第19話
「……お兄ちゃん、苦しいよ」
少女は兄に苦しみを訴えた。
この少女は虫を媒介にする熱病にかかっており日に日に弱っていた。
治療するためにはマンドラゴラから作られる『抗菌薬』が必要だった。
「……ごめんな、うちにもっとお金があったら」
少年には妹の手を握って励ます事しか出来なかった。
少年の家は貧乏で、冒険者にマンドラゴラの採集を依頼出来なかったのだ。
少年は情けなさと無力感で押しつぶさせそうだった。
「……うっ……ううっ……」
少年の頬を雫が伝った。
だが、泣いたとてそれで何が変わるだろうか?
少年には少しずつ死に向かうたった一人の妹を見ているしか出来ないのだ。
そんな時だった。
「『やっとマンドラゴラで抗菌薬が出来たぞ!』」
妙に芝居がかった声が外から聞こえた。
「『これさえあれば熱病だって一発で治るぞ!』」
声の主は不自然な説明台詞でしゃべり続けた。
「『でもしまったな。俺は元気だからこんな物いらないぞ?』」
少年にはその声に聞き覚えがあった。
「『じゃあ、この薬はどうしようかな?』」
声の主は少年の依頼を断った冒険者だった。
「『まあ良いや。その辺に捨てておこう』」
冒険者はお金がないヤツからは依頼を受けられないと言って断ったのだ。
「『ちょうど良いところに貧乏そうな家があるしな』」
冒険者カツユキの手には黄土色の液体が入った小瓶があった。
「『この薬は飲めば効く薬だから、誰かが飲むだろう』」
おそらく、あれが抗菌薬なのだろう。
「『よーし、ここに捨てておこう』」
声の主は少年の家の前に居るようだった。
「カツユキ、いくら何でも演技下手過ぎない?」
「うるせぇ!ほっとけ!!」
二人の冒険者はそう言うと少年の家の前から離れていった。
薬の入った小瓶を置いたまま。
家を飛び出して薬を受け取った少年は冒険者の背中に何度も何度も礼を言った。
「薬をあげるんだったらもっと素直にあげれば良いのに」
「そんな事出来るか!」
トモリは宿への帰り道でカツユキに言った。
カツユキは『金がないヤツの仕事はしない』と少年に言った。
だが、実際にはカツユキは必死にマンドラゴラを探し薬まで調合してやった。
「どうして?」
「ただで仕事するなんて俺のポリシーに反する」
カツユキは『少年に薬を渡したのは仕事じゃない』と言いたいのだ。
お金を受け取っていないのだから、これは仕事ではない。
そう自分に言い訳をしていた。
「仕事じゃないよ。ただの親切だよ」
「そんなものはこの世にない」
「あるよ!?」
カツユキは『人が誰かに親切にするのは何か裏があるからだ』と考えていた。
それはかつて、カツユキの妹を『実験台にしようとした大人たち』が関係していた。
「世の中ってのは厳しんだ。何かをしてもらうには必ず対価が必要になるんだ」
「ふ~~ん」
だが、トモリはそうは思っていなかった。
それは、トモリがカツユキほどの経験をしていないからかもしれない。
あるいは、逆にトモリにはカツユキにはない経験があるからかもしれない。
「世間は『ギブ アンド テイク』で成り立ってるんだ」
「……そうなかぁ?」
「そうに決まってるだろ?」
「あたしはそうは思わないな」
「そりゃあ、今までただで仕事して来たお前はそう思うかもしれんが……」
「あたしさ、人間ってもうちょっと『温かさ』を持ってると思うの」
「『温かさ』?」
「そう、だって実際カツユキはお金をもらわずにあの子に薬をあげたでしょ?」
「それは……」
「それはカツユキ自身『人間は取り合うだけじゃない』って思ってるからでしょ?」
「そんな事……ない!」
カツユキは否定したがトモリの言葉が喉に刺さった小骨のように心に引っかかった。
「……素直じゃないんだから」
トモリは微笑みながらため息をついた。
