉
その速さは音を置き去りにして、アノンを通り過ぎる。
アノンは四肢を斬り飛ばされ、顔から白い地面に落ちた。
「勝負、あり、だね」
「ぐぅぅ……ふざけるなぁぁ! 私はまだ負けてはいない! お前なんかに負けはしない!」
「その姿で、何を言うの?」
確かにアノンにはまだ余力は残っているのだろう。
四肢も少し時間があれば、再生できるに違いない。
だけど……もう解ってるはず。もう勝ち目はない、と。
「世界を早く戻さないと。カオスゼロに戻って貰う……」
「ああ、戻ってやるさ! 魔獣どもよ、来い!」
遠巻きに待機していた魔獣とキメラ種が、一斉に駆け寄ってきた。
魔獣達はアノンを拾い上げ、キメラ種達が私を囲む。
……時間稼ぎ、ね。
「何を!」
私はサテラ君を振るい、魔法と併せて包囲を打ち破る。
だが、その一瞬――アノンには、それで充分だった。
魔獣達はアノンを抱いたまま、一塊となってカオスゼロに飛び込む。
カオスゼロは大きく揺らぎ……そして元の混沌へと戻る。
「アノン……何を?」
その疑問はすぐに分かった。
カオスゼロが轟き、中から非常に大きな、魔獣のような何かを吐き出した。
何重にも重なる魔獣の咆哮。そして、
「これで私は、負けないぃぃ!」
アノンの首が生えていた。まるでキメラ種のように。
「お前が三人の合成の存在なら、私はすべての魔獣と同一となる! そしてなった! 見よ!この力ぁぁぁぁ!」
生えている魔獣の首の一つが、破壊光線を吐き出す。
その光は容易に私の魔法障壁を突き破り、私を掠めて背後の森の中へ吸い込まれていった。
轟音。炎。破壊の嵐。
激しい爆発が、広範囲に渡って森を消し飛ばしている。
これは、魔獣が誕生した時と同じ……いや、それ以上の力を感じる。
これは、最後の最後にやっちゃったかなぁ。
「お前らを塵と化し、そのままこの世界の全てを、私がぁ! 直接破壊してやるぅぅ!」
アノンの瞳には、もはや理性も目的もなかった。
ただ破壊の本能――魔獣の意志だけが、その姿を突き動かしている。
「哀れね、アノン。もう、人としての尊厳も……いいでしょう。貴方の最後の戦い。私が付き合ってあげる」