出逢い
途端に、耳を塞ぐほどの音量でベルが鳴る。何が起こったのか、瞬時に察した。まずい。警報を鳴らされたのだ。周囲の視線が、一斉にこの店へと集まった。
その場から逃げるように背を向けた。
「ああそうだ、肉」
せっかく買ったのだ。置いていくわけにはいかない。僕は肉を抱えて、一目散に来た道を戻っていった。
警報の効果で、町の人々は一時的に足を止めていた。
僕は人混みを掻き分けて駆け抜けた。目立たないように歩いたところで、周囲から浮いたこの姿では、どうせ目立ってしまう。なら、できるだけ早く、細道へと逃げ込みたい。
僕に触れた人々は、「わっ!」と声を上げ、罵声を上げる。気味悪がって眉をひそめる。
注目なんて久々に浴びた。
その久々の注目が、こんな形になろうとは思ってもみなかったが。
この居心地悪さが毎日だなんて、ほんと、ヒロトには同情する。・・・・・・ああ、ここに来てまであいつに気をとられるつもりはない。
この街にはまだ少ししかいないけれど、既に分かったことがある。この町では、僕は卑下され差別される対象なのだ。そうと見極める手段は、恐らくこの黒髪か、あるいはあの影の存在を知らないかだ。
皆、警報の原因が僕だってことはきっと察している。それなのに、その僕を捕まえようとする素振りさえ見せない。触るのも嫌だってことか!
進行方向に、それまでなかったはずの黒い壁が立ちはだかり、僕は急停止した。壁は、二十メートルほど先のところにある。
人々は、ざわめきながら黒い壁、そして僕から距離を取るように、道の端へと身を寄せたのだった。
何かと思えば、今度は黒い壁が六等分に分かれ始めた。その動きでようやく、僕はその壁も影だったことに気が付いた。六つに分かれた影は、それぞれ人の姿へと形を変えていく。
逃げないと。そんなこと分かっている。けれど、焦りと恐怖で足が固まって動かなかった。
この影の正体は何だ。どっちに逃げれば良い。逃げたあとは?どこを頼れば良い。掴まったら、僕はどうなるんだ・・・・・・!
「・・・もう、アルタさん!こんな世界なら予め忠告しておいてよ!!」
そう、声を張り上げた反動で、僕は反対方向へと地面を蹴った。
行き先なんて決めていない。ただ、がむしゃらに地面を蹴っていた。右手に肉を抱えていたことなんてとっくに忘れている。
ローファーの硬い縁が踝に食い込む。
六体の影は、案の定僕を追いかけてきた。うねうねと絡まり合うように立ち位置を変えながら、確実に僕との距離を縮めてきている。
一瞬眼に入ったその姿に背筋が凍ったのだ。走る足が一層速くなる。止まらない。こんなところで止まれるわけがない。
人混みに紛れたいけれど、皆が僕らを避けてしまっているせいで、僕は隠れる手段を失っていた。
――その時だった。
「こっち!」
誰かが僕を呼ぶ声が、微かに聞こえたのだ。
――この扉の向こうで、君は必ず、君の助けを必要とする人に出会う。必ず。――
脳裏にアルタさんの言葉が響く。
僕は考える間もなく、声の聞こえた小道の方へと向きを変えた。
光の届かない暗い小道。僕が辿り着くやいなや、誰かが僕の腕をぐいっと引っ張ったのだ。半分滑り込む形で、僕はさらに奥の道へと、大通りから姿を消した。
「……はあ、はあ、はあ…」
息をするのさえ怖かった。少しでも音が鳴れば、またあいつらが追ってくる気がして。
静かに息を切らしながら、自分に手を差し伸べてくれた人物を見た。
「…あっ」
――長い金髪を、二つに結わいた少女。
彼女を見て、思わず声が出た。少女は、僕の夢に出てきた人物とあまりに似ていたから。
「うん、もう大丈夫みたいね」
彼女は外の様子を覗き見ながら言った。
「あの・・・」
何から言えばいいのか分からなかった。僕はどんな世界に来たのか。なぜ追いかけられなければならなかったのか。あの影の正体は何なのか。聞きたい事はたくさんあった。
けれど、まずは――
「――あの、助けてくれてありがとう」
「いえ…随分と災難だったわね。どこから迷い込んだのか知れないけれど、あなた、この街の住人じゃなさそうだったから。それなのにいきなり掴まるなんて、悲劇どころの話じゃないわ」
金髪に映える、ぱっちりとした桃色の目が、物珍しそうに僕を見た。こんな目の色、初めて見た。
「あの影は?もう追ってこないの?」
「ええ、けれど、本体の方があなたを探しているかもしれないから、できるだけ早くここを離れた方が良いわ」
「本体って?」
「影を動かしてる影主のことよ。歩きながら話しましょう。今は私の知り合いの所へ行って、一時的に匿ってもらうわ」
彼女が、なぜ初対面の僕にここまで尽くしてくれるのか、理解できなかった。ただ、なんだかアルタさんの言う「君の助けを必要とする人」が、この少女にピッタリはまって、関心が離れなかったんだ。
影に落ちた、小汚く薄暗い小道を、僕たちは並んで歩いた。




