Lupo che invade. 侵入した狼 I
食堂広間のドアは開け放たれていた。
たて枠に手をかけ室内に身を乗りだすと、うす暗い部屋のなか背後から男に首を押さえられたヨランダが目に入った。
「姉上!」
とっさに飛びかかり奪い返そうとしたが、ヨランダの首筋にあてられた刃物らしきものに気づく。
男の顔は陰になりよく見えないが、拳銃をもっていればよかったとアベーレは悔やんだ。
「狼藉者! コルシーニの屋敷と知っての……」
「おんや、フィコ」
しわがれた声でのんびりと呼びかける声がする。
高齢女性のうちの一人が出入口から覗いていた。
こちらはイルマだったかグレタだったか。名を呼ぼうとしてアベーレは迷った。
「グレタ」
マリアーノが女性の手をとり食堂広間の外へ連れだそうとする。
グレタは首をかたむけてヨランダと背後にいる男を見た。
「レダ知らねえか? いなぐなったんだと。おめえ、いっしょに出て行ったろ」
アベーレは、目を見開きグレタをふり向いた。
「いつだ、ご婦人!」
「いつだったがな……」
グレタが宙を見上げる。
「何があったときです、グレタ」
マリアーノがそう言いかえる。つくづく老人の扱いに慣れているなとアベーレは感心した。
「レダが酔っぱらってだときだな。先にリーザがふんらふんら行っで、そのあとふんらふんら歩いてたレダに、フィコが声かけだんだ」
娘二人の歩いた経路を表しているのか、グレタは人差し指で複雑な曲線を描いた。
「男性と出かけたのを見たというのは、そのときですか、姉上!」
アベーレは首を押さえられているヨランダに問うた。
あのときフィコが屋敷のなかに潜んでいたのか。
「ごめんなさい、暗かったから」
ヨランダがそう答える。
声が震えていないことに、アベーレはとりあえずホッとした。
か弱いお方なのに、気丈にふるまっておられるのだ。
「レダのやつ、アベーレ旦那さまの愛人だっていうがら俺が無罪になるよう口利いてくれるがと思ったのに、よぐよぐ聞いたらまだなってないとか言いやがって……!」
フィコが声を上げる。
首をしめる腕に力が入ったのか、ヨランダがやや険しい表情になる。
「しょうがねえがら、あわてで教会に捕まってるやつの口封じ行っだら人狼に食われそうになるし!」
「ちょっと待て。不可解な部分があって話がよく分からん」
アベーレは顔をしかめた。
「ほお、愛人と」
マリアーノがつぶやく。
「何を納得されているんだ、副助祭どの!」
グレタの肩に手を添えたマリアーノを、アベーレはふり向いた。
「だがら正妻のヨランダ様にお話聞いでもらおうがと!」
「お話という態度かそれは! 姉上から手を離せ!」
アベーレは声を張った。
「アベーレ旦那さまは、人狼に味方しで拳銃で撃つじゃねえか!」
「あたりまえだ! 姉上から手を離せ!」
ヨランダに突きつけた刃物が、かすかに震えている気がする。人を刺すのは慣れていないのか。
「そのお方はそのお方で、従姉どのであって奥方ではないそうですよ、フィコ」
マリアーノが淡々と言う。
「……いや、結婚を申し込んでお返事をいただいた。妻だ」
アベーレは答えた。
答えたとたんに心臓がばくばくと音を立て、顔が熱を持ったのが分かる。
「それはおめでとうございます」
何の感激もなさそうな口調でマリアーノが言う。
「……ありがとう」
眉をよせながら、アベーレは返答した。
マリアーノのこの調子は何なのだ。何の状況か分からなくなってくるなと思う。
おちつかせるために、努めてズレた調子で話してくれているのならありがたいが。
ガシャン、と派手な音がする。
食堂広間の大きな窓を割り、一頭の狼が乱入した。
ガルルルルルと唸り声を上げながら、すさまじい速さでフィコに飛びかかる。
フィコが「ひっ」と声を上げた。
「伯父さま!」
ヨランダが声を上げる。
アベーレは目を凝らした。
狼に見えていたのは錯覚だ。大きく裂けた口でフィコの腕にかみつき、グッと引きよせたのは、人狼姿の伯父アドルフォであった。
「姉上!」
アベーレは全力で駆けよると、ヨランダを抱きしめフィコから引き離した。
いきおい余って、壁に背中を打ちつける。
「ご無事でよかった」
華奢な身体を、力いっぱい両腕で抱きしめた。




