表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
招かれた僕ら  作者: 蓮水 碧
4/46

仲介人


「・・・・・・はいどうぞ。お代はお気になさらず」


目の前の店員が、そう言って僕の前にカップを置く。


「あ、あの、すみません。僕――」


――珈琲は飲めない。

そう言い掛けて、口を閉ざした。置かれたのは、珈琲ではなく紅茶だった。


「もしかしたら苦手かと思って。勘違いだったらごめんね」

「・・・・・・いえ、ありがとうございます」

「これ、濡れてるだろうから、良かったら使って」

「あ、ありがとうございます・・・」


 差し出されたタオルを受け取る。顔の水滴を拭き取った。


「色々とすみません・・・いただきます」


 そっと、一口目を流し込んで、僕は気が付かれぬように皿を拭くその店員を見た。

背の高い男性。顔つきはあまり日本人らしくなくて、髪色なんか、この街じゃかなり目立つと思われる白に近い金髪をしていた。チェーンの付いた細淵の眼鏡を掛けていたから、目の色ははっきりと分からなかったが、僕は初め、ひょっとしたら日本語が流暢な外国人かとも思った。

今風に真ん中で分けられた長い前髪。髭も生えていないから若く見えているけれど、一人でこの店を持っているようだし、多分、見た目ほど若くない。


「あの、ここって最近出来たんですか・・・?」

「うーん、まぁ、最近と言っちゃあ最近だけど。でも私はオーナーを務めて何年も経つよ」


 僕が尋ねると彼は随分と曖昧に答えた。結局はどうなんだか。


「今はこんなんでも、お客さんはそれなりに来るよ。常連さんもぼちぼちと。珈琲一杯だけ頼んで、ずっと仕事に向かい合ってる人とか、新聞に熱中してる人とか、紅茶一杯に角砂糖六個も入れる人もいるんだよね」

「へぇ・・・」


 まあ、こうしてお店が成り立っているということは僕が知らなかっただけで、誰かしらはこの道に通っているのだろう。


「偶然でも、この店に来たってことは何か悩みが?」

「え?」


 バッチリと目が合って、僕は思わず視線を逸らした。


「ここのお客はね、みんな何かしらの悩みを抱えてやってくるんだよ。だから、もしかしたら君もかなって」

「いや、まぁ・・・」


 正直、あまり深掘りされたくなかった。けれど、僕の心の奥底では違ったみたいで、気が付けばするりと言葉が出ていた。


「・・・・・・悩みって言っていいのか分からないんですけど・・・」

「そう?前腕のその傷が、色々と物語ってるみたいだけど」

「ああ、これ・・・。親との喧嘩で熱くなっちゃって」


 昨晩、親父と喧嘩した時に、勢い余って前腕を箪笥の角に打ち付けてしまった。腕が入った角度が悪かったらしくて、見事に皮膚が削れて血が出てしまったのだ。おかけで喧嘩はそれきりになったけれど。


でも、この傷が僕の悩みと絡んでいるという素振りなど、僕は見せたつもりがなかった。

・・・・・・それなのに。


「てことは君、今日帰る家が無いんじゃない?」 


 ほら、やっぱりだ。僕は肩をすくめて話を流した。この店員は、さっきからまるで、僕の言葉のその先を見据えているみたいに、痛いところに話を振ってくる。


 その通りだ。だから僕、今日はカナメの家に泊まるつもりでいた。そのカナメは、どこかに行ったきり帰ってこないけれど。


――初めてじゃない。

もう何度も、家に帰りづらい日ができてはカナメの家に世話になってしまっている。何日も連続で居候していたこともある。それでも、僕の両親は、数日ぶりに家に帰ってきた僕に「おかえり」の一言もない。昨日の喧嘩だって、ヒロトがいきなり進路を変えるとか言い出したから、両親が激怒して、その怒りが回りに回って僕へと向けられたのが原因だ。あんなもの、親父のただの八つ当たりに過ぎない。


いつの間にか分かち合えなくなってしまったこんな僕の家庭だから、ヒロトとは当分口を利いていない。だから、ヒロトがどう進路を変えるのか、あいつが一体何を考えているのかなど僕には知る由もなかったけれど、両親とぶつかって家を出て行ったきり、ヒロトは帰宅していない。だから余計に、僕は家に居づらいのだ。

