第百四十一話 皇帝ハインリヒ・ヴェル・エインドレス
正直、今どこを走っているのか、さっぱりだ。
とにかく、人の気配を避けながら、塔を上へ上へと進む。
先を走りながら警戒していたルシードが、低く呟いた。
「これは……誘導されているかもしれないな」
「そうなの?」
「確証はないが、これだけ立派な塔に、こんなに人が少ないというのが不自然だ。そのくせ、要所要所では人の気配がしているからな」
なるほど。
もしかしたら、ガリアちゃんは私達が来ていることに気が付いているのかもしれない。
外での警戒が異様に早かったのも、予め想定していたとしか思えないし……
そうであれば、どこに誘導しているの?
悩むがわからない。
しかし、その答えはすぐにわかった。
「入りなさい、アーリィ、ベクト! 来ているのはわかってるんだから!」
避けようとした大扉の向こうから、ガリアちゃんの声が響いた。
なるほど。自分のもとへ呼び寄せたかったのか。
「お呼ばれしているみたいだし、遠慮なく入りましょ」
「目標が向こうから呼んでくるとはな……」
大扉が、静かにゆっくりと、ひとりでに開く。
ルシードが剣を抜き、ベクトは不意打ちを警戒して構えた。
扉の向こうは、大広間だった。
豪華な装飾。そして奥には玉座があり、そこに少年が座っていた。
皇帝、ハインリヒ・ヴェル・エインドレス。
年齢に見合わない、力強い視線が私達に向けられている。
そして、その傍らにいるのが、
「よ~こそ、エインドレスへ。どうしたの? やっぱり助けが欲しくて来たのかな?」
メスガキ口調がすっかり板についてきた、ガリアちゃんだ。
ゴスロリ風味の軍服が似合って可愛いのが、またなんとも。
「いいえ、話し合いに来たのよ」
「話し合い?」
「今やってる戦争をすぐに止めなさい! 私達がこの世界に迷惑かけちゃ駄目だよ」
ガリアちゃんが少し考え、口を開きかけた。
……が、その前に、皇帝ハインリヒが制止し、代わりに口を開く。
「この行為は私の意志でやっている。ガリアはきっかけに過ぎない」
はっきりとした口調。
明らかに自分の意志で話している。
では、本当に皇帝の意志でこの悲劇を起こしているの?
いくら年下で敵対者とはいえ、相手は皇帝陛下。
偉い人だから、一応、敬語を使わなきゃね。
「聞かせてください。この戦争の目的は何なのでしょうか? 各地で多くの悲劇が起きています。それでも行うだけの理由があるのでしょうか?」
皇帝ハインリヒは、私をじっと見つめ、圧を強める。
「お前の存在はガリアから聞いている。お前の目から見て、この世界はどう映った?」
「え? え~っと……危ない所はあるけど、みんな一生懸命生きている、良い世界に見えました」
危険や不便で考えれば、現実世界地球に比べ、この世界は人に対して非常に厳しい状況だと思う。
悪い人だって多く居た。
でも、その中でも精一杯生きる人たちはたくさんいた。
決して、悪いことばかりじゃない。
だけど、皇帝の視点では違うようだ。
「そうだな。その日を生きるだけなら、現状でもいいかもしれない。だが明日は?その次の日は?遠い将来はどうだ? 日々の為だけに生きるだけでは、人の未来は暗いままだ」
「そんなこと!」
「人生には、いつ災難が降りかかるかわからない。現状のままでは、人の将来はいずれ閉ざされる。かといって、人々が纏まって何かを成すという兆しも無い。ほんの一部に、すべてを任せたままだ」
トースアースの事だろうか?
確かに、街のことは街自身で解決するのが基本で、他の地域を助ける余裕のある街は少ない。
「このままであれば、人は緩やかに滅びる。滅亡に気が付いた時では、もう遅い。だから今、行動しなければならないのだ」
皇帝は肘掛を軽く叩いた。
「今ですら遅いと言える。可及的速やかに人々を束ね、一丸となって将来向けて動く必要があるのだ! ……この戦争は、その為に行っている」
「話し合いで解決は出来なかったのですか?」
私の体験、そしてここに来るまでに遠くで見えた戦闘の傷跡。
綺麗事かもしれないけど、それを目標から外したら、人はずるずると最善を尽くさなくなってしまうのだと思う。
「無駄だな。何の圧力も無く、自分から支配権を明け渡す馬鹿は居ない」
「だとしても、話し合いを試すぐらいは!」
皇帝は、わざとらしく溜息をついた。
「既に始まっていることに事について議論しても、既に意味はない……ガリア」
「はい」
皇帝の呼び掛けに応じ、ガリアちゃんが私達の前に立つ。
「結局のところ、力を見せるしかないのだ。ガリアを下すことができれば、その話を考えてやろう」
ガリアちゃんと戦う。
流れ的にあり得るとは考えていたけど、本当に戦うことになるとは……
これまでの事を参考にするなら、ガリアちゃんは魔法が主体。
とくに、あの何重にも張り巡らされた防壁は、普通に考えて突破できる気がしない。
けど、ベクトは一度、突破してる。
私たちは三人もいる。勝算はある。
……それでも、ガリアちゃんの余裕の態度が気になる。
「皇帝様より使命を預かりました。さ~てお姉ちゃん、お兄ちゃん。例え束になっても私には勝てないって事、教えてあげる!」
ガリアちゃんが、不敵な笑みを浮かべながら、魔力を放つ。
決闘の幕が、今、開かれた。