Carne cruda fresca in cucina. 厨房の新鮮な生肉 II
厨房につづく廊下の入口。
先ほどヨランダがサルシッチャを作ると言って廊下の向こうに消えた。
いまごろ大量の肉と格闘しているのか。
ここは腕まくりして、厨房へ行き手伝うべきか。
器用に調理するさまを見れば、ヨランダは頼りにしてくれるのではないか。
包丁は持ったことはないが、ナイフと剣ならあつかえる。
同じ刃物だ。たぶんいけるのでは。
豪華な廊下から、うす暗い廊下へとアベーレは踏みだした。
厨房は入るようなところではないと教育されて育った。近づくだけで禁忌を犯すような後ろめたさを感じる。
自身をふるい立たせながら進んでは、壁に手をつく。
前方から靴音がした。
ヨランダか。
妙なところを見られてしまったなと思い、アベーレは苦笑した。
「男手も必要でしょう、姉上。お手伝い……」
前方には、誰もいなかった。
「あれ……」
周囲を見回す。
手前にある使用人の控え室から、かすかな靴音がする。
「姉上、そちらで何か」
サルシッチャづくり以外にも、やるべきことがあったのだろうか。
ヨランダの仕事ばかり増やすわけにもいくまい。
使用人が休憩につかう部屋なら、子供のころに入ったことがある。
アベーレは靴音のした部屋に向かった。
ドアを開ける。
せまい部屋に、大きめのテーブルといくつかの椅子がある質素な部屋。
使用人が頻繁に使っていたりすると、脱ぎすてた上着やら食事のあとの皿やら、さしいれのお菓子やらか部屋中にあったりするのだが。
そういったものはいっさいない。
ガランとしていた。
「姉上」
入口からの二段ほどの段差を降り、アベーレは部屋を見回した。
誰もいない。
それとも泥棒でも入りこんでいるのか。
没落した貴族から何か取ろうなど、情け容赦ない。
いちおう自衛のために拳銃を持ってきているが、屋敷内でも携帯していたほうがよいだろうか。
「アベーレ」
部屋の入口からヨランダが顔を出した。
大きな肉切り包丁を手にしている。
アベーレはゆっくりと後ずさった。
「な……何です、姉上」
「あら、ごめんなさい」
ヨランダは肉切り包丁を下ろして部屋を見回した。
「足音がしたから泥棒かと思って」
「だからといって、姉上お一人でどうするつもりだったんです」
「そういえばアベーレがいてくれたのだったわ」
ヨランダがにっこりと笑う。
頼りにしてくださっているとも取れるセリフはうれしいが、本当にどうするつもりだったのだ。
「女子修道院は、女性しかいないものだから」
淑やかにスカートをからげ、ヨランダがきびすを返す。
「女性しかいらっしゃらないのは知っています。それが何なのですか」
「男が侵入したら、捕まえてあそこを切ってよしと教えられたの。そのつもりで来てしまったわ」
ヨランダがクスクスと笑う。
アベーレは絶句して想い人のうしろ姿を見た。
美しくたおやかな仕草と優雅な笑いかたで……いま何と言った。
「姉上……」
「なに?」
ヨランダが返事をする。
「か弱い女性ばかりの場所で、心細く暮らされていたのは分かります。でもこれからは私が……」
「そうね。アベーレ、いちおう男の方だったわね」
「は……」
いちおう。
その単語だけが頭のなかにひびきわたり、アベーレは額をおさえた。
「姉上。いえ、ヨランダ」
「あら」
ヨランダがとうとつにスカートをつまみ片足を上げる。
足元に何かを見つけたらしい。アベーレは視線を追った。
「動物かしら」
あまり磨かれてはいない床。
針のように固そうな毛と、ゆるく波打つやわらかそうな毛が混在して落ちている。
「さっき通ったときにはなかったと思ったのだけれど」
ヨランダが厨房のほうを見る。
「お肉……食べられていないかしら」
そう言いヨランダはスカートをからげて厨房のほうに駆けて行った。
屋敷に到着して、いちばんはじめにたどり着いた客室。
アベーレはその後も寝室に使っていた。
女中が整えてくれるわけではない部屋は、カーテンを閉めっぱなしにしているので常にうす暗い。
自身で整えているベッドは、見よう見まねでやっているので不自然なシワだらけできれいとはいえない。
ヨランダが部屋の管理や掃除を申しでてくれたが、気恥ずかしいのと彼女の仕事を増やしたくないのとで断っていた。
ベッドのそばに置いた長持ちを開け、アベーレはフリントロック銃を取り出した。
たたまれた服をめくり、薬包をとりだす。
紙のつつみを口でやぶり、紙ごと銃口にこめる。
ここのところ射撃の鍛練などしていなかったが、腕は鈍ってはいないだろうか。
壁にかけられた古い絵画に向かい、構えてみる。
安全装置を一段階だけ上げ、狙いをつけた。
じっさいに撃ってみないと鈍ったかどうかは分からないか。
どこか射撃のできる場所はあるだろうか。
「アベーレ」
ドアがノックされた。
ヨランダの声だ。
アベーレは膝をついていた体勢から立ち上がり、出入口のドアを開けた。
室内を見たヨランダが、困惑した顔をする。
「カーテン……」
そうつぶやく。
「え……あ」
アベーレは窓のほうを見た。
「開けないの?」
「いえ……自分で開け閉めするとなると面倒で。どうせ夜に閉めるのなら、このままでいいかと」
アベーレは苦笑した。
「そんなことじゃないかと思ったわ」
ヨランダは室内に入ると、スタスタと窓のほうへと行き勢いよくカーテンを開けた。
うす暗い部屋に、昼下がりの陽光が射す。
「姉上……男の部屋に」
アベーレは顔をしかめた。
「やっぱりベッドのこととか掃除とか、やってあげるわ」
ヨランダは、不器用に整えられたベッドを振り向いた。
意中の女性とベッドとを、こうもとうとつに同じ視界のなかに入れたくはなかった。
アベーレはさりげなく顔を逸らした。