《第九章 決断》 影主の同志
「マコト、怖い?私は怖いわ。今日で、何もかも終わってしまう気がするの」
「大丈夫、ミノンが明日を歩めるように、最大限尽くすから。でも、僕も怖いよ。何だか、全ての事が済んだ後、ミノンが先に進むのを見届ける前に、別れが来そうで」
「・・・それなら、お互い今を精一杯にやりきるのが一番のようね」
「うん・・・」
目の前には、巨大な積乱雲がそびえ立ち、僕らを迎え入れようとしている。あれを抜ければ、ラピュアスの地に繋がっているというのだ。
「これじゃあ、雲から出たときに全身びしょ濡れだな・・・」
「そのまま行ったらね。でも、前回はシヴァが私を包み込んでくれた。あなたがパライレに乗って来たみたいに。今回もきっと・・・」
ミノンがシヴァの背中でゆっくりと横になる。僕も真似して体を倒した。するとみるみるうちに、体が吸い込まれていく。向かい合ったミノンは、右半身が既にシヴァの中に埋まっていた。僕もきっと、その状態だ。
気構える余裕もなく、あっという間に僕は暗闇の中だった。何も見えない。声も出ない。体も動かせない。何より、体が芯から冷えていった。でも、不快な冷たさじゃない。熱を持った自分の血が、全身に巡り渡っていくのが、じっくりと感じられる。影そのものの冷たさを味わっている気分だった。
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シヴァが僕を解放したとき、僕の隣にミノンはいなかった。シヴァは僕を置いて、遠くへと飛んでいく。
見上げれば、果ての見えない崖が只管に続いている。向かい側の崖は、ここからじゃはっきりとしない。それくらい広いのだ。
疎ましい荒野を目前に、僕は一度足を止めた。
「すっごいな・・・」
本当に辿り着けるなんて。
冷たい地の中。ここは、あの大きな地割れの底だ。出口の見えない囲われた世界に、萎縮していた。音も無く、彩りも無いこの地に、息が詰まって鼓動が高まる。
一歩、足を踏み出すと、足音が静かに響く。また一歩、また一歩と僕は地割れの中を歩いた。といっても、感覚としては地割れの中というより、ただ広い荒野を、一人孤独に歩いている気分だ。ボロボロのローファーがポクリポクリと、懐かしい音を奏でる。
ここに来てからずっと忙しない日々を送っていたからだろうか。こうして、僕の足音以外、何も聞こえない瞬間は久々だった。部活後、暗い夜道、あの珈琲がにおう家へと、一人帰らなければならない鬱々な気分が蘇る。
鬱々と言えば、この場所でラピュアスを探すことだ。僕ら二人だけで、それも人の足でこの馬鹿でかい地からラピュアスを見つけるなど、まず不可能だ。
たとえ、その範囲が地割れの中心地だけに限られていようと・・・。
けど、ファロイならどうだろう。あれから丸一日経った。大量の兵士と、赤い影の大群を使って、もしかしたら既にラピュアスの居場所を掴んでいるかもしれない。
僕らは睨んだのだ。ラピュアスがとある場所へと還るなら、それは五つに分けられたその瞬間、あった場所だろうと。つまりは地割れが発生した中心部だ。
ファロイが地割れの下へと降りてきたなら、そこがきっと、ラピュアスの在処だ。
まあ、ファロイが在処を見つけ出しておいてくれないと、これも意味のない作戦なのだけど。
本当なら、ファロイがラピュアスに辿り着く前に、僕らがラピュアスを見つけていたかった。
けど、とにかく結果としてラピュアスに辿り着ければ良い。
だから、僕らは今から、この崖下にファロイを降ろす。
――「当日、兵隊に指示を出すのはファロイ本人だと思うんだ。あの時もそうだった。鎧は、指示に従ってしか動くことができないのかも」
「でも、まだわからないじゃない。自分の身を守る為にあの場にいたのかもしれないし、あれが鎧にしかできないことだったのかもしれないわ」
「・・・・・・どちらにせよ、ファロイの居場所を荒らせば、ファロイ本人が下に降りてくる可能性があるってことか」
「そうなれば!その間、隊の指揮は鎧が取る・・・」
昨晩、ミノンと散々話し合った。温かい寝床があっても、わざわざ睡眠時間を削ったんだ。
なにせ、命懸けの戦いに出るのだから。それも、未成年の大人まがいが二人と、一体の影だけで。
神経を研ぎ澄ませて、地上の音に耳を澄ませていた。
シヴァがファロイに勝る勢いで、暴動を起こし始める・・・自信は無いけれど。
シヴァには五つに割れた地のどこかに居続けるファロイを見つけ、その地でできる限り暴れ回ってもらう。大丈夫、少なくとも兵士達の普通の影にシヴァが負けることはない。ただ、昨日シヴァの羽根に穴が開いたのを見てから、あのシヴァでさえ負ける瞬間があるのだと、事態を憂慮している。
「・・・・・・何か聞こえる」
今、確かに何か聞こえたんだ。でも、こんなにはっきりと聞こえるなど予想外だ。もし、シヴァが暴動を起こしたとしても、この上なく高い崖の上だぞ。それに、亀裂を越した先の遠い地なら、絶対に音は届かない。
相当近い場所だ。近くで、何かが起こったんだ。
その正体はすぐにわかった。
足音だったのだ。一人・・・二人・・・いや、そんなもんじゃない。・・・後ろからだ!
振り向いて愕然とした。予定よりずっと早く、シヴァが現れたのだ。それも、大勢の兵隊を引き連れてだ。
「初っぱなから予定外かよおっ!」
シヴァに持ち上げられた勢いで、僕はやけくそに叫んだ。砂埃がぶわっと舞う。
「シヴァ!この状況まずいんじゃないの!?」
武器を持った大勢の兵士に追いかけられているんだ。シヴァはどうしてこんなにも落ち着いていられるんだ。
・・・いや、違う。何かおかしいのだ。シヴァを追う彼らは一行に攻撃を仕掛けてこない。それに、シヴァだってもっと早く飛べるはずなのに、わざと力を余しているのだ。
やがて、僕の横に一人の兵士が寄り添って走り出した。馬のような影に乗っている。琥珀色の長髪をなびかせた、兵士にしては穏やかな顔付きの男だった。
「やあ少年、聞こえるか」