それからのカツユキたちは西へ東へと大忙しだった。
密林で巨大蜂の駆除を終えたと思ったら、今度は砂漠で『砂竜』を討伐した。
そして、それが終わったら今度は火山で『赤い群れ』を撃退した。
目まぐるしく仕事をしていたら、三か月なんてあっという間に過ぎ去って行った。
「はぁ~、久しぶりの我が家だ」
「あ~疲れた」
カツユキとトモリは返り血まみれの身体で拠点としている自宅へと入った。
この三か月間の二人の活躍は目覚ましく、組合に居た頃より忙しかった。
「あ~、横になりたい」
「それより先に身体を洗いたい。あたし」
そんな会話をしながら、二人は装備を外して楽な格好になろうとしていた。
だが、誰かが訪ねて来た。
「冒険者組合の者です」
「ああん?組合が俺たちに何の用だ?」
カツユキは組合の使いでやって来た童顔の女性をにらみつけた。
銀等級の冒険者のカツユキににらまれたら、同業者でもひるむ。
だが、目の前の女性はそれを涼しい顔をして受け流した。
「お疲れのところすみませんが、カツユキさんに出頭命令が来ています」
「何?」
「申し訳ありませんが、私たちについて来て下さい」
「ふざけるな!俺が何をしたって言うんだ!!」
いくら冒険者が荒くれ者だとしても、法を犯した記憶は無かった。
カツユキは特にその辺りも気にかけて仕事をしていたからなおさらだ。
「我が組合に対して『営業妨害』を行った疑いがあります」
「営業妨害だと?」
「はい。詳しい話は組合長から聴いて下さい」
「……断ったら?」
「その場合は『多少強引な手段』を用いる事になります」
女性は笑顔を崩さずにそう答えた。
組合から派遣された女性の後ろには屈強な男たちが五、六人控えていた。
いくらカツユキでも疲れた状態でこの人数を相手にするのは分が悪い。
「……ちっ!」
「ご理解いただけたようで何よりです」
カツユキはそのまま、組合へと連行されてしまった。
「中で組合長がお待ちです」
カツユキは冒険者組合に連れて来られていた。
扉一枚の向こうには、かつてカツユキが『登録抹消』を言い渡された応接室がある。
そして、カツユキにそれを言い渡した張本人もそこにいる。
「……ちっ!」
カツユキはしぶしぶ部屋に入る事にした。
バタンッ!と言う乱暴な音を立ててカツユキは部屋へと入った。
中には組合長の『シゲル』が偉そうにソファに座っていた。
「……普通『失礼します』くらい言うもんなんだがなぁ」
シゲルの不遜な態度はあの時と何も変わらなかった。
自分が偉いと思い込み、相手を見下す態度だ。
「……久しぶりだな」
カツユキはそう言うと、何も言われていないのに椅子に腰かけた。
その様子をシゲルは不満そうに黙って見ていた。
「……」
「……」
カツユキとシゲルはお互いににらみ合っていた。
まるで、これから殴り合いの喧嘩が始まるかのようだった。
「ここには、もう二度と来るつもりは無かったんだがな」
「俺だってお前なんかをこの応接室に入れるつもりは無かったさ」
沈黙を破ったのはカツユキの方だった。
「(この守銭奴とさっさと話をつけて家に帰るのが賢明だ)」
そう考えたからだ。
「俺をここに呼んだ理由はなんだ?」
「……実は、最近組合への依頼が減っているんだ」
シゲルは芝居がかった言い方をした。
「まぁあんな『利益優先』の運営ばかりしていればなぁ……」
「……本当にそれが原因だと思うか?」
「悪いんだが、俺はアンタの愚痴に付き合っている暇はないんだ」
「『暇はない』って、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味さ。俺には待たせてる客が居るんだ」
「俺から奪った客だろ!!」
シゲルはテーブルを叩いた。
その衝撃でテーブルに置かれていたお茶がひっくり返った。