決戦
まだ僕の役目が終わっていない。
・・・ファロイは?ファロイ本人は――
「――中にいるのか!」
シヴァの鉤爪が食い込む鎧に近寄った。見上げても見切れぬほど大きなその体は、触れると冷たい。不快な冷たさだった。
固まった鎧の頭から、何かが滑り落ちてくる。それを見逃さなかった。不安定に着地したその人物を、僕はすかさず抑えた。
「ファロイ・・・」
彼女が僕の腕を鷲づかみにして抵抗する。力の差と、技術の差が伝わってくる。
だから、力で敵わないときは、頭で勝つしかないんだ。まあ、僕が言えたことではないけども!
懐から取り出した瓶の蓋を開ける。中古の絵画セットのトランクから唯一、これだけを持ってきた。中に入った透明でガス臭い液体。それ、ファロイの全身にふっかけてやった。
鼻を刺激する特徴的な臭いが蔓延する。
「・・・何をした!」
ファロイが力尽くに立ち上がり、僕の襟を掴む。息が詰まった。
「・・・動かないで・・・!でないとシヴァがあの鎧、全部呑みます!」
ああもう。こんな時まで敬語を使ってなくたっていいのに、手が震えてそれしか言えないんだ。
「そうではない!私に何を――」
「それでも影を動かすっていうなら!今度はあなた自身にあの攻撃を出してもらう!微弱な攻撃なら、まだいくらか出せる!今のあんたにはそれで十分だ!」
「・・・それで、私に引火させようと、そう脅しているのか!」
ファロイが自身に掛かった液体の正体に勘づいたのだ。
こうしている間にも、ファロイの兵が体制を立て直して再び攻め寄ってきている。
「だが!その微弱な攻撃さえ不可能なはずだ!今だって、あの攻撃で女は死んだも同然の力しか残っていないだろう!」
「あの女」・・・ミノンか。
そう、僕は昨晩彼女に告げられた。あの攻撃は、自分の分まで幻能を削ってしまうのだと。次撃てば、それが自分の最期になるだろうと。でも――
「――でも、今回は、ミノンの力は使ってない。あれは全部、シヴァの力だ」
「あの鳥にそんな力・・・!」
そう。もともとシヴァでさえ、あの攻撃を出せる力は持ち合わせていなかった。
そこで、ファロイははっとして怒りに満ちた表情を浮かべたのだった。
「貴様ぁ!良くも私の影を!!」
ファロイに剣を突き立てられ、咄嗟に僕は、使う予定のなかった短剣を構えていた。
シヴァが今回、あの炎を使えたのは、それまで散々、ファロイからの矢を受け続けてきたからだった。あの矢が、シヴァに余力を蓄えていったんだ。
始め、敢えて戸から離れた場所に着地したのは、その為でもあった。ファロイに、攻撃を仕掛けて貰う為だ。
「鍵はどうした!戸は開いていない!あの女がいなくてはお前も意味が無いはずだ!」
ファロイはまだ、気が付いていないんだ。
鍵が既に開いていること。それからミノンも既に、あそこにいること。
「・・・・・・ミノン!今のうちに!」
僕の叫び声は真っ直ぐミノンへと届いた。
戸の前にある華奢な姿。揺れる二束の金髪。決意の固まった、それ以上ないほど綺麗な桃色の瞳。
眉をきゅっとしめて、ミノンが戸を開ける。
隙間から光が充満して、溢れかえって、彼女を包み込んだ。
「撃てぇっ!」
ファロイが急いで命令を下すも、もう遅い。ミノンは光に吸い込まれてしまった。ヒロトもまた、その後に続いたのだった。
それを見届けたら、一気に肩の力が抜けた。全て、成功に終わったように思えてしまったんだ。負傷者だっているのに。まだ僕が戸を越せていないのに。
大量の矢が、無様に宙を舞う。全開の戸の前には、鎧を抱えるシヴァと、僕らだけが残っていた。
ファロイが鬼の形相で僕を睨み付けて、一層強く僕の首を握った。苦しくて声が漏れる。けどまだだ。まだ、耐えるんだ。
「あの女、どこから湧いて出た」
訊いたはいいが、僕に答えさせる気はなさそうだ。喉を押さえられて、声が出ないんだ。
ミノンも、ファロイと同じ。ずっとシヴァの中にいた。シヴァは、僕だけじゃなく、自身の中に取り込んだミノンを守るのにも必死だったんだ。
それから目を見張る事態が起こった。
赤い影が、影の大軍が、じりじりと消え始めたのだ。シヴァに脅されているにも関わらず。
「燃やすなら燃やせばいい!だがお前だけは!お前だけはここに留めてやる。ここで、私の影に苦しめばいい!」
消えた影が再びファロイの背から虫のように湧き上がり、分厚く、分厚く僕らを包みだした。球が出来上がっていく。僕とファロイだけの世界が赤くどす黒く染まっていく。
耳元で虫の羽音とファロイの怒鳴り声が響いた。
「どうせこの距離じゃ、お前はもうあの戸まで辿り着けまい!結局、あの女と鳥の力が無ければ無力な小僧が、ここからどう足掻いて抜け出す!」
もう、完全に当たりは影に包まれてしまった。
赤、赤、赤…。ファロイの心の内そのものに迫れているみたいだ。
ファロイの腕に血管が浮かんでいる。その腕にしばし掴まれた僕の体はもう、十分に酸素が回っていなくて、手が小刻みに震えてしまっていた。
――もう無理だ。
握っていられなくなって短剣が手からスッと抜け落ちていく。
でも、僕は代わりにあるものを手に取った。小さくて、そのままじゃ何の効力も無さそうな、ただの石。イニシアの中で最も身近で、最も手に入れやすい。
――幻石だ。
本当に、今までこれを大量にポケットに入れて持ち歩くのは大変だったんだ。
ポケットから手を抜くと、掴みきれなかった幻石が地面に流れ落ちた。衝撃を受け、それは等は時計の秒針を一気に回したみたいに、カチッ、カチカチカチッと足元でなる。手に握った幻石もまた、幻能を抑えておく蓋が外されて、動きだした。それも、全部手放してやった。
落ちていく幻石がちょうど、僕の腹の所まで来たときだった。
一斉に解放された幻能が、僕らの間で、足元で、膨れ上がって目に見えぬ力を発生させたのだ。
ファロイがしてやれたと、憎悪を燃やす。僕も、最大限してやったと情を浮かべたつもりだった。
ファロイが僕を刺しに掛かったが、刃先は僕には届かなかった。ファロイがぐっと離れて行く。僕はまた、遠くへと吹っ飛ばされたのだ。
ハタが僕にしたことを、僕はそのままファロイにした。ファロイもまた、赤い球と共に吹っ飛ばされていく。
最後に勝負を決めたのは、特別でもなんでも無い、ただの幻石だった。
黒い羽が、飛んできた僕を優しく受け止めて包み込んだ。光が僕を包み込んだ。
遠く飛ばされた赤い点を最後に、僕の目の前で青い戸がパタンと、しまったのだった。




