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招かれた僕ら  作者: 蓮水 碧
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起動


 僕があのビルのベランダに降りられたのは、夕暮れ時だった。僕をベランダに雑に投げ捨てて、シヴァは力尽きたように消えていく。


「ミノン! ミノン!」


 部屋の隅で、倒れ込んで動かない彼女の姿が眼に入った。慌てて駆け寄るも、部屋の惨状に僕は口を閉ざした。

部屋の壁至るところに、深い切り傷が入っているのだ。何かが暴れ回って爪を立てたように、天井までもが抉られている。

肝心のミノンは――


「あぁ、腕が・・・」


 浅いけれど長い切り傷が見える。既に血は固まっているみたいだ。別の部屋から使えそうな布を持ってきてミノンの腕に巻き、とりあえず水を飲ませた。彼女の背を持ち上げて気が付いた。ミノンは、キャンバスの上に倒れていたのだ。このキャンバスだけが、無傷のままだった。

・・・僕のキャンバスだ。買い出しの途中で見つけた中古のキャンバスに、同じく中古の絵の具で上から絵を描いた。誰にも邪魔されないで、他人の評価など気にしないで、久々に僕が描きたいように描いた、ベランダから見た水平線と、黒い鳥の絵――。


「ミノン?」


 ごくりと喉を鳴らして、ミノンがぱっちりと瞼を開いた。


「・・・・・・私――」


 そこで、彼女ははっとして声を上げたのだ。


「――ラピュアスは!?」

「ミノン落ち着いて。さっきまで倒れてたんだよ」


 ミノン傷ついた自分の左腕の傷を見て、察したように頷いた。そして、気が付いたように右手を開いた。

 ミノンの右手から何かがゆっくりと浮かび上がり、僕たちの間で回り始めたのだ。


「これ、もしかして・・・」

「・・・えぇ、そうみたい。さっき・・・じゃなくて私が倒れる前、ラピュアスに幻石を嵌めたの。そしたら・・・」


 ミノンが握っていたのは、見事に小さくなったラピュアスだった。円盤も、小さくなって回っている。ラピュアスが変異を遂げたのだ。その過程で酷く暴れ回った故に、円盤が壁を傷つけ、避けたミノンは頭を打って気絶したという。

 ミノンは起き上がれそうになかったので、ベッドに寝かせた。

「ごめんマコト。あなたの絵を倒しちゃった。私、これだけは切られちゃならないと思って・・・」

「・・・いいよ。それよりミノンの腕が・・・」

「私は大丈夫。シヴァが必死に守ってくれたのを覚えてる」

 

 一呼吸置いて僕は尋ねた。


「あの、じゃあさ、あの幻石何十個って数分の幻能が、この小さなラピュアスに集まってるってことだよね」


 小さくなったラピュアスは、今も宙に浮いて回っている。


「そうみたい。でも・・・」


 言い掛けてミノンは、途端に顔を青ざめた。その視線は僕ではなく、僕の背後に向いていたのだ。一体何を見て――

 僕の顔に、すっと黒い影が伸びてくる。

ああ、ミノンを恐怖の目つきにした原因はこれか・・・!


「あなた、シヴァじゃない。誰の影・・・?」


 ミノンが震える声で言う。僕の背に、見知らぬ影が巻き付いているのだ。振り替える勇気なんて、持っているわけがない。

すると、僕の耳元から聞き覚えのある声が帰ってきた。


「うっわぁ・・・影のニオイが強烈だなぁ」


 あいつだ。声は少しくぐもっているけれど、紛れもなくこれは、さっき街であった黒髪の奴だ・・・!


「さっきのニオイの正体はお前か。しかも探してたラピュアス付き」


 背後から何かがバッと飛び出してくる。悶絶するほど巨大な、蛇だった。

薄く透け、丸い目を細めながら、口角をニタッと上げる。シャッと声を上げ、威嚇する巨大な蛇に、背筋が凍り付いた。

 話せる影など、これまでに見たことが無い。それも、あの男自身が影となって現れているようで・・・。


「お前、どうせバレる嘘なら最初からつかなきゃいいのに」

「・・・どうやってここまで」

「・・・本体ならまだしも、こっち―影―だけなら何とでもなる。長らく同行させてもらった。お前、俺が『影無し』だって油断してただろ」

「あなた、影を後付けしたの?」


ミノンが苦しげに顔をゆがめて尋ねる。だが、蛇はニタッと笑っただけだった。その視線がそのままラピュアスへと向く。僕は反射的に駆け込んでいた。だが、僕の予想は彼の狙いから外れていたのだ。影は消え、またすぐに表れて勢いよくミノンを抱え上げた。

