Figlia perduta. 消えた娘 II
「天におられる私たちの父よ」
おだやかな朝陽が射す食堂広間。
あたりまえのように毎日の朝食に同席をつづけているマリアーノ副助祭が、しずかに祈りの言葉をとなえる。
「ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と身体を支える糧としてください。私たちの罪をゆるし誘惑からお救い下さいますよう」
「アーメン」とマリアーノが唱える。
しばらく間を置いてから、アベーレは組んでいた手を置いた。いつもレダが座っていた下座の席を見やる。
「レダはゆうべも部屋にはもどらなかったのか」
村人たちがほぼ同時に同じ席を見る。
彼女が呂律の回らない様子で夜の食堂広間をあとにしてから、一昼夜が経っている。
滞在していた部屋には、櫛や髪留めのピンなど身の回りのものがそのままだとリーザが言っていた。
「アベーレ旦那さまよりいい男見づけてついて行ったんじゃねえの?」
リーザが呑気に笑う。
ヨランダがこちらを見た。美しい面長の顔が、どことなく険しくなっている気がする。
「姉上もご心配ですか。私も……」
アベーレがそう言うと、ヨランダは無言でスプーンを手にとった。
自家製のコンソメの香りを鼻腔に感じながら、アベーレは鼻白んだ。
何がお気にさわったのか。
リーザとルイーザの女性二人が、じっとヨランダの様子を見る。
「もしかしてまずかったか? アベーレ旦那さま」
リーザがそう問う。
「何がだ」
「そうだよな。愛人の話よりまず、お二人のご結婚の話だよな」
グラスを置こうとした手がすべる。つい倒してしまった。
テーブルクロスに、ワインがこぼれる。
ほぼ同時にガチャン、と食器のぶつかる音がする。アベーレはそちらを見た。
ヨランダの手元のようだが、つつしみぶかく優雅なマナーの彼女がそんな音を立てるだろうか。聞き違いか。
「うわ。拭くものあるか?」
ルイーザが周囲を見回した。
リーザが「ぞうきん、ぞうきん」とつぶやく。
「バカリーザ。貴族さまのお食事のテーブルは床拭きで拭くんじゃねえ。きれいな布だ」
「これか」
リーザが自身のワンピースのスカート部分で拭こうとする。
「……いや、服を汚す必要はないから落ちついてくれ」
アベーレは顔をしかめた。
手ずからグラスを直し、手についたしずくを軽く切る。
「聖書に登場する罪深い女は、自身の髪の毛でイエスの足を拭き清めましたが」
マリアーノが落ちつきはらってワインを口にする。
「副助祭どの、さらに混乱するような説教を」
アベーレは眉をよせた。
「あなたよりもよい囲われ先を見つけて出て行ったならよろしいですが、状況的にそうじゃない可能性のほうが高そうだ」
マリアーノが言う。
「人狼に食われたんか!」
スカートを持ち上げたままリーザが声を上げる。
「それはない」
アベーレは言った。
「何でそこだけはキッパリ断言なさるんだ、アベーレ旦那さま。貴族さまの権力って人狼にも利くんか」
「いや……」
泳がせた目が、ヨランダの目と合う。
身内の秘密だ。口をすべらせるつもりはありませんと目で伝えるまえに、さりげなく目を逸らされる。
「ともかく心配だな。彼女の家族は何と言っている」
「いっしょに住んでいた父親は少しまえからフィレンツェに出稼ぎに行っていて、すぐに連絡がつくわけではないので」
マリアーノがミネストローネを口にする。
「そうか……」
「若い娘の独り暮らしになってしまっていたので、とくに強くここへの避難をすすめたのですが」
「なるほど」とアベーレは返した。
リーザがようやく布を持ってきてテーブルを拭く。
「きみは?」
アベーレはリーザに尋ねた。
「あたしは兄ちゃん三人とだ。アベーレ旦那さま」
そうか、とアベーレは答えた。いまごろになって聞くのも何だが。
「兄上たちは避難はせずともよかったのか?」
「人狼とっつかまえて鍋にするから待っとけってはりきってだな」
テーブルを拭きながら、リーザがゲラゲラと笑いだす。
「そうか……」
アベーレは複雑な気分で答えた。
ヨランダが席を立つ。
自身の使っていた食器を重ねてもつと、きびすを返して出入口のドアに向かう。
「あれ? もうお食事おわりですか? ヨランダ様」
リーザが声をかける。
「姉上」
「厨房のお仕事の分担も少し増えるでしょうから、先に食器洗いをしているわ」
ヨランダが食堂広間をあとにする。
パタンと音を立てて閉まったドアをながめて、言葉どおりに解釈していいのだろうかとアベーレは迷った。
ここ一日二日、避けられているような気がする。
「アベーレ旦那さま」
出入口を伺うように見ながら、リーザが声をひそめる。
「ちょうどいいじゃねえか。あたしらしばらく厨房に行がないようにするがら、ヨランダ様にプロポーズしたらいいんじゃね?」
ルイーザにそそいでもらっていたワインを、アベーレはふたたび溢しそうになった。




