記憶
「・・・青い影だ・・・」
戸の隙間から見えた青に、咄嗟に構えるも、その後で出てきた予想外の姿に、思わず足を止めてしまった。
長髪を結わき、凜々しい顔立ちをした男だ。けれど全身が青く、所々透けている。
「やべえニオイの正体はこいつだったか。・・・・・・何がどうなってる」
ハタに耳打ちをされるも、僕に判断がつくはずもない。僕は、ステンドグラスに映るあの姿を想像していたのだ。それなのに、出てきた影は人そのものだった。
それに、誰もこんな場所で有色影と遭遇するなど、考えてもいなかっただろう。
「フォールが死んだんだ!彼が持っていたラピュアスは一体どこにある?」
影の男はまた話し始める。誰かと話しているようだが目の焦点が僕らとあっていない。一人で会話しているのに、まるで誰かと言い争いでもしているようだ。
「あれが王政の手に渡ったら、完全な独裁国家が生まれてしまうだろ。・・・・・・娘・・・ミノンか。あの子の影は強い。ラピュアスを守るには十分だ」
ミノン――彼女を知っているのだ。
「だが十五という若さが問題だろう。ラピュアスについても、世界についても何も知らない、ただの子供ではないか!王政の手に渡るなら、いっその事あの子がラピュアスと契約を結んでくれた方が助かる」
「・・・待って! その話、もう少し詳しく聞かせて下さい」
階段を駆け上って、青い影に話し掛けていた。知っている、彼は知っているんだ!ずっとずっと、ミノンが知りたがっていた彼女自身についても、誰も知らない王政側の秘密も、ラピュアスの真実も!
けれど、肩を掴もうと伸ばした僕の腕は、見事に影を通り抜けてしまったのだった。
例え影でも、実体はあり、触ることができる。それが、幻能から生まれた特殊な影の特徴だと思っていたのだけれど・・・。
「・・・おい、一旦諦めろ。こいつはお前の事なんか見えちゃいねえよ」
ハタが僕の襟を引いて、元の立ち位置に戻す。
その間にも、影の男は話し続けた。
「自分で面倒を見れば良いものを、わざわざ私にその役目を預けてきた。ああ、今でも一年に一度影を送って様子を見に行ってるさ。彼女も今年で十五歳だ」
十五・・・。二年前だ。この影は、二年前の記憶を抱えたまま、時が止まっているのだ。これは、ただの記憶なのだ。
間違いない。ミノンへの手紙の差出人は、彼だ。ミノンが十歳の時から一昨年まで、ずっと送られ続けてきた手紙。
男は一息吐いて更に話を続けた。
「・・・しかしあの子もそう長くはないはずだ。彼女が生まれたとき、フォールは自分の影を半分彼女へと移した。だが彼女は生まれながらの影主ではない」
どういうことだろう。シヴァが、ミノンのもともとの影ではなかったと言いたいのだろうか。
「有色影を抱える負担が大きすぎたんだ。幻能のつり合いが取れていないというのにフォールは強引にも彼女に・・・。今はもう、残った半分の影も、彼女が手にしているだろうな」
ああ、聞きたい事はたくさんあるというのに、この影は答えることができないんだ。
「・・・・・・そうか、もうそんな時間か」
この場にミノンがいたらどれほど良かったか。彼女ならきっと、僕じゃ理解しきれないその言葉の意味も理解できる。これは、ミノンが知るべき記憶なのだ。
影の男が、遠い目で壁を見つめて、階段を降りた。こちらへ近づいてくる。
ハタが幻石を片手に身構える。だが、男は僕らの事などそっちのけで、ゆっくり椅子に腰掛けた。
実際、影は記憶の通りに動いているだけであって僕らの事など見えていないのだろうけど。そして、書斎机に置かれていた分厚い本を手に取ると、紙の中央、印に合わせて開いたのだった。
本の中から、新たに青い影が浮かび上がってくる。球体が宙に浮いて、回り出す。
これも記憶の一部か・・・。
「この星がまだ、回転するエネルギーを蓄えていた頃の話だ。ある時、たった五人の幻能者によりその力が奪われてしまう。幻能者の始祖、そして最も強大な力を持っていた五人だ」
男は誰に向かって話すつもりだったのか、そんな事を言い出した。
本から浮かび上がった球体の、更に上。五人の人間が現れる。彼らは球の回転が停止すると同時に、何かを持ち上げた。
