Figlia perduta. 消えた娘 I
アベーレが屋敷にもどったのは、真夜中すぎの時間帯だった。
角灯を手に同行したマリアーノとともに玄関口の扉を開ける。ホール内に二人分の影が長く伸びた。
食堂広間のほうを伺う。
二人が退室したときのまま真っ暗だ。
「ラウラは……まだどこかにいるのかな」
アベーレは声をひそめてホール内を見回した。
「どうでしょうね。何日か経っているとのことですし、フィコがここに滞在していたのですから二人で示し合わせてすでに出たのかもしれない」
「出て行ったとしたら、どこに」
マリアーノがランタンを頭上にかかげる。
暗いホール内に、女神像の足元が浮かび上がった。
動くものは何もない。
「村人たちが見た幽霊がラウラだとして、何が目的で潜んだのか」
「いろいろ考えられますが……」
マリアーノがランタンを下ろす。
「あなたがおこなった “取り調べ” で、フィコの罪状が領主に伝わると思い証拠隠滅でもしようとしたか……」
マリアーノが周囲をながめつつ続ける。
「もしくは口封じ」
アベーレは顔をしかめた。
あの取り調べとやらも、マリアーノがやらざるを得ない方向にもって行ったような。
「あんな小柄な女の子に襲われてもどうにかはならんと思うが」
「ヨランダ殿なら?」
アベーレは目を見開いた。
「学のない十五の少女でも、そこまで馬鹿ではありませんよ。あなたを襲うくらいならヨランダ殿を人質にする」
考えるよりも先に、アベーレは厨房に走り出していた。
ホール横の回廊から、窓のない使用人用の廊下へと踏みこむ。
使用人部屋のまえを通りぬけ、厨房のドアのない出入口から厨房内へと入った。
「姉上!」
厨房内を見回す。
火を絶やさないよう焚きっぱなしの炉辺の火に照らされ、中央の大きな作業用テーブルと、梁からぶら下げられた食材がオレンジ色に染まっている。
「姉上! ご無事ですか!」
物陰にかくれているのかもしれない。アベーレは厨房内に踏みこんだ。
「姉上!」
「さすがにもう寝ていらっしゃるのでは」
入口からランタンを差しだすように手を伸ばして、マリアーノが言う。
「安否確認なら、お部屋に行かれたほうが」
「そうか。寝て……」
アベーレは苦笑した。
言われてみればそうかと思う。こんな時間帯なのだ。なぜ厨房にいると思ってしまったのか。
「真夜中ですが、事情が事情なら怒る方でもないでしょう」
「ああ……」
そう返事をして、アベーレは厨房の出入口にもどった。
「お部屋におられるだろうか」
そうつぶやいたところで、はたと目を見開く。
「……私が伺うのか?」
「私に伺えと?」
マリアーノが答える。
「いや待て……そんな仲ではない」
「それでも、私が伺うよりはまだあなたのほうが。身内だからという言い訳もできるでしょう」
「いやそうだが……」
アベーレは口を手でおおった。
部屋着で応対するヨランダの姿が悶々と頭に浮かび、消えてくれない。
「伺ったさいに多少の出来事があっても、見なかったことにいたしますので」
真顔で言うマリアーノを、アベーレは横目で見た。
ほんとうに教職なのか、この人はと困惑する。
「あれ? 副助祭さま」
廊下のほうから素っ頓狂な感じの女性の声がする。
リーザの声だと気づき、アベーレは目線をそちらに向けた。
「厨房に来るなんてめずらしいな。小腹でも空いたんか?」
リーザがそう言い、厨房に入って来る。
アベーレの姿を見つけて、「うわ」と声を上げた。
「どうしたアベーレ旦那さま。厨房にいるなんてめずらしいな」
「……え」
アベーレは、改めて自身のいる場所を見回した。
近づくことすら苦労していた厨房と気つく。
すんなりと入り、違和感もなくいてしまったことに拍子抜けした。
「いや……」
梁にぶら下がる腸づめが目に入る。
ヨランダが作ったものか。
こんな簡単に済んでしまうことに何日も悩んでいたのかと、つい脱力する。
「火の番ですか、リーザ」
マリアーノがそう声をかける。
「今日はレダの当番だったんだけどな。部屋にもどんねえから、酔って広間でぶっ倒れてんのかと思って念のため来だ」
炉辺のまえに座り、リーザが灰を掻く。
火がパチパチと音を立てて、ほんの少し大きくなる。
「レダ……?」
アベーレは、入口にいるマリアーノと目を合わせた。
「きみのすぐあとに部屋にもどったが……?」
「うんにゃ。来でねえ」
小柄な身体をオレンジ色に染めて、リーザが小枝をパキッと折って火に焼べる。
アベーレは、もういちどマリアーノと目を合わせた。