 ヒロトがああなったのはお前のせいだとか、きっとまた、色々と言われるに決まっている。


…ああ、もう。思い出したらきりがない。


 頭を抱えた僕の耳に、ふと、ガタンゴトンと列車が通過する音が響いたのだった。路面列車だろうか。

加えて、今じゃあ、滅多に聞くことのない汽笛の音まで聞こえてきた。それがあまりに珍しくて、思わず尋ねてしまった。


「・・・あれ?ここら辺、線路なんて通ってましたっけ?」

「ああ、たまにああして通るんだよね」

「たまに?」


 普通、時刻表に沿って一定間隔で通るものだろう。そんな、気まぐれな列車などあるのだろうか。それとも、田舎のバスのように、一時間おきにしか通らない、ってやつだろうか。


「そうそう、間違えてこっちを通っちゃうんだよ」


一体何の事を言っているのか。聞き返す前に、僕の意識は彼の右手に逸れていた。

義手だったのだ。分かりやすく、肌よりも濃い色の木で造られた手義手で、関節部分からは骨組みとなる細い鉄が覗いていた。


 その詳細をいきなり伺うほど礼儀のない僕ではなかったが、初めて目にする義手の造りには、思わず釘付けになっていた。

手義手の指と指の間に、上手いこと皿や布を挟んで、皿の水滴を拭い取っている。違和感のない、あまりに流暢なその動きに、今の今まで僕は義手の存在に気が付かなかった。


店員の方も、きっと僕の視線には気が付いていただろう。けれど、それについては何も語らずに、代わりにこう言ったのだった。


「紅茶、美味しい?」

「え、ああ。はい。なんか、落ち着きます」

「良かった。昨日仕入れたばかりの茶葉なんだよね」


 カップの底に残った赤茶色の水面に、僕の顔が映って揺れた。


「あのぉ、やっぱりお代を・・・」

「ああ、違う違う。せっかくブレンドしてみたはいいけど、試飲してくれる人がいなかったから、誰かの感想が欲しいのもあって、君に飲んでもらったんだ。それはまだ商品じゃないから、本当にお代は良いんだよ」

「・・・ありがとうございます」


 紅茶など、全くもって詳しくはなかったけれど、家に置いてあるほんのり珈琲の香りが移ったティーバッグの紅茶よりも、何倍も美味しいことは確かだった。


「あー美味しいねぇ、これ」


 いつの間に淹れたのだろう。彼まで紅茶のカップを手にしていた。


「これ、君の茶葉からもう一回抽出したんだよね。二回目の薄い紅茶が、なんだか丁度良くてさ」

「そう・・・ですか」

 僕の(つたな)い返事に、彼は「ははは」と軽く笑った。


 怪しくはないけれど、不思議な雰囲気が漂っている。いつの間にか、僕との心の距離まで詰められてしまったみたいで。けれどこの洒落た空間の効力か、何だかこの席は落ち着くのだ。


「悩みがあるときはさぁ、人助けすると良いよ」

「・・・・・・と、言うと?」

「誰かの悩みを、親身になって解決しようとしてるとさ、自然と自分の悩みがどうすれば解決できるかっていうのが、見えてくるんだよね」

「・・・でも、そんな都合良く困っている人なんて、見つかりませんよ」


 自分から見つけに行くのも、なんだか違う気がするし。


「そう?じゃあもし私が――」


僕より先に、店員の方が息を呑む。


「――『知人に助けを求めている人がいるから、私の代わりに君の手を貸してほしい』って言ったら、君はどうする?」


・・・・・・ああ、そんな気はしたんだ。

 すぐには答えられなかった。返事に迷って、無意識のうちに、もう殆ど残っていない紅茶を啜っていた。

僕の直感が、この質問はただのもしも話ではなく、本気で僕に問いかけているのだと言っていたのだ。

 自然と、僕の方も真摯にその質問を受け止めていたせいで、僕らの間にはしばらくの間沈黙が流れていた。


「・・・・・・そうだったら、喜んで引き受けますよ」


 沈黙の末、そう声にしていた。


全部忘れ去りたかった。ほんの少しの間で良いから、自分に関することは全て忘れて、悩みなど全くない状態で、誰かに寄り添う時間が欲しかった。ほんとうに、少しで良いから。自分の人生は持たずに、誰かの人生の登場人物になりたかったのだ。


 僕の言葉に、ブロンドヘアの店員は、目を細めてにっこりと笑ったのだった。喜びに溢れた笑顔なんかではなくて、何かを予感したかのような、そんな笑みを浮かべたのだった。


「それならおいで。是非君に引き受けて欲しい案件がある」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