「力は形となって生まれ直した。それを五人の幻能者は五つに分け、それぞれを自分の物とした。これが、我らがラピュアスの地さ」
「・・・ラピュアスの始まりだ」
ハタが呟く。彼らが信じていた予言は、本当だったのだ。けど、僕はてっきり――
「――それと国の始まりか・・・」
そう、そうだ。僕もこれが国の成り立ちに思えたんだ。でも、それじゃあミノンから聞いていた話と異なってしまう。
「五人の内四人は、ラピュアスと契約を果たし、手にしたラピュアスの力を人々へと拡散した。その契約が、人々に幻能者としての能力を与えたのだ」
それなら、ミノンがラピュアスを起動させる前、あれは既に、契約が結ばれていた状態だったんだ。
「・・・けれど、残された一人は、ラピュアスの力をそのまま自分のものとした。一人では身に余る力だが、対立した四人の幻能者を従わせるにはまだ足りぬ力だった。奴の心は完全に影に支配されている。奴は今もまだ、影による影だけの、独裁世界を望んでいる」
男は次のページをめくり、また現れた五人と、はっきりと映し出されたラピュアスをじっと見つめたのだった。
星の自転が止まり、その障害から人々を守る為に、幻能で守護された国が作られたのだと思っていた。その中で守られる者が限られようと、非難される者が生まれようと、人を守ろうとする意志で国が作られた事に変わりは無いと、信じて疑わなかった。
「・・・けどこれじゃあ、まるで立国させるために星の回転を奪ったみたいだ。ここにいる何千万って幻能者だって、ラピュアスが生まれなければ存在していなかった」
「ああ、それに、ラピュアスさえ生まれなければ幻能を手にする必要も無かった」
ハタが動揺したように指先の包帯を揉む。
「けど、もしこれが本当なら、なぜ誰もその事実を知らない。どうして造説ばかりが語り継がれてきた」
「・・・知らないよ、そんな・・・。けど、有力な手掛かりが手に入った。僕は、あの時ミノンはラピュアスと血によって契約を結んでしまったって推測してた。けど、今の話でそれが、『結んだ』のじゃなく『切った』の方が正しいって分かった」
「つまりあの女に、もう一度契約を結ばせれば良いってわけだ。・・・ややこしい事に、あれはもう消えちまってるけどな」
契約を結ぶにも、あの円盤等が無ければ血の与えようがない。幻能者の始祖達は、ラピュアスの力を解放させるため、一体何を与えたというのか。
止まったと思いかけていた影の男に、また動きがあった。
「青い影の主は、語り継ぐべき記憶を、次のものへと預けることが役目だ――」
協会の前で、男が言っていた。カナトコの先祖が代々引き継いできた、秘密を守る役目。
真実は知るべき者だけが知る。その者とは、きっと青い影の主を指している。
それまでどこか遠くを見つめていた影の目が、ふと、僕らの方を向いたのだ。間近にいる僕らを書斎机から見上げている。
「あの・・・」
試しに声を掛けるも、やはり反応は無かった。
これは彼の記憶に過ぎない。けれど彼は、いずれ誰か――ミノンか、或いは他の者がここへ記憶を受け取りに来ることを予測していたのかもしれない。
「――青い影は、主を失えとも記憶を受け渡すために形としてそこに在り続ける」
今度はピッタリと視線が合った。
「気を付けてくれ。パライレは全ての記憶を伝え終えたとき、主体の制御力が皆無となる」
「・・・は?記憶を伝え終えた時って?」
「・・・おい、今制御力が皆無って言ったか」
ハタが何かを察したように駆け出した。
「おい!着いてこい!早くここから抜けるぞ!」
ハタがあっという間に視界か消えたことに背筋がゾッとして、慌ててその後についていった。本当に逃げ足の早い奴だ。
背後で青い影が不気味に蠢きだしたのを、横目で見ていた。完全に人の形が消える直前、男は言ったのだ。
「こいつが暴走し出す前に、一刻も早くここから出て行ってくれ。君らがこの記憶を善用してくれる者であることを願っている」
その直後、僕らが螺旋階段を上りきる時だった。
信者達が恐れていた通り、遂に青い影――パライレが目覚めたのだ。




