《第八章 残された時間》 休戦
ラピュアスの地を離れてからは、行く先は全てシヴァに任せていた。
街の景色が見え始めると、ミノンは無意識に「わあ」と声を出していた。そこは、ミノンが生まれ、まだ両親と普通の生活をしていた頃に住んでいた、彼女の故郷だったんだ。
僕らが着いた頃には、日は殆ど沈んでいたけれど、緑が美しい街だということはなんとなく分かった。大湖を中心に建物が並び、その光が湖に沿って円を描いている。
如何にも宿屋らしき建物がたくさん並んでいて、この時間でもまだ人が道を行き来している。
本当はミノンが以前住んでいた家に行きたかったのだけど、あまりに昔のことで、本人も以前の家がどこにあるのか、はっきりと覚えていなかった。それに、今頃行ったところできっと新しい住人がいるだろうからと、僕らは有り金を叩いて最高に良い宿へと泊まった。
「宿が見つかって良かったわ。最低限、必要な物があれば良いと思ってたの。温かいお風呂と、温かい寝具と、美味しい夜ご飯、それに綺麗な景色・・・」
「あはは、最低限って言ってるわりに贅沢だな」
僕の笑い声に続いてミノンもクスリと頬を上げた。
「・・・こんな子供二人で、怪しまれなかったかな。家出だとか、色々と」
「私達の年齢なら、なんとかなるわ。この街、普段はただの田舎だけど、祭りの時期は湖に映るこの景色が綺麗だからって、旅客で溢れるの。今は少し、潮が引いたようだけど」
「へぇ・・・そうなんだ」
「懐かしい。またいつか、家族皆でここの景色を見たいと思ってた。もう叶わなくなってしまったけど・・・でも、またここに来られて本当に嬉しいわ」
宿の一室、ベランダから見た湖の光は、僕の目に焼き付いて離れなかった。
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「・・・マコト、聞いても良いかしら」
ベランダで、穴の開いてしまったボロボロのキャンバスを眺めていたら、ミノンがそう言って僕の隣に座った。
廃墟となったあのビルで、ミノンと水平線を眺めていた日を思い出す。
「あ、それ…穴が開いちゃったのね・・・」
「うん。でも、このキャンバスと過ごしてたお陰で、自分の気持ちにまた気づけたよ。僕、何が何でも絵を描くのが好きだ」
ミノンが「見せて」と言うから、キャンバスを手渡して、僕は彼女が知りたかったことを話した。
「・・・・・・ヒロトって、僕の双子の兄なんだ」
「・・・でもマコトは青い戸から来たって・・・」
「そう。だから、僕もいまだに信じがたいと思ってるけど・・・けど、あれは間違いなくヒロトだった。こんなんでも一応家族だからわかるんだ」
「『こんなん』って?」
思わず口走ってしまった。誤魔化そうと肩をすくめたら、ミノンは察したように口を閉ざした。
「僕が戸を越す一日前、ヒロトは家出して次の日も帰ってこなかったらしい。あいつ、頭良いから絶対に誰にもバレない方法で、計画的に家を出て行ったのかと思ってたけど、多分僕より先に青い戸を越してたんだ。それだけの話だった」
「マコトのお兄さんは、弓矢の経験があるの?」
不可解な目で、ミノンは尋ねる。
「・・・いや、ないと思うけど・・・」
お互い、あまりに関心を持たなすぎて、「やってない」と断言できなかった。
「そう。それにしては随分と上手だったわね・・・。例えあなたより一日早く来ていようと、この短期間じゃあの命中率は無理よ。そもそも、王政の衛兵として所属することが、まず不可能・・・」
「うん・・・それにあいつ、僕の見間違いじゃなければ影も手にしてた」
向こうでの一日は。こちらでの何日に値するのだろうか。完全に一緒だなんてことは絶対にないはずだ。
「ヒロト、完全に帰る気がなかった。あいつ、もう一生この世界で暮らすつもりなのかもしれない」
ラピュアスが起動してから、ずっと不安を抱えてはきたけど、今は何だか、不安の種が新たに生まれてしまった感覚だ。
もう一度、ヒロトとちゃんと話したいのだ。ずっと、無い機会を窺っていた。けど、ヒロトに戻って来てほしい理由は、そんな綺麗事だけじゃない。ヒロトがいなくなって、両親の興味が僕に向くのが怖いのだ。ヒロトが帰ってこないのは、僕のせいだってされるのが怖いんだ。
ミノンが「でも」と小さく言う。
「自分も、帰りたくない。・・・って、そんな顔してるわ、あなた」
「・・・僕、そんなに感情出てた?」
図星だ。自分で動きだすことができたのも、自分の力が必要とされたのも、頼ること頼られることの意味を知ったのも、この世界に来たからだ。向こうでもそう生きられたって、思ってはいるけど。
僕の拍子抜け顔を見て、ミノンは仕方なさそうに笑ったのだった。
「・・・僕、もう一度あの場所に行って、ヒロトを説得しに行きたいんだ・・・」
それには勿論、ミノンとシヴァの協力が必要だった。あの場所に戻るなど、安易な決断はできない。だから、別に了承されずとも仕方ないと思っていた。けど、ミノンは言ったのだ。
「奇遇ね。私ももう一度、あの場所に戻らないかあなたに提案しようとしていたの」
「・・・やっぱり、ラピュアスが?」
苦しそうな顔でミノンは「ええ、そう」と答えた。
「でも、ミノン一度赤い影に勝ってるんだ。もう一度シヴァがあの攻撃を出せれば・・・」
シヴァが初めて鎧に出した攻撃は、炎のように熱かった。
「影を吹いたやつね。・・・・・・あれは、もう出せないし、出すとしたら私はそれで最期になるかもしれない」
「・・・最期?最期って・・・どうして・・・」
「あれから物凄く、力を削られた感覚があるの。シヴァが放ったものは、もちろん幻能で成ってる。けど、何て言うか・・・シヴァだけじゃなくて私の分の幻能まで削られた気がするの。多分それは、私が父から影をもらった身だからよ」
本来なら『幻能を持たぬ者』とされていたミノンだ。外に出す分の余力なんてないって言いたいのだろう。
「それを、ミノンが衝動的に出さないかが心配だ」
「ええ、大丈夫よ。私もシヴァも、もう理解してるわ。シヴァも、安易にあの影を吹いたりしない」
ミノンの確信した眼を見て、僕はそれ以上の過度な同情は止めることにした。
「それにしても・・・ラピュアス、消えたと思ってたけど見つかったんだ」
「まあ、ある程度目途はついてるわ。ラピュアスはどうやら、契約が解かれると一度必ず決まった場所へと還るそうなの」
「ラピュアスの地だね」
どこでそんな情報を手に入れたのかと僕が聞くと、ミノンは久々に母の元を訪れたことを話してくれた。