蛇の胴体がミノンの首に絡みつき、ミノンが苦し気に(うめ)くのだった。


「やめろ!」


 だが、僕が手を出す間もなく、奴はミノンの鎖骨に嚙みつきやがったのだ。ミノンがまた、声を上げる。

 歯は軽く触れただけだ。奴が僕を脅すつもりなのはみえている。それなのに、ミノンの服にじんわりと血が滲むことには、居ても立っても居られなかった。


もはや影の濃さなど関係ない。そこにはしっかりと実体がある。


「・・・おい、それ以上はやめろよ」


 下手に手を出せばあの傷口が深くなるのは確定だ。


「持ってる幻石をラピュアスに与えろ」


 僕に指図した後で蛇はミノンに(ささや)く。


「あと何個だ?」


 ミノンの目から、恐怖か痛みか涙が零れる。


「・・・・・・三つ」


あと三つ分、幻石の力が与えられれば、ラピュアスは愈々(いよいよ)起動する。だが生憎、いや、好都合にも手に持った幾数の幻石のうち幻能を収集できたのは二つだけだ。ミノンがラピュアスを起動させたいのは、今じゃないから。


 僕が幻石を近づけると、小さかったラピュアスは円盤を勢いよく広げた。最内の円盤には、まだ幻石の嵌っていない三つの空間がある。あとの円盤の無数にある穴には、今までミノンが集めてきた幻石がびっしり嵌って輝いている。


 二つの幻石を空間に押し込む。中心の黄色い物体はまだ小さいままだが、大きくなった円盤は最後の一つを待ち望んだようにくるくると回った。


 そんな中、気掛かりだったのは蛇の態度だ。僕が途中で手を止めたにも関わらず奴は何も文句を言わなかった。

 蛇が瞬きをする。それと同時に、左眼球が裏返った。そして、本来眼球のある個所に現れたのは、幻石だった。


「それって・・・」


 焦る僕の表情に奴はまた、ニタッと笑う。そして器用に舌を使って幻石を取り出すと、最後の空間へと与えてしまったのだった。

 ラピュアスがガチャンと音を立てて円盤をしまう。小さくなった黄色い物体だけが、静かに床に落ちたのだ。そしてそれきり、何も起こらなかった。


「・・・え?」


「いいんだ、これで」と蛇が言う。


「そう、まだなの。これじゃあ・・・」


 解放されたミノンが咳き込みながら続けた。


「まだ、鍵が掛かった状態なの。すべての準備を整えてから、鍵の真相を探るつもりだったわ。ある程度目途はついていたから・・・」


 二人とも、分かっていたんだ。これじゃあまだ、動かないって。でも、解錠の仕方も断定できていないし、その後で何が起こるかも、恐らくはっきりと分かっていない。


「それで俺は、施錠状態のラピュアスを王政に届けるのが仕事。こんなに早く、しかも一人で在処にたどり着けるとは思ってなかったけど。こりゃあ、報酬が弾むなぁ」


 空いた左目に、ラピュアスを取り込もうとする蛇だった。だが、今度こそ奴の思惑通りにさせるつもりはない。


「ミノン!ラピュアスを!」

「任せて!」


 僕は叫びながら蛇に飛びついた。狭い部屋の中を転げながら、僕らは壁に衝突する。

結局は影だ。実体はあろうと、毒なんて持っていない。多分だけど!


 壁に蛇を押さえつけて、僕はミノンを見た。そして見逃さなかった。ミノンが膝を付きラピュアスを拾おうとしたその時、噛まれた鎖骨から血が滴ったのを。


 その血は真っ直ぐ線を描き、ラピュアスへと降りかかった。小さなラピュアスは、一滴の血に塗れて赤く染まったのだ。


――あっという間だった。


目をつむるほどの強烈な光がラピュアスから放たれた。その光が渦を巻き、周囲の光を巻き込んでいった。

光が、光を吸収していくのだ。それは絵に描いてでしか表せないような現象だった。

蛇の影が、そして一瞬現れたシヴァがどす黒くなる。ラピュアスは色を変え、暴れ出した。

目前の激しい情景に、目が回る。


そして遂に、それは周囲の光を全て吸収したきり、姿を消してしまったのだった。


 ベランダから見えたビルの外には、夜に堕ちていた。


・・・・・・しばらくの間、沈黙が流れていた。


僕たちは膝を付いたまま、硬直していた。ラピュアスが、影と、光を呑み込んでぷつりと消えたのだ。


僕は何が起こったのか、全く理解できなかったのだ。けれど、ミノンは違ったみたいだ。

僕がミノンの目を見たとき、彼女の表情は絶望に染まっていた。


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